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現代文と私。

昔から国語は、勉強する教科でも、勉強する対象でもなかった。

まあ、漢字を練習したり、語句の意味を調べたり・・・、ということは、宿題だったから、取り組みはしたけれど。

国語は、授業に入り込んでしまったらおしまいだった。

先生の話が楽しかった。それだけ。うん、それだけ。


小学校2年の時に、担任の先生が、国語のご専門の先生で(それは長じてから、しかも、自分がさて、高校教諭をやめる・・・、ということが決まったころに知った。)、その方が、私の母におっしゃったそうだ。

まゆみちゃんは、文学の方に力があると思うから、できたらそっちの方に行かせてあげて・・・。

素直なのか、まっすぐなのか、母は、それを本気にした。

当の娘は、「ほんまに、先生、そんなこと言いはったん?私、いっつも先生に、ちょっと違うて言われてるけど・・・。」

いつも国語の時間に当てられては、みんなが素直に答えるところを、私は少しずれた答えを言って、先生は頭を傾げておられたからである。ちょっと生意気な生徒だった私を、たしなめる意味もあったのかもしれない。

だいたい、国語なんて、答えがはっきりしていないし、私は、好きだと思ったことがあったのかどうか・・・?本を読む延長線上にしか考えていなかった。要するに、国語は、勉強する対象ではなかった。

転校した先で、先生当たりが良かったのか悪かったのか?私を目の敵にする、教室内で、平気で暴力を振るうような先生のおかげで、私の成績は不当に低くなるし(先生に気を遣って、勉強どころではない、恐怖の日々だった。)、これは勉強して、何にも注意されないようにならなければ、私の日常生活に安穏はない・・・、という至極不純な動機から、小学校5年生の3学期から勉強をし出した。やればすぐに伸びたし、また元の成績に戻った。どこか、先生が怖くて、気持ちを麻痺させて生きていたような気がする。

でも、卒業式では、クラスの代表になり、学年代表の一人として、教育委員会からのお祝いをいただくために壇上に上がった。どうも、あれこれしても、私の努力の前には無駄・・・、ということになったらしい。

2年間、担任の先生とコミュニケーションが取れない時期があり、その後、私はどこか先生に対して委縮し、それまでの先生方との交流の在り方はどこかに行き、できるだけ先生方には近づかないようにしていた。

中学校の国語は楽しかった。一年生の先生の、アナログ的な解説は、想像力を掻き立てて、時代も世界も超えていく面白さだった。

二年生の時の先生は、結局高校の先輩になるのだけれど、理系出身だそうで、大変にデジタルな解説をされ、これはこれで、面白かった。若干、私はやりにくそうにされていたけれど・・・。

三年生では、ほぼほぼいつも国語は学年トップだった。ほかの教科ができる男子にも、

お前に国語は絶対に勝てん。

と言われた。嬉しかった。

けど、社会が一番好きな私に、なぜ、まるで片思いの相手がこちらを振り向いてもくれないのに、ずっと味方してくれる男子みたいに、ずっと国語は私の味方でいてくれた。

教員になることは決めていたけれど、国語の教師になるのは、面白みがなさそうで、できれば避けたかった。

しかし、高校に上がると、自分には国語しかない・・・、という現実が待っていた。

現代文ができたのである。いや、現代文しかできなかった、という方が正しい。

部活で、そう、何にも考えずに入った部活が、とんでもなくて(私にとって。(笑)本当に笑うしかないくらい。)、私は、求められもしないのに、変な責任感から、2年間の部活生活を全うした。ほめられたのは、大先輩の打楽器奏者の先輩に、タンバリンが、みんなと合って、すごく良かった!とか、ボレロの小太鼓が・・・、くらいしか覚えていない。劣等生も劣等生。(笑)

高2の定期演奏会でも、ほかの先輩が褒めてくれたドラムスでも、ある先輩には絶対に認められなかった、らしいし、想像もつく。(笑)

勉強したことのない現代文。入り込んでいってしまう。みんながくそ面白くもなさそうにしている現代文は楽しかった。それに先生方も、古典がお好きそうだったから、私は勝手に現代文、という感じだった。

状況が状況だったのだろう。

現代文しかなかった。

しかたない。国文科に行くことになった。外国文学をやりたかったけれど、どうも、英語は国語に比べると、嫌いではないけれど、当時はかなり力不足の思えた(今は違う。ロジカルな英語に、最近ハマっている。もう少ししたら、当然試験を受ける。)。それに、教育の方に逃げて、心理学がやりたかったけれど、なぜか、国文の方に行ってしまう運命だった。どう考えても、運命的、としか言いえない感じに、国文に行くことになった。

大学に入って、最初に近現代の作品でコケた私は(しかも高校の大先輩の作品を安易に選んだ。)、これは古典に逃げるしかない・・・、とフロイトまで読みかけて、近現代しか考えていなかったくせに、結局近世をやることになった。これはおばあちゃんの差し金である。(笑)

要するに、国語の教師への道、まっしぐら!になってしまい、とんでもなく難しかった時代に、なぜか高校国語科の教諭になってしまった。

実は、大学時代、専門教養の裏で、心理学の専門科目を取りまくって、要は、中学校の先生になりたかったのに(小学生は諦めていた。私などが、人生の初期の影響のある時代に、担当できるとは思っていなかった。)、高校部に配属された。

何?高校は嫌なの・・・?

いや、ウチの大学からは、高校の教師が多い。けども・・・。

あのあのあの・・・。嫌ではないですが・・・。

ということで、あっさり高校部。

それに、前任の先生が現代文担当だったということで、私は現代文の担当になった。めでたく・・・?

ところが、私は、現代文の中で、泳ぐように楽しく授業した。国語の授業は、はっきりしていないから楽しかった。

実は数学を教えるのは、結構簡単である。今、私は中学部の授業をしていて、半数は、先生の得意な教科は、数学・・・、と思っている生徒がいる。

説明するのが楽である。

国語は、のたうって解説をしなければならないから、全力を掛けて解説をしなければならないから好きである。

先輩の先生方も、古典は仮に予習なしに授業できても、現代文はできない。

とおっしゃるけれど、私はなんでもください、的なところがある。

その場でしか、初見でしか語れない国語もある。

現代文の初見の文章など、ワクワクする。

最近は、漢文チャンネルや古文チャンネルを開設するくらいには、古典も好きで、授業するのに、現代文と古典とどちらが・・・・、ということもないけれど、それでも、現代文は、めっちゃ好き!で、生徒たちからも、一番生き生きしている、と言われることもある。次は『源氏物語』の時は、まるで源氏が専門のようだ・・・、とも言われている。

けど、本人は現代文が好きなのである。

めちゃくちゃ頭を使って、思考するところが好きである。古文が感情移入、漢文が気概や意志を感じるのに対し、現代文は思考フル回転!なところが好きである。

ということで、当教室の生徒たちは、みんな国語が得意になっていく。

秘訣は、よくわからないけれども?いや、それは内緒であるのだけれども、生徒たちは国語が大好きで、また、成績も一番良くなるのが国語である。少なくとも、大学受験の頃には・・・。


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