見出し画像

妹と私

母にもよく言われるけれど、何かに対照的な妹と私。
ちょっと長身で細身の妹。コロコロしていて、万年と言っていいほどクラスで一番背が低かった私。
どこか個性的なファッションやブランドが似合う妹と、何かというと花柄の小物をいただくような私。
とにかく何から何まで対照的なところがある。

妹が何かあると、私が駆けつけると信じてくれていた時期があるくらいなにかに頼りにしてくれていた。

全寮制の学校に勤めていた私が、突然実家に帰ることがあり、夏休みのある日、父に言えないことをしでかした妹は、玄関に入るなり私がいるのを認め、

ほら、絶対お姉ちゃん帰って来てるって言うててん・・・。

というなり相談を受けたことがあった。
これは父には言えない。きっと妹は怒鳴りつけられるだろう。
だから母も表立っては動けない。だから私が動くしかない。
ということで、あれこれ動いたこともあった。
そこで京都まで出向いた。

妹が困ったことがあるとどこか片付けてやるのは私。
小さいときにはいつも一緒にいた。
たまの帰省の折には、明け方まで話していて、周りからは、、

ああ、女姉妹っていいわねえ・・・。

と評されていた。
妹にはよくプレゼントした。
何をしても代り映えのしない私と違って、妹はそれなりにきれいで可愛かったから、スカーフやアクセサリーなど、自分のを選ぶときには妹のも選んだ。一緒に母のお洋服を選んだり、一緒にプレゼントしたりしたものだった。

父が職場のお嬢さんたちからたくさんバレンタインデーのチョコレートをいただいたときには、心斎橋の雑貨屋さんに勤めている友達のところまで一緒のホワイトデーのお返しを買いに行ったりしていた。
同じ京都の大学に入学した妹は、ちょうど入れ替わりで京都に通うようになり、同時に就職した私と京都の話題で話せるようになった。

そんな妹とちょっとそれまでの関係性が変わってしまったのは、妹が結婚した頃からだった。
兄が長期でフランスで学んでいた後、日本に帰ってきたときに頑固な父とあれこれあり、それまで威厳のあった父は長男の身の処し方のせいで、どうも私たちに示しがつかなくなったと感じていたようで、私たちに強く言えなくなった。ちょうど母が入院中で、転勤先から二歳の娘を連れて帰阪し、父と共に母の入院の世話をしていた。
そのときに妹は父に反撃してしまった。

私も父の厳しさには若いころから辟易していたし、なんて決まりのある家だろうと、周りのご家庭と比べては悩んでいたので、妹の思っていることもわかる。でも、この時に言うだろうか?父が一番弱っているときに、というタイミングだった。

真弓はお父さんの教育方針をわかってくれていると思ってる・・・。

と言われたときには、

いやいやそうではなくて・・・。

と言いたかった。
そうではなくて、全寮制の学校にも勤め、私も婚家での同居も経験し、それなりに大人になっていたので、弱っている目上の人間をそれ以上追い詰めてはいけないとただただ経験上知っていただけである。

妹には詰られた。
なんで私の味方をしてくれなかったのか?と。

入院中の母にはほとんど話せなくて、小さな娘を連れて、心労で弱りながら、でも残暑の厳しい季節に、自転車で毎日母の入院する病院に通った。

人間関係の不思議さを思った。
大抵、兄妹の中で最も生活態度が悪いのは私ではないが、怒られるのは私だった。
なぜに今回はこうなったのだろうか?
反抗するのはいつも真ん中っこの私ではないか。
兄と妹がここにきて、あれこれしでかすとはどうしたことだろうか。
しかも誰より性格的に誰ともぶつからないと思っていた妹が父に反抗していた。正直びっくりした。

こういうタイプなんだな、と思って、それまでの妹の像が変わった。
その後、妹は結婚し、私の知っている、いつも、

お姉ちゃん・・・。

と慕ってくれていた妹とは変わっていった。

もともとの性格なのか、結婚生活で互いに変わったのか私にはわからない。
最近では、母のそれぞれの娘に対する性質への思い方が全く若いころと変わっているようである。

昔複雑だと思っていた私の方が断然シンプルで、何も考えていない、女の子らしいと思われていた妹の方がちょっぴり複雑になった感じ?。

何をしても曲解され、何を言ってもどこか引っ掛かる物言いをされるようになった。

自分とは違って、可愛くて女の子らしい妹だった。その妹について私はどこかで自分よりも世間を知っていて、たくさんの人の可愛がられていて、と羨ましくもあり、一緒にいるのが嬉しくてならない妹だった。


今日、理由あって、妹と久しぶりに話した。
昨日、母と一緒にスーパーに行き、野菜をたくさん選んで、そこから妹に送った。そして今日は安くておいしいお肉を売っているお店まで遠出をして、そこでお肉を選んで送った。

妹のことをどうしたらいいかなあ?と思っていた。
せめて祈ることにした。
祈るったって、何か対象があって祈るのではない。
本当に怠けものよろしく、夜ベッドに横たわって、そして朝目覚めてすぐベッドの上で、まず最初に子どもたちのこと、夫の仕事や健康について、義母のこと、義妹家族のこと、そして母ができるだけ健康寿命が長く生活を楽しめますように、とサラッと、あまり具体的でなく、まるで思いだけ掛けるように、神様、とも、仏様、とも呼びかけず、そうそう現代文や漢文で登場する造物主に対して祈るのである。
もう一人、ちょっと遠い関係だけど、気になっている人のおしあわせも祈る。その人がしあわせになってほしくて祈る。
それに合わせてサラッと妹家族のことも祈るようになって数日のことだった。

母がちょっと妹の話をしたので、

あっ、そうだ!野菜ならスーパーで詰めてもらえるから、スーパーでたくさん買って詰めて送ってみたら?

と話した。
身内にちょっと家に持って帰って詰めるというレベルではなく送ってもらいたかったのである。

父が生前、家庭菜園でたくさん野菜を作っては、私たちに送ってくれたように、自宅で作ったわけではないけど、まあ、スーパーの力を借りてもいいではないか?と変なことを思い着いたのである。
ちなみにお肉屋さんも思い着いた。

そこで、ちょっと前に、母とどこかに行ったついでに出掛けた新しいスーパーの野菜が新鮮で安いと母が嬉しそうにしていたので、そのスーパーに電話して、

先日、母と一緒に伺ったら新鮮でお安くて、嬉しかったので、そちらでお野菜を詰めて兵庫県に送っていただけませんでしょうか?

とお願いしたら、何と嬉しそうに打ち合わせの電話や入荷時間が白菜だけちょっと遅くなるとか連絡をくださって、現地でも、あれこれ今日入ったばかりのがあるから・・・、と言って持って来てくださったりした。

お手数かけてごめんなさいね・・・。

と詫びると、

いえいえ、光栄ですから・・・。

と言って、ますます協力してくださった。
昨日、スーパーで箱詰めし、それをレジに持って行き、私がレジのスタッフに手渡しして分業でレジ打ちしてもらい、めでたく段ボールに詰めて、送ってもらった。サイズが大きくなりすぎて、クール便にできなかったけど、翌日到着ということで、それならいいです、とたくさん送れる方を選んで、小さい箱に詰め直すということはしなかった。
何か特別なものではなくて、こういう日常的なものがいいのではないか?と思ったのである。

母が妹に、送ったお金と野菜のことをメールした。
お姉ちゃんが詰めたけど、慌てていてあまりきれいに詰めてなくてごめんなさいと言っていると母に伝えてもらった。
そしたら、妹から、ありがとうございます、とお礼のメールが返ってきた。
それがとても嬉しかった。
そして、今日、久しぶりに妹と電話で話した。
母に会いに来る姪たちのこと。不安で旅行ができないと思っていた母のこと。私は大丈夫だと思っていること。
もしかしたらもう話せないかな?と思っていたのに、サラッと話すことができた。
そして急遽、自宅用のお肉を買いに出掛けるついでに妹のところに早速鍋でもしてもらおうと思って、妹のところにも送ることにした。
お歳暮やお中元よりも、もっと身近に気持ちを感じてほしかった。

母とおいしそうなお肉を選んだ。
この連休、妹のところに帰っている姪たちと一緒にお鍋か焼肉でもして楽しんでほしいなと思ったのである。

私は妹に年長者だからとあれこれ優等生的なことを言ってきた。

お姉ちゃんの言うことは、後になって、正しいことがわかるねんけど、その時は聞かれへんねん。

と言っていた妹。ずいぶんうるさい姉をしてきたのかもしれない。
決して妹のことを考えていないのではなかったけれど、妹からしたら気難しく感じたのかもしれない。
正直、誰かの生き死にや、親戚関係についてのあれこれだと、つい私が出てしまっていることもあった。実際、人間関係なども大阪に残っていたりして、手を出してササッとやってしまったことがあった。いくら両親と同じ関西にいる妹を立てて引っ込んでいようと思っても、そこはどうしても出て行かなければならないこともあった。
申し訳ない気持ちもありながら、でも妹でどうすることもできない時には、負担ばかりを掛けてはいられないから、誤解もされ、辛い思いもさせても仕方のないこともあった。妹にとって一生懸命でも、まだ社会人になっていない子どもいる妹にばかりお願いしていられないこともあった。
それに人の生き死にに関わることは一刻も猶予がないこともある。

そんなこんなを話してもどうしようもないこともありながら、行動しなければならないこともあった。

申し訳なく思ってるって。
それはあるって。

だから、私の身の不徳かなあ・・・?

と相談したこともあったって。

義妹にもそういう思いがあっただろうことは容易に想像できる。
本当にすみません。ごめんなさい。

でも、物事を動かすときに、どうしても人の心ばかりを扱ってはいられないこともあるから。誰かの立場を慮ってばかりいられないこともあるから・・・。

などという思いを込めて。

私にも言い分はたくさんありつつ、それでも申し訳なく、ふと気づいたことをしてみた。

ちょっとは気持ちが届いてくれていたら嬉しいのだけどなあ。

私のことなどまあどう思ってもいいから、家族で週末、ちょっとだけ私のことも思い出しながら(ここはやっぱり欲張りで?)、私たちが送った野菜とお肉で、おいしいお鍋かおいしい焼肉でもして、楽しんでいただけたらと思っている。まあお母さんには感謝してくれたらうれしいけども。

単純に、誰だかわからない、そうだった!造物主?に、お祈りして、これしてみよう!と気付いて、実行してよかった!と思っている。
お肉屋さんを出たときに、妹の家族のことを思って、私は本当にホッとしたし、ちょっと気持ちが温かくなるのを感じたのである。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。