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超個人的ニュース2023

トップ画像は初詣に行ったイオンモールから見えた富士山です。

2023年も終わってしまったので総括をしようと思う。2023年は頭から足先まで無職の年だったので特に何も起きなかったが、今までの人生とは僅かに異なっていたり、小さい時から憧れの人に会えたりと何も起きなかったわけではなかったと思う。

レッチリのライブに行く

中学生の時から好きだったRed Hot Chili Peppersのライブに2月に行くことができた。実は2011年のサマーソニックでバンドとしては見たことがあったのだが、John Fruscianteが復帰してからは初めての観戦だ。私は何よりもJohnのギターが好きでほとんどイエス・キリストだと思ってるので、彼のギターソロを生で聴けただけでもう思い残すことはない。ライブ当日は本当は音漏れを聞きに乞食参戦しようと思ってたのだが、東京ドーム周辺をウロウロしてたら参加席という名の1万円の当日券が出てることを知り購入してみた。ほとんどステージが見えないという説明だったが全然見えたし、隣のS席とほとんど変わらないアングルなので大満足。EddieとSoul to squeezeのギターソロがすごく良くて、宇宙に近づけた気がする。


いろんなウイスキーを嗜み始める

ちゃんぽんちからさんというTikTokerかインスタグラマーみたいな人の動画がサジェストで回ってきたのを機にいろんなウイスキーでハイボールを飲むようになった。彼はすごく美味しそうにハイボールを飲む。最初は彼おすすめのウイスキーを何本か買って、それからは自分のフィーリングで買うようになった。自分は酒は飲む専門で知識は全くないのだが、色々な種類を飲むうちに不思議と違いがわかってくるものだ。偉そうなことを言っているがハイボールを缶で買うと高いので普通に自分で作りたくなったっていうのもある。おそらく1年で10瓶ほど完飲したと思うが、特に安くて美味しかったのはBUSKERかなあ。最近だとTALISKER10年が好き。そういえば今年は白州ハイボールの缶が出ましたね。600円もしたけど美味かったので1人で10本ぐらい飲んだと思う。


化粧水を付け始める

思えば30歳前後ぐらいから周りの同世代の男友達はほとんど化粧水を付けていると言っていた。私は九州男児なので「そんなもん男がつけるもんじゃねえよバカタレ」と思っていたが、自分にも焼きが回ってきた。目尻のシワが、おでこのシワが気になってきた。オードリー春日さんはおでこの3本ジワをひどくコンプレックスに思っているのでイジられると大きな声をあげてしまうが、その気持ちがわかってきた気がする。自転車にたくさん乗る生活を送っており、夏は日焼け、冬は極度の乾燥に晒されるので肌にとっては悪いに違いない。なんとか抗う入門編として化粧水を付け始めたわけだ。どれを選べばいいかわからないので男性化粧品といえばでパッと思いついたBULK HOMMEのものを選んだ。こんな時、地道なブランディングは大事だなと思う。とは言っても私の顔面はそのほとんどの季節でヒゲに覆われているので、実際に化粧水を付けることができるのは2ヶ月間で1週間ほどだろうか。つまり42/365日しか実際には付けられていないわけで、事実まだたっぷり化粧水は余っている。ごめんね化粧水。


浅く勉強を始める

無職ということで時間が腐るほどあるのでお勉強を始めた。まずは数学。高校1年の時に全く意味を感じられず投げ出して以来の数学の勉強。さすがに15歳の時よりは何かを理解できた気はするが、そこまで成長もしていない。数検2級を受けたが落ちた。久しぶりに試験に落ちるという経験をしたが特に悔しさすら感じないダメな大人になっていた。でも数学自体は好きなのでNHKの「笑わない数学」という番組にハマっていつも見ていた。シーズン3も期待したい。あとは統計学。もう学び始めるのは3回目ぐらいなので徐々に用語とか考え方が頭に入り始めたが自分の道具として使えるかというとそんなレベルには達していない。そしてAI・ディープラーニング。これは在職中からシコシコと勉強していたのでなんとなくは知っており、文系が辿り着ける場所がどんな所かは理解できた気がする。ただやはり数学の理解とPythonを書けるか否かがこの分野の本質だと思うので、そこにはもちろん全く到達していない。ということで何も得ず、ただ薄く回遊するような勉強をしてしまった。勉強ってどうやるんだっけ。


盆栽を買う

以前から気になっていたが盆栽を買った。まずは大宮の盆栽村に行って盆栽とはなんぞやということを知り、いろんな盆栽園を回った。盆栽とは自然の縮図であり、生死であり、コスモであると学んだ。東京では小林さんという世界的にも有名な盆栽師の美術館にも行き、たまたま本人がいたので30分ぐらい色々お話しさせてもらった。そしてタダで盆栽の苗をもらい、だったら自分でも買おうと思い上野のグリーンセンターで2つ盆栽を買った。残念ながら師からもらった苗は枯れてしまったが、自分で買った2つは冬の今でも葉をつけて頑張っている。1日1回の水やりというルーティーンは一つ増えてしまったが、慣れればなんてことはない。これから30年ぐらいは生きてほしいものだ。小林さんもおっしゃっていた。1億円の盆栽を作ったが、それまでに1億円以上は枯らしていると。


服や靴の大規模断捨離

無職ということで一度清算しようと思い服やスニーカーや本を大量に売った。結論から言うとスニーカー6足で9万1194円、服16着を5万9532円、本10冊を1万1734円、計16万2460円で売れた。スニーカーはNIKE中心でスニダンで売却、服はメルカリとか原宿のショップで売却、本はメルカリと売れなかった分はブックオフに放り捨てた。原宿のリセールショップでは最初服4着で2万円と査定されたが、20分ほどゴネたら3万2000円まで上がって楽しかった。店長さんに「うちではこれが限界っすね〜……」と言われたら「あと5000円どうすか?」とお互い苦しそうな表情をして体をくねくねさせ掛け合いするのは将棋のような経験だった。もう少し上を目指せた気がする。そしてアンカリングの重要さを知る。


食事の記録をつけ始める

自分が普段スーパーで半額の弁当を2つ買っていることは健康的に正しいのか常々疑問に思ってきたので食事のカロリーを毎食計算するようにした。あすけんというApp Storeで評判の良さそうなアプリを入れて毎日記録している。わかったことは外でも家でも酒を飲む時は一食で3000kcalを超えていること、コンビニやスーパーの飯を食った時点でもう塩分や脂質は基準値を超えてしまうこと。つまり理想の食事とは病院食なのだ。「でも病院食を食い続ける人生でいいのか?」と心の中のYAZAWAであったりリトルホンダ的なものが自分に囁いてくる。そしてその心の声に従い、相変わらず暴飲暴食しながら暴飲暴食の記録をつけているのだ。ただ、記録をつけ始めただけで体重は5kgほど減った。信じるか信じないかは、あなた次第です。


ばあちゃんが死ぬ

これはこの並びに入れるのは不適切かもしれないが自分の中では大きな出来事だったので入れておく。自分が仲良い親族では初めて亡くなった人だった。ばあちゃんの家は実家から車で2時間ぐらいの山奥にあるのでそんなに頻繁に会えたわけではないが、会えばちゃん付けで呼んでくれてお小遣いを渡してくれて可愛がってくれた。お前は生きてるだけで素晴らしいんだと無意識のうちに肯定してくれた一人だなと今振り返って思う。最近はなかなか会えていなかったが、晩年は糖尿病が悪化して片足を切断し、自分の息子であるうちの父親に会っても誰だかわからなくなっていたらしい。90歳前後だったようなので当然といえば当然なのかもしれないが悲しい。爺さんは見たことないのでおそらく早くに亡くしているし、息子と違って頭が良かったらしい娘さんも20歳ぐらいで亡くなったようなので俺が想像するよりタフな人生を送ったんだろうなと思う。うちの父親が体罰全盛期の鹿児島実業高校でサッカーやってた時、骨折してるのに外周走らされていると知ったばあちゃんは激怒して学校に乗り込んで行ったらしい。このエピソードが好きだ。葬式には来なくていいと母ちゃんに言われたので行かなかったが、今年は墓参りには行きます。ちなみにばあちゃんの息子である親父も糖尿病を発症したが、怖くなって食生活を改善して激痩せしてるらしい。逆に心配になる。


人生で初めて炊飯器を買う

きっかけは日本M&Aセンターかどこかの株主優待で米が5kg送られてきたことだ。桐谷さんと違ってあまり優待とかは気にしていないのでいきなり家に米が大量に送られてきた時は、無職を心配した母親が飢餓を危惧して食糧を支援してきたのかと思った。米があっても炊飯器がないと食えない。というわけで安心安定のニトリで新生活開始者向けの小さい炊飯器を買った。今までは土鍋で炊いたり、サトウのご飯をレンチンして食っていたわけだが、炊飯器で炊いたご飯は美味しいと知った。特にべちゃべちゃ系の米が好きな自分としては、水を多めに入れると自分好みになるということはエポックメイキングだった。世の中にはまだまだ自分の知らないことがたくさんある。納豆とレトルトカレーしか食べないのだが。


睡眠環境、改善される

まず彼女にちゃんとしたマットレスをプレゼントされた。彼女は私の大型バイクのようないびきと睡眠時無呼吸症候群のデュエットに私よりも苦しめられている人物であり、一昨年の誕生日にはカスタム枕、去年のクリスマスにはBAKUNEという一般医療機器のパジャマを贈るほど睡眠環境の改善に力を入れている。今まで使っていたマットレスは大学の寮に住んでいた時に母国に帰る留学生がゴミ捨て場に捨てていたものを拾ってきたもので、それを洗わずに10年以上使い続けてきた。そして改めて調べてみるともはやマットレスではなく敷きパッドだったことが判明した。そんな得体の知れない薄パッドからあまりにもボリューミーなマットレスに進化したので私の体は一時的に驚いたものの、睡眠は深くなった気がする。もう一つの理由としてはポケモンスリープを始めたことだ。やはり何かを育てることで人は変わることができる。カビゴンを育てたい、その一心で1分でも多く寝ようとしている。無職という状態への不安から、これまでの平均睡眠時間は4時間半ぐらいだったが、今は6時間以上寝れるし7時間寝れる日もある。キャンメイクトーキョー風に言うと、睡眠で不安は消せる!


株の損を知る

自分は今まで(今も)雰囲気で株をやってきたので、なんとなく儲かってはいるだろうなと思って生きてきた。しかし無職ということもあり、サイバーエージェント株で70万円ほど損切りしたこともあり、一度自分の成績を計算してみようと思ってスプレッドシートをタンタタンした。するとどうだろう。8年ほど株を運用してきて16万円損していた。なんだろう、この微妙な額は。損はしているんだがそこまで大金かと言われるとそこまででもない。でも損は損である。悔しいというより恥ずかしかった。この8年という間、きっと日経平均とかS&Pとかに無難に投資していればアベノミクスの追い風もあり普通に儲かっていただろう。インデックスが結局儲かるという本は何冊も読んだし、研究結果も知っている。それでも個別株を買いたい、自分を信じてみたいというワガママを貫き通した結果であり、数字は嘘をつかない。砂に還ろう。そこからやり直そう。みんな新型NISAとかに騙されるな!株はクソだぞ!政府に騙されるな!


奨学金、完済

大学5年生の時に借りた奨学金96万円を完済して綺麗な体になった。自分の株の不甲斐なさを知ったことを機に金利について学んだ結果、もうそろそろ日本の金利は上がるだろうなと思い、その前に借金を返しておこうと踏んだわけだ。今まで数年にわたって毎月8000円ちょっとずつ返していたわけだが、しゃらくさくなって残額を一括返済した。今となっては96万円など大した金額ではないかもしれない(嘘)が、大学5年生の当時は月8万円の収入が湧いてくるのは大きかった。大学4年間、特にバイトもせず学費とは別に月13万円の仕送りをもらっていたが、5年生になると同時に親からの支援は当然打ち切られた。住んでいた寮も追い出され、4月と5月は友達のアパートに住所不定の居候をし、その残り1年は東村山の兄ちゃんの家に住み着いた。たまたま兄ちゃんが福岡に1年仕事で行くことになり、いわばハウスキーパーとして転がり込んだわけだ。週3日大学に行き、週4日はバイトで休みが1日もない生活を送っていたように思う。バイトの収入も15万円前後しかなかったと思うので、そこへの+8万円はありがたかったし心に余裕を与えてくれていたかもしれないと今になって思う。


NY一人旅

現段階で一番行きたかったNYに円安ゴリゴリの状況で行ってきた。80万円ぐらいかかったが行って良かった。世界の中心とはどんなもんかというのを見たかったし、実際に世界の中心だと思わされた。一番思ったのは人種の豊富さ。ロンドンで感じた時より全然人種の層が広くて、多様性とはこのことだったのかと思い知らされた。そりゃあこんなバックグラウンドが根っこから違ういろんな人がいろんな考えを持って生きているアメリカという国は総体として強いだろうなと思った。当たり前のことなんだけど日本にいたら感じづらいことを圧倒的に感じれて良かった。日本に早朝に着いて通勤ラッシュの電車で家に帰った時の閉塞感と同質感はつらかった。そりゃあ「アメリカでは〜。NYでは〜。blah blah blah」って海外かぶれになる気持ちもわかる。もちろん観光も楽しかった。そしてニューヨーカーは意外と優しい。


冷蔵庫の霜を駆除

死活問題だった。うちの冷蔵庫は入居した時からある備え付けのもので正方形で小さい。その約6分の1を占める冷凍室から9年かけて霜が溢れ出し、気づいたら冷蔵庫の半分以上を支配されていた。もちろん食材を入れるスペースなどないし、数少ない食材である納豆や卵が凍り始めていた。まだ暖かった11月に冷蔵庫の電源を落とし、扉を開け放ち霜の駆除を開始。民家の軒下のスズメバチの巣を撤去するハンターのような気持ちだった。永遠に溶け出してくる水をタオルに吸わせ、30分ごとに交換する献身的な看病をした。56時間後にようやく氷が取り外せる状態になり、冷蔵庫の平穏を取り戻せた。溶かしてみてわかったが、氷塊は冷蔵庫内の電源コードや数年前の冷えピタなど全てを取り込んで成長しており、人間の怠惰さを養分としていたモンスターだった。


ノエル兄貴に再会

元OasisのNoel Gallagherさんが来日したのでライブに行ってきた。Noelさんとは2012年にMステの観覧に当たって3mほどの至近距離でライブを見て以来だ。今回の席は3mの何倍も遠い席だったがすごく良かった。まずめちゃくちゃ声出てた。弟のLiam Gallagherさんは喉の調子に波があるタイプだが、お兄さんはプロ意識が高い。セトリも前半はソロ曲で、後半はOasisの曲もたくさんやってくれた。The Masterplan, Little by little, Live foreverも聴けたし、最後はDon’t look back in angerの大合唱で無事に昇天できた。MCでは彼の会話のほとんどを占めるマンチェスター仕込みの生Fuckingも聞けて興奮した。ライブのために事前に歌詞の意味を日本語でちゃんと理解したら新しく好きな曲もできた。ライブはいい。


Supremeの並びに初参戦

世界的大人気World FamousストリートブランドことSupremeの並びに初めて参戦してきた。Supremerと転売ヤーがこぞって求める人気商品のボックスロゴのアイテムが発売されるためだ。正直欲しくもないし、買えても着ないのだがこれはもう祭りなのだ。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々なのだ。当日は朝7時に原宿に行くも、すでに行列は明治通りから表参道ヒルズまで伸びていた。40分ぐらい並ぶと怖い店員さんに辿り着き、番号をもらってそこからは待機。11時前ごろに番号ごとに入店順が発表される。自分は1000番目ぐらいの入店だった。初参戦だったのでこれが何時頃になるのか、そもそも在庫はあるのかわからなかったのでそこからひたすら待った。あんなに何かを待ったことはないかもしれない。結局入店できたのは夕方5時ごろで、希望のサイズでもカラーでもなかったがアイテム自体は買えた。自分の10人ぐらい後ろで売り切りてるのを見て、謎の達成感を得て帰宅した。シンプルなアイコンに振り回される虚無感もあるが、それはなぜか少し心地のいい麻痺性のあるものである。すごく疲れた。


こう書いてみるとばあちゃんの死以外は客観的に見てどうでもいいことばかりで、いかに無職の1年が何の実りもない1年だったかがわかる。一方で果たして仕事があったとしてもどうせこれらのことを自分の中でニュースと書いてしまうだろうし、自分の中ではささやかな変化だったのだろうと思う。2024年も頑張ります。

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