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「君はモノを大切にしない人だね」捨てられない人間(夫)の言葉を考える

ちょこちょこ捨てる私

私は捨てスイッチが入る前からちょこちょこ捨てています。

くたびれた服、毛玉のついたタイツ、穴の空いたカーペット、少し欠けたお皿、古いタオル、サイズの合わない物干し竿…悩みながらも手放しています。

まだ使えるし、保管しておけばいいのかもしれない。けど、もう今の私にはそれらを「保管」しておくことが耐えられない。

★使われないモノからは邪気が出ている
★使われないモノからの怨念
★雑多にあるモノから受ける刺激
★管理できないストレス
★ぱんぱんに詰まった収納からモノを取り出すストレス
★使わないのにそこにあるストレス

そんな風に「モノ」を捉えてしまうので、捨てたくなります。そして、捨てて得られるあの『爽快感』にハマってまた捨てたくなります。

反対に、夫は全然捨てない。


最近はほとんど買い物をしないヒトですが、大量の趣味のウエアやたくさんのくつ下、大量のエアリズム、たくさんの股引き、踵のすり減った靴たち、この2年間着ていないパンツやコート。一切手放さないヒトです。

「まだ使えるのに」
「取っておけばいいじゃん」
「物干し竿なんて取っておいても構わないのに」
「君はモノを大切にしない」

私はモノを大切にしてないのか?

言われてしばらくは「たしかになーまだ使えるもんね。もったいなかったかー💦

「せっかく買ったんだし、売っても安かったし、取っておけばよかったかな?」と思ってた。

モノを大切にするってどういうこと?

今日、夫の服を畳み直して収納しました。

なぜか?夫は服を片付けない人。洗濯乾燥された服は畳んだり畳まなかったりの状態で積み重ねられたまま。その山を探って着る物を手に取っている日々。おそらく彼もパンツ2枚、靴下2足、Tシャツ2枚で生活している感じです(笑)

過去にその洗濯済みのその山を壊して収納してもすぐに元通り。今回もそうなると分かっていたけどまた手を出してしまいました。こんまり流で畳んで分類して収納。着ているのを見たことがない服がたくさん。

この着られることのない服たちは大切にされているのか?
何年も着られることなくここにいる服たちは大切にされているのか?
収納ケースにきゅうきゅうに詰め込まれた服たちは果たして大切にされているのか?

これは、夫の服を畳んで収納した達成感の後に出てきた感情。

手放したからこそモノを大切にしている!

ベンチ入りすら出来ず、2軍にも入れず、キチキチの収納の中で出番を待つ彼らを畳んでいたら、私の方がまだ夫より「モノを大切にしているじゃ?!」って思いました。

私も着ていない服がたくさんありますが、夫よりは少なめ。存在も大体把握している。だから、夫が言った「君はモノを大切にしていない」ってのは違う気がする。

捨てたり売ったりしてまだ使えるのに手放す行為は、物の所有のみに焦点を当てると確かに勿体ない。捨てられない頃の私もまさにそうだった。

離別の痛みを感じながら手放して1軍だけにした今のクローゼット。「活躍の場」を用意していることは、私にとって「モノを大切にしている」あかし。

手放す痛みを知っているから容易には買えなくなった。欲しい!と思った時に吟味するようになった。本当に必要なのかよく考えるようになった。それが私なりの「モノを大切にしている」行為。

過去の私がたくさん買った服を、今の私が捨てることで残った服を大切にしていく。そのプロセスを夫は「大切にしていない」と非難するけれど、大事なのはアウトカム。いつかこのニュアンスが夫にもつたわりますように。

夫のクローゼット内の不用品たち

そんなに物は多くない夫ですが、使いかけのぬり薬や数年前の処方薬、塗料、使わない趣味のもの、使っていないデスクトップPCとノートパソコン、プレステの空箱、iQOSや iPhoneの空箱、ヘッドセットの空箱、履いていない趣味のシューズ…たくさん捨てられそうな物たちが🤣

いつかスッキリクッキリ捨ててくれる日が来ますように!

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