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英語教育2020年1月号

初めて投稿をしようと思ったきっかけは、タイトルの雑誌を読んでいる中で、中嶋先生のことばに刺激されたからである。以下に引用する。

「書くことは、学び方や考え方を学ぶことであると同時に、自分自信を綴ることであり、自分の生き方そのものなのである。」

よって本日より、書くことを始めてみようと思う。まずはその記事が載っていた雑誌について書こうと思う。

3つの特集が組まれており、1つ目の「教師の役割・教室の役割」から。

 頻繁に出てきた言葉が、「オンライン」「自律」であるように思えた。以上2つの言葉について記事に触れながら綴りたいと思う。

①オンライン

 水面下では、教育においてオンライン教育の必要性が叫ばれていた中、なかなか政策としても、教育現場としても舵取りができずにいたように思える。オンラインをどう定義するかは難しいところであると思うが、今回は、同時双方向型の機能を持つアプリを利用して授業を受けていたこともあり、そこに絞って述べる。

記事の中でも、柳瀬先生が「オンラインでの生中継配信」という言葉で違和感を指摘している(柳瀬先生はオンラインによる授業の可能性は認めている上で)。

違和感は以下の4点である。

1.1. 精密なアイコンタクトがない

 目と目が合うということは、互いを受け入れ合う安心の印である。

1.2. 声が機械のボリュームで調整される

 教師の声が学習者に届いている様子が確認できない。

1.3. 距離の微妙な感覚が失われる

 対人距離は繊細なもので、オンラインによって固定化された距離感は、教師も学習者も距離の変化に伴う心情変容の感覚を忘れてしまう。

1.4. 教師と学習者の雑談が生まれにくい

 教師が学習者の筆箱を見て、「それかっこいいな」「でしょ!」という、コンテクストから生まれる発話が固定される画面からは生まれない。

以上を総括して考えた時、画面越しではなく、生のコミュニケーションの持つ力を教室や学校で体現すべきだと述べている。

さらに最後には、「こんなことは理想であろう」と考える英語教師に対して、そんな英語教師は機械に取って代わられるべき存在に過ぎないとし、誌面を締めている。

②自律

 自分の中で、「自立」と「自律」の違いは何かと問われて詳しく述べることがでる自信は無い。しかし「自律」について述べられているページがあったのでここではそれを指すことにする。山本先生が「自律型学習者とは、より良い選択肢を選び、自分をコントロールしながら行動できる学習者を指す」と述べている。

※より良い選択肢を選ぶ:何かを学ぶ時に、何かを学ぶ時に適切な方法を選択できる。

※自分をコントロールする:感情と時間をコントロールする

このような自律型学習者を育てる上で、授業で教師の役割を3点述べている。

2.1. 学びの安心・安全の場を作る

できないことから学びが始まるので、できないことを否定しない。

2.2. 学習者が目標を持てるよう支援する

学習者が「なりたい自分」を持てるようになると、「学びたい」気持ちが生まれる。

2.3. 学習者が目標を達成するのを支援する

教師は、学び方の修正や、情報提供をしながら学習者と併走する。

最後に、自律型学習者を育てるためには、教師が自律型になる必要があると誌面を締めています。

以上2つの言葉、「オンライン」「自律」は以前から、研究分野ではその必要性が唱えられていたが、現場はそれらを取り入れることに慎重であるような気がしていた。例えば、「自律」という言葉を使用した時、教師はどこまで学習者に任せればいいのか、これを学習者に任せてしまって大丈夫だろうかと、心配になることがあると思う。教師の癖として、中嶋先生は、「喋りたがる、教えたがる、仕切りたがる」”SOS”と評している。一方で、生徒は、「気付きたい、関わりたい、決めたい」3つのKを求めていると述べている。ここには、大きな溝があり、学習者が自律型になるのを教師が少なからず妨げているように思える。

 「自律」が全て正しいと思っている訳でもないが、考える余地はあると思う。さらに「自律」を「何でも1人でできること」というように誤解されても困るのでもう一度、ここでの「自律」の定義を確認しておく。「より良い選択肢を選び、自分をコントロールしながら行動すること」であり、何も1人で全てことを行う必要はない。自らの学びの過程の中で助けが必要であれば、周りに助けを求める。これは、自分1人で行うより他者の手助けを借りて行う方が、より良いと判断したことになる。

 まだまだ考えたいことはあるが、もっと十分な知識をつけてこの問題には取り組みたいと思う。

参考文献

『英語教育2021年1月号』大修館書店

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