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夜風とウイスキー

仕事柄、色々な人と会ったり連絡を取ったりすることが多い私は、一日が終わった夜の時間に「一人反省会」をすることがあります。

遅く帰ってきた時はシャワーを浴びながら、比較的ゆっくり過ごせる時は、お酒を飲みながら。「あの時もう少し気を利かせてこう言えばよかったな」とか、「あとで感謝の気持ちをメールで送っておこう」とか。

テーブルに向かうと、それこそ何かをしなければいけないような気がしてしまって、携帯を見たりパソコンを開いたりしてしまうので、考えごとをする時間は部屋の窓をあけて夜風を浴びてぼーっとします。

夏はビール、気分によってはワイン、寒くなってくればウイスキーをストレートで1杯。
実はお酒のなかで焼酎がいちばん好きだけれど、外食しないと飲みません。
たぶん、焼酎って料理の邪魔をしなくて、食事の美味しさを味わうためにあるのだと個人的に思います。
だから、結局は飲むより食べることが好きなんです(笑)

ちなみに我が家にはテレビがなくて、今から10年前に一人暮らしをはじめてから引っ越しをしても、テレビは買っていません。
実家に帰ればテレビをつけて、CMすらもすべて目新しいのでじっと見入ってしまうようなかんじです。
「へー。こういうのがいま流行ってるんだ」とちょっとお洒落な気分になります。

話を戻して、私が考えごとをする時は、シャワーの時か、夜風酒(よかぜざけ)の時が多いのですが、その二つのパターンには思考をする癖というか、気分の違いがあるようです。

将来のワクワクするようなアイディアや、明日やりたいことを思いつく時というのは、必ずシャワーを浴びている時。
※湯船に浸かってる時は、むしろ何も考えられません

対して、夜風酒の時は決まって後ろ向きな思考です。

ポジティブの反対はネガティブで、じゃあネガティブなことを考えているのかというと少し違っていて、だいたいは「誰か」に想いを馳せて、勝手にその人のことをもっと好きになったり、人間性を愛おしく思ったり。

ただの妄想、またはお節介というのか、ものすごくくだらないことを考えるだけであって、それが誰のためになるものでもありません。
例えば「あの人があの時こう言ったのは、こうだったからなんじゃないか」というふうに。

少し前に、図書館で中村政人さんの写真集を手に取ったことがあり、「明るい絶望」というタイトルに惹かれました。
まさに私の人生観が言語化されたような気分でした。

そもそも自分は、人が生きていくためには希望が必要であって、朝はその希望と共にベッドから起き上がることができればなと思っているのに、実際にはそんなものは感じたことがありません。
矢印は終わりに向かっていて、それならばずっとここで寝ていたい。と思うのです。

そもそも、誰かのためにと生きていける人生が一番の幸せというか、それが生きる目的となるものだろうと自分は信じている(たい)のに、私は「あなたのためを思って」という言葉が苦手です。
あなたのためにと言われた人の気持ちは、それが嬉しかったのか、そんなことはなかったのか、はたまたありがた迷惑であったのか。
その真相は、その本人にしか分かりません。

何か自分にトラウマがあるのかといったら、深く考えたこともないし、多くの場合は、そんな卑屈なことにはなりません。
日々、純粋なありがとうの交換をしています。

だから、私のモットーは「暇があれば行動せよ!」です。
意識高い系のそれではなく、人生暇つぶしなのです。

他人に生きる目的を委ねるのってどうなのか。
いつか、こんな考えは馬鹿らしかったなと思う時が来て、「自分のために」と割り切れる時がくるのだろうか。
そんなことはないと輝かしい生きる目的が見つかるのか。
そのバランスが分かってくる時がくるのか。

そんなことを考えていたら、向こうのほうからお風呂上がりの石鹸の香りがしてきます。
ふと思考の旅から意識が戻ってきて、現実にあるいちばん身近な“幸せ”に気付くのです。

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