人生のシェア
まだ学生だった頃の私は、昔話をする大人をカッコ悪いと思っていた。
過去を懐かしみ、楽しかったと語るのは、今が充実していない事の裏返しのように感じていたから。
そんな私も、10年経てば例に漏れず、旧友と昔話に花を咲かせるいい大人になった。
そして気付いた。
過去を懐かしむことは、自分を大切にすることでもある、ということ。
中高の同級生であるとても大切な友人から
「【人生のシェア】が出来る友達って貴重だよ」
と言われた。
その昔、2人で一緒に遅刻したこと、夏休みに田舎を冒険したこと、テストの問題用紙に書いた渾身の落書きを見せ合ったこと…
くだらないけれど笑顔に溢れキラキラとしていた日々を思い出しては、大笑いする。
こんなふうに過去を懐かしく語り合える友人を今から新しく作ることは不可能だ。
タイムマシンでもない限りは。
そして、私達は会う度に、過去と同じくらい【現在】も共有する。
そうして共有し続けて積み上げた【現在】は、やがて【過去】になり、いずれ今を懐かしく想う。
友人が言うように、まさしく、人生をシェアしている。
時々しか会わなくても、家族でなくても、人生をシェアできる。
「「懐かしいね。」」
の一言には、積み上げてきた記憶を、そんな友人がいる私の人生を、大切に思う気持ちが込められている。
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