方法論が嫌いなわけ。
だいたい努力する前から○○する方法を聞く奴の気がしれない。
ふと目に留まったこの方の記事を読んで、
そうなんです、そうなんです・・・。
と思わず頷いていた私。
仕事柄、国語力を上げるには・・・?
という質問をされたり、
子どもの意欲を上げるには?
と訊かれたり、
なんで成績が伸びなかったのでしょうか?
と言ってお子さんを連れて来られる方もいらっしゃるのですが、その答えは多岐にわたるし、それに成育歴まで引っ張り出して語ることもできるわけだから、正直質の悪い質問だと思います(ちょっと、いえかなり過激な表現だとは思いますが。)。
お金を払ったら、勉強ができるという構図はないと思います。
ある程度辛い期間を経て、努力して、それはもう泥臭い努力をして、努力をして努力をして、その先には効率を考えることはできますが、それまでは泥臭い努力です。
まあ、塾のできることは、強制力を発揮してその時間どうしたって勉強しなければならない時間にする。
が最大かもしれません。
でも、そんなこと言ったら身も蓋もないし、そんなこと考えて塾をやっているわけではもちろんありません。
ただ、努力の力を侮ってはいけないと思うのです。
もちろん、気持ちを開いてもらえるよう言葉掛けから気にして、なんとかこちらの言うことを聞いてもらえる関係になったところで指導が始まります。この段階がスムーズにいく子は成績が伸びるのもめっぽう速いのですが。
効率悪げな努力という言葉。
努力は裏切らないなんて嘘だ説も知ってます。
でも、今よりちょっと状況を好転させたかったら、騙されたと思って、ちょっとだけしなかった努力をしてみることは有効です。
なんでもそうだと思います。
仕事でも、ビジネスをするにしても。
誰にも負けない努力をして、それがうまくいかないということは、経験上あまりないと思います。
もちろん社会制度にまで及ぶ議論になるようなことはまた別の次元の話です。
とりあえず受験を許され、進学を許されている人の場合、大方ものを言うのは努力です。
親ガチャという言葉はあります。
一面真理だということも認めます。
でもそれとて親ガチャに当たったからしあわせ、当たらなかったから不幸せなんて公式は当てはまらない。
もちろんこれとて一般的な話であり、公的扶助を受けるレベルの話としてではなくてですが・・・。
とりあえずしたいことに対しては努力してみる。
1日1個の単語を覚えるだけでも1年365個。
毎日野菜の切り方の練習を5分するだけでも1年に1,825分。
時間にして30時間。
それで野菜の切り方がうまくならないわけがない。
もし恵まれていないと感じるなら、とりあえずは一日一つだけいい事をしてみる。誰かのためになることをしてみる。
たとえばたった一つでいいからゴミを拾って捨てる。
何だったらうちの洗濯ものを、たった一枚でいいから畳んでみる。
いつもやっている人だったら、食器を流しに持って行く。
それもやっているんだったら、食器を洗ってみる。
それもやっていたら、トイレ掃除もしてみる。
今までよりもちょっとだけ多く、人のためになることをしてみる。
それは時間は掛かるし、勉強時間が少なくなるような気がしてもやってみたら、本当に効果があります。
第一掃除や片付け系は、自分の気持ちが調います。
スッキリします。
それから、何だったら、勇気が必要でも、誰かに挨拶してみる。
知っている人ならちょっとニッコリしてみる。
ニッコリしながら挨拶してみる。
ああら、不思議。
嫌な人もにっこり笑ったら、相手も自分のことを悪く思っていないのか?と思い出して、態度が変わったりもします。
一応全部タダです。
毎日納豆を食べるとか、牛乳を一杯飲むとかなら、多少はお金もかかりますが、労力を使うのはお金が要らないし、挨拶なら顔の筋肉を鍛えてもくれます。
嘘でもいいからとにかくできることだけやってみる。
私はこれが一番大事だと思っています。
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