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40歳最後の日に思う事

伊吹山の山頂駐車場から琵琶湖のさらに向こうに沈みゆく夕焼けをただただ、スマホのシャッターを切りながら眺めていた。

静かな、静かな夏の終わりを告げるような夕焼け空だった。

撮影ポイントには多くの大人たちがカメラを構えながら、静かに夏の終わりを感じているようでもあった。
日本中の多くの人が、今までに経験したことのない夏を迎え、そして夏を過ごしたのだろう。

もちろん、私もそんな一人だった。
夏の終わりと一緒に、想像もしなかった40歳の1年も終わろうとしている。

そんな40歳の1年を振り返ってみたいと思う



もう一度原点に立ち返ろうと思った1年前の誕生日

だいたい誕生日前後に1年の振り返りをするのがここ数年の定番になっている。
1年前にもこのような記事を書いていた。

正直に言うと、この頃はもう手詰まり感でいっぱいだった。
なんとか、あの手、この手で模索をしてきたセミナービジネスだったが、世の中の流れからもこのままセミナー事業を主体にビジネスを展開するのはそろそろ限界かも・・・と感じていた。

と同時に、これから10年の事を考えた時に、私が一番力を入れたいことは何かと自分に問いかけたらもう答えは一つしかなかった。
「女性の健康と不妊支援」
これ以外の答えは出てこなかった。

そう、これが私の本音だった。
この分野に携わりたくて、この分野はもっと広めたくて起業したはずだった。
でも、いつしか個人事業主を継続させることに必死で自分の本来の目的を忘れかけていたのである。

40歳の誕生日を迎えた1年前、「もう一度原点に立ち返ろう・・・」
そう、心に誓ったのである。


不妊支援を軸にもう一度

最初に行ったのは、今までの自主開催セミナーをすべていったん終了させることからはじめた。
こちらは私のビジネスの主軸。
4年ちょっとでセミナーやイベントを通して800人近いお客様にセミナーやイベントを提供させて頂いた。
これは、これでとてもありがたい事だったし、私の発信をみつけてセミナーやイベントに参加してくださった方には感謝しかない。

ただ、自主開催セミナーは当たり前だがかなりの労力を要する。
セミナーは当日だけ頑張ればいいものではない。
日頃の発信からすべてがそのセミナーの為に注がれるのである。

その為、どうしても仕事に割く比率が
【その他のセミナー>>>>>>>>>>>>不妊支援】
になってしまうのだ。

この比率をなんとかしたい。
そんな思いから、自主開催セミナーをいったん終了にするという、自分の中では思い切った舵を切る事にしたのだった。


Wワークと言う選択も視野に

とはいえ、メインの収入が断ち切るということは、今後どうするかを真剣に考える必要があった。
SNSの発信も、ブログの発信も、HPも「女性の健康と妊活・不妊支援」を中心にやっていきたいという気持ちに代わりはなかった。

私達のような個人事業主は、自分たちの発信が事業の全てである。
何を中心に発信しているかによって、何をメインにした仕事をしているのか判断される。
だからこそ、多種多様な発信は避けたかった。

【笛吹和代=妊活・不妊支援の人】
というイメージにもう一度戻していく事が私に最初に課された事だと思ったからだ。

収入が必要であれば、個人事業の幅を広げるのではなくてWワークすればいいのではないか・・・と本気で考え始めたし、実際に日雇いのアルバイトに行った事もある。

実はそんな時に出版のお話しが決まった。
そしてFemtech関連のお仕事をお手伝いさせて頂く事が決まったのもちょうどこの頃だった。

試行錯誤しながらも、「妊活・不妊支援」に関する自分の中の炎は消える事はなかった。
と同時に、どのような形でも「妊活・不妊支援」は続けられる、そんな確信を得た時期でもあった。


新型コロナウイルスの流行に翻弄され続けた半年間

出版の原稿を書き終えたら、週2回ほど働きに出よう・・・そう思っていた最中に起こった新型コロナウイルスの流行。
そして、2月終わりに発表された学校の一斉休校。
この発表を機に4月には緊急事態宣言の発令。

新型コロナウイルスの影響をうけて多くの人の日々の暮らしが大きく変わった。
我が家もそんな家庭の一つだった。
まさか令和の時代にこんなことが起こるなんて誰が想像しただろう。

自由に行きたいところにもいけないどころが、子供達は学校にすらいけない。
学童保育は開所してくれたものの、日に日に通所してくる子供は減ってきた。
我が家も3月こそ学童にお世話になったが、4月以降はお休みにさせることにしたのだった。
結局休校は5月末まで続いた。
幸い、私の仕事は在宅ワークがメイン。
なんとか乗り切ることは可能だった。

ただ、この時Wワークと言う選択肢は自分の中で自然と消滅していっていた。
いつまた、一斉休校、緊急事態宣言という判断を国がするかわからない。
この新型コロナウイルスが落ち着くまでは働きに出ることは難しい・・・

そんな中、お手伝いさせて頂いていたFemtech関連のお仕事をさらに深くかかわらせてもらう事になった。
やっぱり私は事業主の世界で生きていくんだなと・・・感じたのを今でも覚えている。


気が付けばやっぱり個人事業の世界にいた

今まで、実はもう個人事業主は終わりにしようと思った事が3回あった。
2016年の終わりと2018年の9月と今回の2020年の最初だ。

2016年の12月と2018年の9月は完全に廃業することも実は考えていた。
他で働きながら、妊活・不妊支援の発信はライフワークとして続けていけないかと・・・
そして2020年の最初は、Wワークを模索していた。

しかし、そんな時に限って個人事業主という世界にとどまさせる何かが必ずと言っていいほど起こった。

スピ的なものはあまり好きではないが・・・
こちらの世界にとどまらせるパワーが何か働いているのではないか・・・そう思わざるおえなかった。
単純に私のあきらめが悪くて、しぶとく居座っているだけなのかもしれないが・・・

ただ、長く続けるコツは何か?と聞かれれば間違いなく「しぶとさ・しつこさ・そして想い」と答えるだろう。
そして私の原動力は「9年前の不妊治療退職のくやしさ」なのだ。

この原動力がある限り、きっとは私は何があっても試行錯誤しながら、壁にぶつかりながらでもこの道を走り続けるに違いない・・・

結局のところ「私はしぶといんだよ」という結論に達して、心の中では笑いが止まらなかった。
しぶとくても良い、泥臭くてもいい、キラキラなんてしてなくてもいい・・・
ただ、私は自分の目指している世界にたどり着きたい
ただそれだけなのだ。

そんな事を考えた40歳最後の日

41歳への自分へ、そして未来の自分へ乾杯

#また乾杯しよう


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