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【超ショートショート】(67)~女の子の夢~

1979年8月9日
横浜の山下公園近くの病院で生まれた、
一人の女の子。

父は四郎、母は夏夜(かよ)。
女の子の名前はきみ夏(きみか)と名付けられた。

父によると、きみ夏が生まれたとき、
黄色いの黄身のようにまん丸の顔をしていたから、
最初は「黄身」と名付けられる予定だった。
でも母が猛反対。
結局、母が黄身をひらがなにして、
母の名の一文字を取り、
「きみ夏」となった。

きみ夏は、
生まれてすぐ、横浜の家から、
北海道の小樽に、
父の仕事で引っ越し。

1986年、
きみ夏が、7歳になる頃。
家族で再び横浜へ引っ越してきた。

お家は、小樽にいる間だけ、
人に貸していた一軒家。
きみ夏家族は
そのお家に戻った。

きみ夏は、母に連れられ、
山下公園へ遊びに来た。

「きみちゃん!ママ、ここにいるから、
遊んで来ていいわよ!5時の鐘がなったら、
ママの所に戻って来てね!」

きみ夏は、ママが待つベンチから遠くへ離れた
氷川丸の船のほうへ走った。

公園の端まで走り終えると、
ママの待つベンチのほうへ、
今度は歩き始めた。

途中、女の子の銅像があった。
ママの所に戻って、
ママと一緒に、
女の子の銅像までやって来た。

「この女の子は?」

「きみちゃんと言うのよ。
赤いくつを履いているって有名よ。」

それから、
きみ夏が山下公園に来ると、
銅像のきみちゃんの所に行き、
きみちゃんが寂しくならないように、
いつも話しかけていた。

「こんにちは。きみちゃん!」

1986年きみ夏の誕生日の日。

きみ夏は、
また銅像のきみちゃんの所へ来た。

すると、
一人の女の子が声をかけてきた。

「こんにちは。きみ夏ちゃん!」

「えぇっ?だれ?」

「私はきみちゃんだよ!
いつもきみ夏ちゃんがお話してくれる
銅像のきみちゃんだよ!」

「生きてるの?」

「生きてるのかはわからないけど・・・」

「きみちゃんは銅像じゃないの?」

「銅像だけど、今日はきみ夏ちゃんの誕生日だから
ここに会いに来たの。」

ふたりのきみちゃんは、
まるで双子の姉妹のように、
手を繋ぎ、山下公園を散歩した。

夕方の5時の鐘が鳴る頃、

「もう5時。ここで帰るね、きみ夏ちゃん!
バイバイ。」

「うん、またね!きみちゃん。」

それから、
きみ夏は、何度かきみちゃんと遊んだ。

1994年のきみ夏の誕生日。
きみ夏は中学3年生になっていた。

将来の夢を何にするかと、
悩める受験生のきみ夏が、
小学6年生以来会っていなかったきみちゃんに
会いに来ていた。

「こんにちは。きみ夏ちゃん」

きみ夏は、
山下公園のきみちゃんの銅像について、
中1の夏休みの自由研究で調べていた。

「きみちゃんは、4歳で病気になったの?」

「うん。治らなくて、9歳で亡くなったの。」

「もしきみちゃんが大人になっていたら、
どんなお仕事がしたかった?」

「看護師さん!私の病気を治すために。」

「ほかには?」

「お嫁さん!可愛い女の子を産みたいの。」

夕方5時の鐘がなり、ふたりは別れた。

きみ夏が高校生になると、
山下公園に来て、
銅像のきみちゃんに会いに行っても、
きみちゃんに出会う事がなくなっていた。

2001年、きみ夏は22歳になり、
看護師として働き始めていた。

初給料が出た日、
きみ夏はショートケーキを買って、
きみちゃんに会いに来た。

「きみちゃん!こんにちは。
今日、初めてお給料が出なの。
一緒にケーキを食べようと思って。」

「ケーキ、大好き!」

「キャッ!きみちゃん、驚かさないで。」

久しぶりに会ったふたりは、
5時の鐘が鳴るまで、
たくさん話をした。

きみ夏は、仕事が忙しくなり、
それ以来きみちゃんに会いに行けていなかった。


2007年きみ夏の誕生日。

きみ夏は、3歳の女の子と一緒に、
きみちゃんに会いに山下公園へやって来た。

きみ夏は、
3年前に結婚し、女の子を産んでいた。

「ねぇ、ママ?あそこに女の子がいるよ!
赤いくつ履いてる!」

そう娘が話すと、
その女の子の所へ遊びに行く。

しばらくしてふたりで戻ると、

「こんにちは。きみ夏ちゃん!」

「えぇっ?ママの名前!」

「こんにちは。そうね!ママの名前ね!」

3人の女の子は、
1つのベンチに座ると、
おやつに買ったケーキを一緒に食べた。

5時の鐘が鳴る頃。

(きみ夏の娘)
「きみちゃん!またね!バイバイ!」

(きみちゃん)
「バイバイ!」

すると、きみちゃんがきみ夏の耳元で、

(きみちゃん)
「お腹に赤ちゃんいるよ!」

(きみ夏)
「えぇっ?」

(きみちゃん)
「男の子みたいね!」

(きみ夏の娘)
「あっ!あそこに人がいる!
こっち見てるよ!きみちゃんのママ?」

(きみちゃん)
「うん、そう!」

きみ夏は、
きみちゃんのママのいる方を見て、
会釈した。

(きみ夏)
「今は、ママと一緒なの?」

(きみちゃん)
「前からだよ!ママといつも一緒にいるよ!」

そう話すと、きみちゃんは、
急いでママのもとへ走った。

ママと手を繋ぐと、
きみちゃんは、きみ夏たちに手を振り、
夜の山下公園の中へ消えていった。

それから3年して、
きみ夏が娘と息子と夫と家族4人で、
久しぶりに山下公園へやって来た。

「こんにちは。きみ夏ちゃん!」

「こんにちは。」

「やっぱり男の子だったね!」

「うん!」

きみちゃんは、
自分のママとパパを、
きみ夏の家族に紹介した。

そして、
5時の鐘を待たずに、
家族3人、手を繋いで、
みなとみらいのほうへ歩いて、
夕焼けに消えていった。


きみ夏の娘は、
きみちゃんに初めて会った後すぐ、
きみちゃんと同じ病気になる。

きみ夏と夫のお医者さんに、
大切に治療され、
1年ほどで健康を取り戻した。

(娘)
「ママ?これ、きみちゃんに返したいの。」

娘の手には〈赤いくつ〉。

「きみちゃんが、
〈もうすぐ病気になるけど、
この赤いくつを持っていたら、
必ず治るから持っていてね!〉って話して、
私にくれたの。
もう病気も治ったし、
きみちゃん裸足だとかわいそうだから、
早く返してあげたいの。」

きみ夏の娘の手には、
手のひらサイズの、
見覚えがある赤いくつがあった。

実はきみ夏も、
中3の誕生日に、
将来の夢が叶うようにと、
同じ赤いくつをもらっていた。

きみ夏は、それ以降、
きみちゃんに返そうとしたが、

「あげたもの!」

と、一度も受け取ってくれなかった。

でも、娘はまた6歳。
こんなに話をしても納得しないからと、
それから、娘が大きくなるまで、
きみちゃんに会いに行かなかった。


2021年のきみ夏の35歳の誕生日。

きみ夏の娘も17歳の高校生になり、
母としての時間に余裕ができた頃、
また山下公園のきみちゃんに会いに来た。

「こんにちは。きみちゃん!
しばらく会いに来れなくて、ごめんね」

「大丈夫だよ!きみ夏ちゃん!」

ふたりは、
また姉妹のように、夕方5時の鐘まで話した。

「じゃあね!きみちゃん?」

「どうしたの?」

「きみちゃん・・・大人になってる?!」

「うん、私もきみ夏ちゃんみたいに大人になりたくて、
ママにお願いしたの。大人になれます様にって。」

きみ夏は、きみちゃんの顔を見ると、
鏡を取り出し、
自分の顔ときみちゃんの顔を見比べた。

「私たち、まるで双子みたいね!」

「うん!そうだよ!きみ夏ちゃんには、
お姉ちゃんがいたのよ!」

きみ夏が生まれるとき、
母のお腹には双子の女の子がいた。

だが、一人は未熟児で生まれて、
すぐに病気も見つかり、
一歳になる前に亡くなっていた。

(きみ夏)
「じゃあ、きみちゃんはだぁ~れ?」

きみちゃんは、その質問の前に、
どこかへ消えてしまった。

それから、
母の夏夜(かよ)の家の大掃除を手伝い中、
一冊のアルバムが出てきた。

そこには、
生まれた横浜の病院の病室の写真があった。
母は双子を抱え嬉しそうにしていた。

写真の裏には、
長女 きみ夜、次女 きみ夏。


(制作日 2021.8.9(月))
※この物語は、フィクションです。

今日は、
1986年8月9日(土)開催された、
CHAGE&ASKA 野外ライブ
『Summer Explosion Series』
in 横浜スタジアム。

開催から今日で「35周年」になります。

このライブをヒントに、
たまたま撮影していた赤い靴の女の子の銅像から、
お話を書いてみました。

銅像の由来を聞くと寂しくなりますが、
だから、
自分が書くものでは、
幸せな結末にしたいと思いました。


(ニックネーム)
ねね&杏寿
(旧ひまわり&洋ちゃん)
(Instagram)
https://www.instagram.com/himawariyangchiyan/

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