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自分に合ってることをしてもいいのかもしれないー31年目の記念日に思ったこと。

実は今日は記念日です。31年前に私はらしくもなく、花嫁衣装に身を包み、お世辞でも「きれい。」という言葉を誰からも言われることなく、金屏風の前に座っていました。
正直結婚に夢はありませんでした。しなければならないことそうではあるけれど、どうも誰かを感情的に好きになるというより頭でしか恋愛していなかったような私は、教師という仕事が大好きだったこともあり、無理やり結婚させられた感満載で、今住んでいる街で、華燭の典?を上げました。
もちろん、思うより家庭的な自分を見出し、内助の功も決して不得意ではなく、子育てに至っては相当に楽しく、まあ、何でも来いの人生を表すかのようにありとあらゆることを楽しんできました。
お家を欲しいと思ったこともなかったのですが、家族で新しい家を建てるためにあれこれ打ち合わせに行って、完成したら、これはこれでいいのかなあ・・・、と思い始めるというどうしようもない奴です。

昔から、苦手なことに挑戦しようとする、超・ドMな気質はあったようです。
いやいや、なんでこんなことを書き始めたかというと、昨夜、最難関大に編入したがっているかつての教え子の面談があり、数か月、英語の指導をすることになって気づいたのです。
理系の英語ですから、少々知らない単語も出てきたりするのですが、いったいどんな指導になるのかな?と思いながら過去問を見ていると、ワクワクドキドキしてしまったのです。だいたいにおいて、国公立二次試験対策の一番難しい問題に取り組むのはたいていもう少し試験が近づいて来てからのことですから、私としては、受験指導がひと休止した今頃そういう問題を持ち込まれて、まあ、血が騒いでしまったわけです。
いやいや、今年こそ(毎年言ってる。(笑))華麗な記帳を目指して、来年の確定申告の時期には自分でも納得の出来にしようと思っているのですが、それはそれで新たな学びで楽しいのですが、やはり指導に勝るものはありません。
かてて加えて、7月に行われる試験を受験しようと思っていたのですが、今年の高3生が大方理系なので、ここはお付き合い、とばかりに数学と物理と化学を深めることに決め、受験は回避ということになりました。しかもその試験を文学部に進んだ教え子にお任せして、いずれ一緒に仕事をしようと考えているワルな私です。

そんなこんなを考えてみて、自分にツッコミを入れています。
教師になりたくて、内気な自分のままなら社会でやっていけないとばかり思い、文化部でならなんとか行けるだろうと思っていたブラスバンド部で、とんでもない経験をしました。当時は打たれ弱かったのか、いやはや芯が強かったのか、どちらかわからない経験をしました。今でも当時を振り返ると、周りに謝りたい気分半分、怒りだしたい気分半分、なんだか複雑な思いもしているのです。
とりあえず、教員になってもなんとかなったのは、高校と、大学の2回生で辞めた吹奏楽部のおかげだと言い切れます。

勉強も学問も受験勉強も、部活に比べたら絶対に楽です。
もっと言うなら、家庭生活で夫や子供たちに合わせ切る生活よりも、仕事というのは自分が主体的でいられますから絶対に楽です。
人に合わせ切って、周りが不自由ないようにすべてを整える。主婦ほど大変な仕事はありません。

春期講習が始まっています。
今年は受験が終わっても、次の学年が結構ヘビーな受験になりそうなので、当然のごとく一息つく暇もありませんでした。春休み前の特別編成授業になる頃、早帰りの生徒から春期講習を始めました。春休みに入る頃には、しておかなければならない授業が多くなり、今年早めに始めたことは、我ながらいい案だったと思いました。
今、生徒たちはとんでもなく成績を上げています。
正直快進撃です。
今年の受験は、本当に押し込んだ感満載でした。
チェリー・ブロッサムに来ていなければ、先生と出会っていなければ・・・、とたくさん言っていただきました。

そんなときに、かつての教え子の弟さんで、そのご本人も教え子の彼がお母さまと共に来て、受験の最終ラウンドを私と共に・・・、と思ってくれたのでした。

私はワクワクドキドキ。
正直演奏してきた頃よりも、おいしいお野菜が手に入り、あるいはステキなお魚と出会い、さて、あなたをどう捌こう!?というときよりもこのドキドキワクワク感はどうしようもないのです。
布屋さんで素敵な生地を見つけたときもドキドキワクワクしますが、それだって素敵な大学受験の問題には勝てません。

ちょっと難し目、単語も少々調べなければならない、という程度が一番楽しい。って、誰の受験勉強よ!
でも、これくらいのレベルになってくると、どれだけ素敵な訳になるか?解釈できるか?というところに行きついてきて、意味を取るのどうの、というレベルではなくなってきて、ほとんど国語力になってきます。最大限に国語力が試される仕事になります。

特に私は英作文が大好き!
なぜなら、英作文って、如何にロジカルに日本語の筋を取って来て、シンプルな文章で書くか?という作業がほとんどです。
昔から英作文は大好きだったし得意だったのです。
この日本語の文章をどう捌く!?
いやいや、一本のサバではないって!?

私にとってはお料理も勉強も同じなのかもしれません。
最近では適当に作っても、そこそこおいしいお料理になるくらいには毎日毎日お料理を作ってきました。
お裁縫だって、まあ、そこそこ複雑なものだって縫える根気強さも培ってもらいました。
郷土料理だって、最近では地元の人よりも詳しい。

都会生まれの都会育ちのくせして、もうすっかり今のちょっと車を走らせたら立山を見晴るかすことができるこの土地が大好きで、気まぐれにドライブし世界遺産の雨晴まで行き、心洗われる気分になって帰ってきます。

地元のお菓子、和菓子の名店、魚のおいしいお店。おいしい日本酒。
誰よりここを愛してしまっている自分がいます。
今でも言葉から関西人扱いされることがないわけではありませんが、そのことを気にしていた頃には気になっていた表現が気にならなくなったのか、言われなくなっているのか、最近はすっかり地元の人扱いされているようです。

土地は、その土地は私にいろんな顔を見せてくれます。
最初慣れなくて、こちらに来てすぐに身籠った娘が大事で可愛くても、来てしまったことを辛いことに思っていた頃に歩いていた道を、今は大きな顔して、勝手知ったる馴染みの場所として歩いていたりします。
一旦転勤で違う土地にも行ったのに、戻ってきたときには、それまでとは全く違う土地になっていた気がしたこともあります。
初めて学校に復帰した時の喜びと、家族に対しての罪悪感。
夫が単身赴任したために、返って土地に馴染むことになってしまった時代。そして本格的に復帰した頃には、結構真剣に仕事をしていました。

子どもたちに対しても真剣でした。もちろん夫の仕事に対しても。
誰も感謝などしているようでもありませんが(笑)、それでも若いころに一人でやって来て、右も左もわからなかった自分がそれなりに築いてきたものを思うと、まあまあ良くやって来たよなあ、と思うのです。

先生って、仮に嫌な人がいても、嫌なことがあっても、勝手に友達作って、勝手にみんなでワイワイ楽しくやっている人じゃないですか?いや、顔見てたら、怒ってるんだな、と思うときはあっても。

だなんて観察してくれていた先生がいらっしゃいましたが、確かに呑気なところがあり、根っからポジティブならしく、その瞬間に面白くないことがあったとしても、その先で楽しいことがあったとしたら、今を楽しまないのは勿体ないのではないだろうか・・・?とある日突然天啓のようにひらめいたことがありました。

子育ては楽しかったのです。
でも、子どもたちを公園に連れて行きながら、その当時の人間関係に納得のいっていなかった私は、いずれ仕事を再開したら、このばかばかしい悩みを実にアホらしく思い出すのではないか?とふと客観的に思ってしまったことがあったのです。
その通り、その当時、少々不快だったことは相当に勉強になって、全部今の仕事に生きています。

とありとあらゆる経験をさせてもらってきたと思います。
でも、大好きなことを最優先して生きてもいいし、いや生活のあれこれを楽しんでもいいんだなあ・・・、と改めて思った次第です。

というより、結構楽しんできたのだな、と記念日に感謝!しているわけです。


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