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狂犬病ワクチンはどうなの? その3 … 北米では地域によって法規制がバラバラ

前回は、狂犬病のワクチンによる予防がなぜ大切なのかを改めてご紹介しました。その上で、いまだに「1年に1回」と決められている予防接種の頻度は再検討すべきではないか、考えてみたいと思います。

既に行われている狂犬病の抗体検査

狂犬病ワクチンについて、抗体検査が接種の要否判断に認められていないことには疑問を感じます。なぜなら、

狂犬病ウイルスに対する抗体検査そのものは、
既に日本を含む世界各国で実施されているから

海外から犬を連れてきたり日本から外国に連れ出したりする場合には、抗体検査結果の証明書が必要です。抗体価もWHO(世界保健機構)が0.5 IU/ml(IU:国際単位)という明確な国際基準を定めています。日本でも、「生物科学安全研究所」が農林水産省指定機関として検査を行っています。

研究所

狂犬病ウイルスは抗体検査が無効?

ジステンパー、パルボおよびアデノのウイルスについては免疫力確認のために抗体検査が有効と認められています。狂犬病ウイルスについても、動物の輸出入においては抗体検査が行われています

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なぜ狂犬病ワクチン接種は
抗体検査で必要か否かの
判断ができないのでしょうか?

お話しをうかがったことのある獣医さんによれば、狂犬病ウイルスへの抗体が血液中に存在していることは、

ワクチン接種の証明にはなるが防御能がある(=病気から守られている)保証はないと考えられている

のが根拠とのことです。そこで、海外の状況を見てみました。飼い犬の頭数が世界で最も多いアメリカの法規制はどうなっているのでしょう。

全米統一の法律は存在しない

地域の自治が大切にされるアメリカでは、州によって細かな法律が異なります。さらに州の中でも街や郡(行政の最小単位)で規制が違うケースもあり、一律ではありません。↓「犬種差別を考える」でご紹介した、「特定犬種規制法」も州によって様々です:

プレゼンテーション1

狂犬病のワクチン接種についても同じで、全米統一の法律はありません。今年1月にアメリカ獣医師会が発表した資料を見てみました。狂犬病ワクチン接種は「ほとんどの州」で法規制があるという表現が使われています。

「ほとんどの州」です
すべてではありません

接種の頻度も州ごとに異なります

接種免除を法律に織り込むことも
「始まっている」そうです

判断を郡など
自治体に委ねている州もあります

州外からの持ち込みに限り
ワクチン接種を義務付けている州もあります

健康上の理由による「法的な免除」が増えている

前回ご紹介したように、日本の場合は猶予証明書に法的根拠はありません。一方アメリカでは、健康上の理由で接種が法的に免除される地域が増えています。獣医師会の資料によれば、カリフォルニアやフロリダ、ニューヨークなど16の州で認められています。メリーランドとマサチューセッツも含め18州とする情報もあります。

獣医師からの正式な手紙と抗体検査結果を提出すれば対象となるそうです。

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一律に狂犬病予防注射が法的義務なわけではない

接種義務がある場合も、対象となるペットが犬だけの州やフェレットも含まれる地域、さらにはアーカンソー州のように「すべての恒温動物」に義務付けているケースなどがありバラバラです。いずれにしても、全米50州のうちの

多くで狂犬病ワクチンの犬への定期的接種が義務な一方、

例外も少なくない

ことが確認できました。定期接種義務の有無だけでなく対象となる動物、病気による免除の可否、接種頻度なども様々で、統一された基準は存在しません

カナダで法的義務があるのはオンタリオ州のみ

アメリカと国境を接するカナダ。狂犬病ワクチンの接種を法律で義務化しているのは全10州のうちオンタリオ州だけです。首都オタワやカナダ最大の都市トロントがあるこの州は、この国の中心です。

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最大の影響力を持つ地域で法的義務が存在する一方、それ以外の地域では義務化されていない状況から、やはり考え方は一様ではなさそうです。

予防そのものではなく、例外のない機械的な接種に疑問

いずれにしても、発症した場合の死亡率がほぼ100%という恐ろしい感染症を予防することに、議論の余地はありません。繰り返しになりますが、疑問に感じるのは、

日本の場合「例外なく1年に1回のワクチン接種」と決められている

ことです。狂犬病ワクチンの重要性については、先にご紹介した一部(自称)獣医師のSNS上での乱暴な表現も含めて既に多くが語られています。ですので、ここでは否定的な意見をご紹介します。しつこいですが、

狂犬病のワクチン接種そのものに対してではなく、
現在のやり方、つまり、
例外なく定期的「ルーティーン」として
1年に1度、接種を行う
という行為に対して疑問を感じる

のです。(第4回はこちらです)