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春です❣️ー春期講習始まってます!今年度の指導からの発見!

受験指導が終わり、これからは新学期に向けての指導になります。

ありがたいことに、こちらから何も言わなくても、春期講習は、どうなっているんですか?と訊いてくださる保護者の方々のおかげで、私は早めに対応することになります。

今年は、コロナがあり、合格後に遠方まで遊びに行くことはないだろうから、また、高校受験や大学受験に合格したとは言っても、どちらも入学後の大変さを知っているので、自ずと入学後のための春期講習をしなければ、ということになり、早くも私は、春期講習中にいます。

生徒さんの動きから、私は、私の得意分野を反対に知ることとなり、この学年の、この教科を担当すれば、一番役に立つ、ということがわかってきます。

コロナの一年前から探っていた、教室の方向性が見えてきたようです。

昨年、経営相談に行っては、揶揄われていました。

この時期に、方向性など考えている人なんていないよ。みんな目の前のことに必死なんだよ!

私は、私に起こった、業者さんとの信頼関係についての疑問や、これから先の話ばかりしていました。

だって、ビジョンがなければ、先はないし、そんな仕事、楽しくない。

いや、何もうちが、余裕だ、などという話ではありません。

何をすれば、一番役に立って、親御さんが、ここに預けてよかった、と思っていただけるか?生徒さんが、成長するのに、私が役立てるのは、どの学年の、どのあたりか?

教科だけではありません。

何をどうすれば、役に立てるか?

ともすれば、教科指導だけになって、点数だけを見てしまいますが、点数だけで合格するほど甘くないのも事実ですし、ここがわかれば早い!というポイントがあります。

それをお伝えするにはどうすればよいか?

そんなことばかりを模索し、あちこちで開催される、無料の経営相談に出向きました。

かつて、新任の学校で経験した、あるいは、それ以降の受験指導で培った勘や、これ!というものをどうすれば伝えられるのか?

今年は幾分、それが掴めてきた気がしています。

昨日、私の苦手なチラシを新聞に折り込んでもらいました。

届くべき人のところに届いてほしい、と願っています。

今回の受験では、私でなければならなかった、と生徒さんも私も思える受験がいくつもあったのです。

そんな受験指導を重ねていきたい。

昨夜、ひょんなことから、高校時代の同級生が、さらに活躍していることを知りました。

実家の父が最期のときを迎えるまでの治療について、お世話になった人です。

私が、自分の教育活動に悩んだとき、私は、かつての高校の同級生や先輩がどんなことをされているのか、ネットで調べました。何かヒントがほしかったのです。

私は、常々、子どもたちを健全に育てるには、教育だけではなく、医療、法曹、行政など、各分野の連携が必要だと考えていました。どれか一つの分野では無理なことがあります。

掛かりつけの先生は、

あなたは、今、塾の講師なんだから(つまりは、学校現場の教師ではなく、生徒指導はしなくていい立場)、教科だけ、教えておいたらいいんじゃないの?

と言ってくださいました。

私がときに、生徒の相談に伺っていたからです。あまりに私が生徒の将来を心配して、どこに行ったらいいのですか?とお尋ねするのです。アルバイト生のこともお聞きしてきて、そのアルバイト生(卒業生)のお母さまが、その結果を待っておられた、などという話もありました。

相談室を開いています。

それは、親御さん、とくにお母さまが変わられたら、生徒さんもガラッと変わってしまわれる、つまりは、私からすれば、非常に効率よく指導ができるし、何より皆様のしあわせを見届けることができるからです。

実は資格を取ろうか?と考えていました。

教員免許だけではなく、公認心理師などの。学ぶことは好きです。

しかし、止められました。

ある出版社の方からです。

先生、資格取ったら、型にはめられますよ!自由が利かなくなりますよ!

この言葉は、3年後の今年、はっきりと目に見える形で顕れることになりました。

心療内科に通ったり、カウンセリングに通っていた生徒さんについて、私は、自分が思いつくまま、あれこれやってみたのです。専門家の意見は意見として、私は、その生徒さんや保護者の方の雰囲気、言葉の中からの本音、わかる限り〔聴き過ぎたら単なる分析になるので、聴きすぎない。)の情報から、心情を理解し、今、この場にいる生徒さんの思考と感性、感情を手繰り寄せ、ときには、失敗しながらも、本当に細い繊細な糸を手繰り寄せるように、焦る心と闘いながら、ちょっとずつ、ちょっとずつこちらに引いていました。

ある日、いくらなんでも、自分が周りからどう見えているかを考えず、そんなことしてたら、どんどん生きにくくなるよ!ということを話しました。

あの日、私は、それまでの関係性に自信があったのでしょうか?自分でもわかりません。

ただ、必死でした。このまま、周りが合わせてくれることに逃げていては、ご本人の主体的な人生がない、と。私は、本音でぶつかりました。

こういう勝負に私は、よく出ます。

今言って、大丈夫だろうか?でも、どうしても、自分の勘が、今だと言っている。

こういうときに、理性は、むしろ邪魔です。感情が大人気ないわけではありません。人間同士、感情に訴えるのは、大事です。

しまいには、私の気持ちはどうなるの!?とまで言います。

教育は、人間関係です。信頼関係です。

そのときの一喝は効いたようでした。

それから、生徒さんは、変わりました。

たぶん、お医者さまが、きちんとお薬を飲んでくれなかったり、言うことを聞かないで、自分の身体を痛めるようなことをする患者さんに叱りつけるときも、こんな心情なんだろうな、となぜか思いました。

それからの生徒さんが乗り越えたことはたくさんあり、見事、名門の大学に合格してきました。

嬉しいことに、先生のところに来るようなってから、どこにもお世話になってない。先生の指導を受けたら、他のところに5回くらい行ったみたいな効果がある、と言ってくれました。

先日は、今までお世話になった方々にご挨拶に行って来られたようです。

やっぱり、私の場合、資格を取ったら、身動きできなくなるな、と感じた次第です。専門家には、ならない方がいいな、と思っています。

たぶん、言葉の力と、生きてきた経験、教育活動から得たもの全てを総動員するのが一番役に立ちそうです。

昨夜、検索したわけでもないのに、なぜか、件の同級生のインタビューが、記事になっているのを見つけました。まだしっかり読んではいないのですが、またまた、何やら進化しているような言葉がありました。

私も、どこかで、仕事の神様、みたいに、尊敬しつつ、勇気をいただいてきましたが、まだまだ進化しておられる方が異分野(私などどう転んでも、なれないし、できない異分野ですが。(笑))でもいらっしゃるのだから、私もまだまだ教育の内容を進化させていきたいと思います。

今年は、ちょっと自惚れかもしれないけれど、私のところに来てくれたから、という受験があり、私の教師としての自信と誇りを取り戻させてくれました。

余分な自信は、進歩の妨げになってはいけないから、適当に置いておいて、教育活動の楽しさ、喜び、そして、やり抜く意欲に繋げていきたいと思います。


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