見出し画像

反転するナショナリズムとコムター


作品名:賀扁I(お祝いの額Ⅰ)

作者:劉庚煜(リュウ・クンユウ) 1995年

 瓦礫の上に建つビルは写真を切り貼りして形作られており、倒れないよう添え木されている。さながらバベルの塔のようである。このビルはマレーシア・ペナン島のジョージタウンに1988年に完成したコムターという65階建のビルである。作品の左側にはおそらく「發揚光大」という文字が書かれており、壊れたタイルと共にビルのコラージュを装飾しており、「お祝いの額」ということだろう。

作者はマレーシアのケダ州出身であり、名前からして中国系と推測される。シンガポールアートミュージアムのホームページの彼の作品の紹介文を引用する。作者のリュウと彼の作品はは「マレーシアのナショナリズムとアジアのアイデンティティに関する問題に深く関心を持っている」ようであった(
https://www.singaporeartmuseum.sg/About/Our-Collection/Bandar-Sri-Tiang-Kolom
2023年9月8日確認)。彼の他の作品を見たところ、伝統と都市開発や科学技術の発展が対比されたような作品が多い。この批評ではナショナリズムとアイデンティティに着眼して批評を進めていきたい。

この作品を分析するにあたり、ペナンの街についても調べてみた。18世紀のイギリスによるペナン占領後、移住の門戸を広く開いた政策により多様な民族が移住してくることとなった(ホイト 1996:35)。中国人、インド人、アラブ人、アフリカの黒人、アルメニア人、ペルシャ人、ビルマ人、スマトラ島に住む人々などが大挙してペナン島に押しかけてきたようである(ホイト 1996:36)。その後1890年以降になると、中国人が急増し、島の人口の半分を中国人が占めるようになった(ホイト 1996:56) 。ジョージタウンの人口構成比は1980年時点で中華系71%、マレー系16%、インド系12%となっている(宇高・東樋口 1995)。 1996年時点でのホイトの記述によると、マレー人、中国人、インド人それぞれのコミュニティで伝統的宗教行事、言葉、方言、習慣や経済機構などが驚くべき程に残っているようである(ホイト 1996:104)。

インターネットでジョージタウンの街並みを調べてみると、モスクや中国の霊廟、ヒンドゥー教の寺院、キリスト教の教会など多様な宗教建築や、色とりどりのショップハウスが賑やかに街を彩り、様々な文化が今も残っているように感じた。

コムター建設が始まった1974年、当時の首相であるトゥン・アブドゥル・ラザク氏はコムター建設のプロジェクトについて次のように語っていたようだ。「このプロジェクトは街の顔を変えるだろう。植民地時代の遺産のイメージから、マレーシアのアイデンティティとその多民族文化を反映するものに変化することに寄与するだろう」
(Komtar: Malaysia’s Monument to Failed Modernism 2016年6月6日
https://failedarchitecture.com/komtar-malaysias-monument-to-failed-modernism/
2023年9月8日確認)
ここでの首相の発言はマレーシアのナショナリズムを喚起すると同時に植民地時代から脱却しようという意思がある。「マレーシアのアイデンティティ」からは、首相はここでコムターをマレーシアという国家の枠組みで位置付けている。

首相の期待とは反対に、コムター建設は成功したとは言い難い結果となった。建設中に火災に見舞われ、2016年時点で複合施設の5つのフェーズのうち2つだけしか完了しておらず、2008年までに40%の業者がコムターから撤退した。(Komtar: Malaysia’s Monument to Failed Modernism 2016年6月6日
https://failedarchitecture.com/komtar-malaysias-monument-to-failed-modernism/ )

完成したビルの都会的なデザインとビルの高さは欧米に追いつこうという、ポストコロニアリズムへのカウンターとしても解釈できるだろう。その一方でビルの都会的な外観はグローバリゼーションの文化の均質化を思わせる。そこに「マレーシアのアイデンティティとその多民族文化」を見出せるか疑わしい。高層ビルが立ち並ぶアメリカのニューヨークや他の国のどこかの都会にあっても違和感のないような外観と感じた。それはまさしく植民地主義的なものに与するということではないだろうか。

首相の発言とビルの外観からの一つの解釈として、植民地主義に対するアンビバレントな態度を見受けられるだろう。理念としては植民地主義に抵抗する一方、グローバリゼーションに取り込まれ、国や地域の特性を無くしてしまうような文化の均質化の流れの中にコムターは位置付けられる。

もう一度作品を見てみたい。作品の中で写真という紙のコラージュで表現されたコムターと、祝額の布やタイルは質的にも対照的にも表現されてる。

祝額は中華風であり、タイルはジョージタウンの街を彩るタイルを思わせる。布もタイルも実際の素材であり、見るものにインパクトを与える。タイルが破片となっているのはコムター建設にあたり取り壊されたジョージタウンの街の一部を表しているのだろうか。

一方ビルは写真のコラージュであり、つぎはぎされて形作られている。ビルの足下の瓦礫もまた、タイルの破片と同様に破壊された街を表している。

以上のことから、コムター建設という都市開発に対して祝額という様式でアイロニカルに批判していると受け取れる。また、これはグローバルとローカルの対立とも解釈できる。先述の通りビルの外観はグローバリゼーションの中に位置付けられるし、祝額の中華風なデザインやタイルの破片はグローバリゼーションと対立するローカリズムあるいは「伝統」でもある。ナショナリズムを喚起しようと建設されたコムターはローカルな視点ではグローバリゼーションの側に立ってしまう。商業施設としてのコムターの失敗は、ローカルに寄り添ったものではなかったことを表しているだろう。ビルの周りのフィクショナルな雲は首相の主張するナショナリズムは本物ではないという比喩であり、コムターがマレーシアのアイデンティティの象徴となることへの批判かもしれない。ナショナリズムとグローバリゼーションという動きが表裏一体であり、ナショナリズムはローカルの視点ではグローバリゼーションとして写ってしまう。

ここでの祝額は本当にペナンあるいはジョージタウンの地域性や、歴史を反映したものかというのには疑念の余地が残る。ジョージタウンの住民の大半は中国系であるため、中華風な祝額というのはその人口割合を反映したものかもしれない。ただ、マレー系やインド系の住民もペナンに多く存在しており、その存在を反映できているとは言えないだろう。ペナンに中華系の住民が増えたのも19世紀の終わり頃であり、歴史的に地域に存在した民族とは言い難い。コムターはグローバリゼーションや植民地主義を前にナショナリズムを喚起したが、本作品により、ローカルの視点からその虚構性を指摘されることとなった。だが、ナショナリズムと対峙したとき、ローカルそのものも作られているのではないだろうか。ローカル内部の多様性は軽視され、ローカル内部のマジョリティがローカルを代表してしまう。その危うさはこの作品以外にも当てはまる事例は現実にあるかもしれない。大堀はローカル・アイデンティティという概念に対して「本質化が起こると、集合レベルのローカル・アイデンティティは、個人に対し排他的・差別的に作用する危険性がある」と指摘している(大堀 2011)。大堀は沖縄や釜石市の事例をもとに本質化についての指摘を行っているが、たとえ本質主義に陥らなかったとしても集団としてのアイデンティティという概念そのものが何かしら排他性を帯びているのかもしれない。

少し飛躍するが、フェミニズムの歴史の中で黒人女性が取り残されたことがあったように、ある特定の考えや社会の制度に対立しようとする時、対立のために団結した集団は排他性を持ちうることに似ている。

作者のリュウは他の作品ではマレーシアの「伝統」や、マレーシア「らしさ」をアピールするためにサンスクリット文学や他の中華系以外の文化を引用することもあるようである。ただ、この作品はペナン・ジョージタウンという「ローカル」を主題にしている点で(筆者が探した限りでの)他の作品と異なると感じた。また、彼はこの作品では国の政策を批判していると受け取れるが、彼の他の作品を見ていると愛国心を感じるものが多い。批評を書いていて、アイデンティティという概念のつかみどころのなさを感じた。

引用文献

宇高雄志・東樋口護 1995「マレーシア都市における多民族居住と居住空間 ジョージタウン市の都市街屋地区の高密度民族混住の実態を通じて」『都市計画論文集30 巻 』pp. 487-492

大堀 研 2011「ローカル・アイデンティティの複合性 ―概念の使用法に関する検討―」『社会科学研究61 巻 5-6』 pp. 143-158

サリーナ・ヘイズ・ホイト 1996 『ペナン 都市の歴史』学芸出版社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?