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大好きな人ー『十訓抄』ーある仏師のこと

今日、古文の授業で、久しぶりに、『十訓抄』の中の、白河院の御時の話について語りました。

白河院の御代に、法勝寺の九重の塔の金物を、牛の皮で作ったという噂がたった。当然関係者はお咎めがあるだろうとみんなで話していた。そこで白河院は、ある仏師に、その塔に登って、真実を見てくるようにと命じられた。
その仏師は、登り始めたが、途中で引き返してきて言うには、

私のみが無事であればこそ、君にもお仕えすることができます。でも、怖くて怖くて、とても見てくることなどできません・・・。

とわななきわななき報告した。
さすがに叱れなかったのか、白河院は笑って、格別のお咎めもなく、その一件は終わった。ただ、仏師だけは、間抜けだ、どうしようもない奴だと噂され、笑われていた。
まあ、この仏師だって、お咎めがあっても仕方がない立場かもしれない。命令されたことを遂行できなかったのだから。

ところが、ある人物、ー白河院の側近の一人である藤原顕隆卿だけは違っていた。

こいつは凄い奴だ。人が罪を被るところをその件を知って、自分は間抜けのふりをして、人を庇ったのだ。本当に素晴らしい気の回し方だなあ・・・。

たしかにこの後、大したこともなく(今の言葉で言うと、始末書一枚書かされるようなこともなく?)、何事もなく院に長い間お仕えすることができたそうだ。


私は、この話が大好きなのです。
大和魂の極致のようなこの話。
カッコ悪いようで、実は男気溢れる器の大きい男性の話。
想像すると、どうもそうそうイケメンでもなく、スタイルの良い見目麗しい男性ではなさそうな気がします。

まあね、家に帰ったら、いいお父ちゃんではないでしょうか?
誰かを徹底的にかばうために、自分はどう思われてもいい。笑い者にされてもいい。
でも、結構院は、可愛く思われたのではないかな?と思われます。

事柄としてというより、その人から感じる調べというか、雰囲気は何となく伝わってくるものです。
何となく。
本当に怖くて見極めることができなかったのか、それとも心に温かいものがあったのか?
何となく感じられるし、周りの人も笑ってもいい感じ。

こういう人、私は、たった一人だけ知っています。
そうして、今もそうであってほしい。(笑)

誰かのために泥をかぶって、おちゃらけて、誰かが咎められる前にちゃんとその場の雰囲気をコロッと変えられる。
その姿が大好きな人。
もう、考えているとかではなくて、それこそ身体に染みついてしまっているかのように、人が大事で、その場でサッと人を庇える人。

決して人に強く言うタイプでもなく、むしろ誰とでも仲良くする人なのに、こういう時の強さったらありません。
こういう人がしあわせになるのではないかなあ?

なあんて、高校生相手に、熱く語ってしまったのでした!
今日の古文はとっても面白かったらしく・・・。
なかなか国語の指導ができないのが、辛いところです。
ついつい英語と数学に時間が取られますから。

目の前の男子たちは、とっても勉強のできる生徒たちで、もちろん競争のさなかにいる人たちです。
いつも大学受験の話で持ち切り。
少しでも偏差値の高い大学に進学して、できればエリートになって・・・、というのは当たり前に誰でも思うことでしょう。
でも、ほんの少しだけ人のことを思い、だれかのしあわせを先に思って行動する。
そういう人って、その人自身もしあわせなら、きっと周りもしあわせだろうと思うのです。

大和魂について語る、自称大和撫子の私でした!

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