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41歳の夏 私の原点 世の中の不を解消したい

「世の中の不を解消したい」この言葉は、私の仕事に対する原点です。
勘のいい方なら気づかれたかもしれないが、私の前職の企業理念の一部です。

16年前、前職への求人を見つけてHPを読み進めていく中で見つけた、「不の解消」という言葉に強く惹かれ、医療業界から化粧品メーカーへの転職を決意しました。

もともと医療系資格を取得したのも、医療を通して誰かの役に立ちたいという思いがあったから。子供の頃から、仕事をするなら困っている人の役に立つ仕事がしたいとずっと思い続けてきたし、その気持ちは今も変わっていません。

だからこそこの「不の解消」という言葉は、前職を退職した今も私にとってビジネスの中で大きな指針となっています。

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終わりと始まり

今年で前職を不妊治療退職して10年。
なんだかあっという間の10年だったように思います。
10年ひと昔とはよく言ったもので、気が付けば会社員時代を懐かしむこともほとんどなくなっていきました。

今年の2月12日に「あきらめない妊活 キャリアと不妊治療を両立させる方法」を出版させていただいたが

「この本の出版が私にとって一つの区切りになるんだろうな」という事を感じながら執筆を行っていました。

私が不妊治療を退職をした2011年は、ようやく妊活という言葉は出始めたものの、社会が妊活や不妊治療に理解はなく、妊活という言葉がただただ独り歩きしているような頃でした。

私の起業のきっかけは「不妊治療と仕事の両立を支援できる社会を作りたい」という思いからでしたが、2014年、2015年とそのような事を言っても見向きもされずに、「不妊治療と仕事の両立支援が企業にどのようなメリット(主に売り上げ面で)をもたらすの?」と男女問わずに返された時代でした。

確かに、短期的に見れば「不妊治療と仕事の両立支援」はデメリットの部分の方が大きい。
でも、中長期的に見たら必ずメリットの方が大きくなるはず…頭の中ではそう思っていても数値で示すことが出来ずに何度も悔しい思いもしました。

ようやく風向きが変わり始めたのが2016年から2017年にかけて。
東京で不妊治療支援を行うベンチャー企業が立ち上がり、行政も不妊治療と仕事の両立に関して支援を行い始めました。

そして2020年、2021年、この動きは一気に加速していきました。
不妊治療のみならず、女性のヘルスケア支援を行うベンチャー企業が一気に増え、フェムテックという言葉を行政が使うようにまでなったのです。

「不妊支援」が「不妊治療クリニック行く」以外何もなかった時から10年、ようやく「不妊支援」の必要性が社会に認められた今、ちょうど一つの転換期を迎えようとしています。

必要性を理解、認識してもらうステージから、どのように社会で取り組み、広げていくのかというステージにちょうど移行している時期なのだと感じています。


10年前思い描いていたことは動き始めている

10年前、実は私はいくつか思い描いていていることがありました。
そのうちのいくつかが…

・サプリメントを売るだけではなく妊活や不妊の相談が出来場をつくること
・企業が不妊治療と仕事の両立支援を行うことをサポートする仕組みをつくること
・不妊クリニック以外に不妊相談が出来る場を作る事
でした。

これらは不妊治療をしていた当時の私が欲しかったサービスでした。
自分にとって「不」に感じたことを変えたい、変えるサービスが出てほしいと願っていました

10年経った今、これらは少しずつですが、様々な法人の手によって形になろうと動き始めています。
と、同時に同分野での個人でのサービス提供には限界もやってきました。

私自身もここ1年は、個人でのサービス提供というよりは、企業からの依頼の割合の方が増えてきているのが現状です。

不妊治療退職をしてから10年。ちょうど一つの区切りをつける時期なのかもしれないと思うのです。


原点は忘れずに

個人で取り組んでいたことが法人サービスへ移行している今、私自身もサービス提供方法を変えていく必要があります。
実際に個人提供にこだわるのではなく、必要に応じて各法人企業と連携してサービスを提供していくのが主になりつつあります。

そういう意味でも、書籍の出版が一つの区切りになったなと改めて感じます。

と、同時に「新たな事業」を模索し始めています。
とはいえ原点にあるのは「不の解消」
誰かの困りごとを解決し、それを社会に還元できる事業を立ち上げたい…
その思いは一生変わることはないのだろうなと思うのです。

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前職を退職して10年。
自分と同じ思いをする人を一人でも減らしたい、1日も早く社会で制度を作ってほしいと思って、10年間発信を続けてきました。

改めて振り返ると、それは自分の中の様々な思いを昇華する期間でもあったのだなと思います。

不妊治療での様々な出来事は時間をかけて昇華していくしかない…そんな話5年前に聞いたとき、後5年後にどのように私は感じているのだろう?私は何を昇華しているのだろうと思っていましたが、10年目の夏が私にとっては大きな区切りになっていました。

41歳の夏が終わりましたが、また新たな10年
次はどんな10年がやって来るのか?
未来に向けてまた進んでいこうと思います




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