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④記憶の整理『引越し』

6歳の頃、

父の実家に引越しをした。

「田舎のお爺ちゃんが病気になって、
お婆ちゃん一人では大変だから手伝いに行くんだよ。」

と、父に言われたのを覚えている。

まだ霧のかかる早朝、
三菱の乗用車に荷物を詰めて、
ペットのインコ、チーちゃん を足元に固定して、

社宅のお友達が見送ってくれた。

鏡に写って

小さくなっていく姿を

ずっと見ていた。


途中、串に刺して焼いた鮎とラーメンを食べた。

夜、実家に着いた。

縁側から、初めて見た祖母が顔を出していた。

二階の部屋を案内された。
凄く寒かったのを覚えている。


保育園の毛糸の帽子がどうしても嫌で、
通園路が怖くて、
変な言葉を話す人達が嫌で、
初めて聴く変な音楽で
変な踊りをさせられるのが嫌で、

登園した初日から

暫く毎日泣いていた。

母に巻き付いていた腕を

無理矢理剥がされて、

母が帰って行く後ろ姿を

毎日泣きながら見送った。


クラスに、とても背の高い
とてもぶりっ子な子がいた。

私はその子が嫌いだった。

私のお世話をしようとしたから。
トイレや、お掃除、お弁当の時も
その子が隣で、変な言葉で話しかけてきたから。

ある日、その子を後ろから押した。

壁に顔面をぶつけた。

その子は、前歯を折った。

せんせー!

と言って泣いてた。

その後の事は覚えてない。


粘土遊びで、

お片付けの時、使った粘土を
綺麗な四角形にして片付ける決まりがあった。

私は、

それが出来なかった。

皆が簡単に作る
綺麗な四角形が、
私にはどうしても

出来なかった。


6歳の夏頃には、保育園にも慣れ、
母は美容師の仕事をして、
お迎えは、姉や兄が来る様になった。

卒園式、
「お花屋さんになりたいです!」
と言った。
でも本当は、ケーキ屋さんになりたいって言いたかったけど、
お友達が先に言ったから、変えた。

一緒が嫌だった。
お友達の事は好きだったけど、

同じが嫌だった。


なんでだろう。


自分の事を『私』
と言うのが気持ち悪いと感じたり、

綺麗な四角形を作るより、
粘土のシワが気になったり、

お友達とのお揃いが嫌だったり。

羨ましい  とか、何で?  と言われるのが、

何故だか嬉しかった。


そんな子供。


その時の、家の中の事は、

覚えてない。








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