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「君たちはどう生きるか」の感想と考察とか

※この記事は7/14公開のジブリ作品「君たちはどう生きるか」のネタバレを含みます。ご注意ください※

映画館でジブリ映画を見るのは本当に久しぶりで、最後に見たのは「借りぐらしのアリエッティ」だろうか。
全てを網羅している訳ではないものの、ジブリ作品、また宮崎駿監督のアニメには、歳を経るごとに触れてきた。
テレビでは今日まで繰り返し放送され、多くの人にとって、ジブリ作品は身近で親しみ深い存在だと思う。
「となりのトトロ」をはじめ、可愛らしいキャラクターや分かりやすいストーリーは子どもにも支持され、実際、「君たちはどう生きるか」の劇場にも、親子連れは多く見られた。

しかし、「君たちはどう生きるか」上映後の劇場は、大人も子ども静かに口を閉じ、なんとなく目を伏せたまま、劇場を出るのであった。

鑑賞後の率直な感想は、こぼれてしまった微笑みと、「すごいな」の一言だった。

これは、考察なんてせず、その感想だけを持ち続ける作品なのかもしれない。
それでも何か書き留めておかなければ、自分の中に浮かんだこの柔らかい気持ちを忘れてしまいそうで、記事を書くことにした。


「君たちはどう生きるか」は、ほとんど内容のプロモーションをすることなく制作され、上映するに至った。
どんな内容なのか?そんな疑問と期待を吹っ飛ばすほど真っ直ぐに、恐らく宮崎駿監督が経験してきたこと、伝えたいことを詰め込んだ作品だったと思う。

ここから書くことはすべて、私の勝手な感想と考察のため、注意いただきたい。

「君たちはどう生きるか」には、これまでのジブリ作品のオマージュ、想起させる構図や、カットが多く見られる。
塔の穴の中に入っていくシーンは、藪の中に入りトトロを探しに行くシーンと似ていたり、眞人の母(に見えるもの)が触れると溶けてしまう箇所は、絶望したハウルが溶けてしまうシーンに似ていた。

全くの新作でありながら、どこかで見たジブリ映画と重なる。それでいて、大まかなストーリーの流れはわかるものの、ふしぎさがまとって理解が追いつかない。
この現象に、私を含め多くの人が困惑したのではないかと思う。
劇場を出た後、一緒に観た夫は「かわいいの(わらわら)が出てきて良かったけど、あとは難しくてよく分からなかった…」と呟いた。

おそらく、「君たちはどう生きるか」は、1回見た限りで理解できる内容ではないし、子どもだけでなく大人も解釈が難しい作品だ。
だからこそ、作品のことをより理解するためには、意図を汲み取って考える必要がある。
宮崎監督は、この作品で何を伝えたかったのだろう?ということだ。
様々な方面から考察できると思うが、私はキャラクター達の関係から解いていきたいと考える。

主人公の眞人は、3年前に母を亡くし、疎開のため新しい母夏子とお世話の婆たちが暮らす古い屋敷へ引っ越してきた。

母を亡くした悲しみは癒えぬまま、転校してきた学校で馴染めない眞人はイジメに遭う。
横柄な父の態度のせいもあったが、眞人は他人のせいにならないよう、石で自分を傷つけ、顔に残る傷を負ってしまう。
父、正一は息子を信じようとせず学校へ行き、あまつさえ金で解決をつけてしまう。

思春期に入ると、自分は子どもでなくなっていくと気づき、大人のことを理解しようとする。  
しかし、大人はいつも子どものことばかり見てはいられない。
子どもが成長していくにつれ、1人の人間として認めるべきであるが、そんなに余裕のある大人ばかりではなく、多くの場合、自分のことで精一杯である。  
父、正一は眞人のことを愛しているのだが、そればかりに気を取られ、彼が何故そういう行動をとったのか考えが及んでいない。

眞人が自分を傷つけた行為には、他人を庇う意図だけでなく、父に対する反抗の現れ、傷を作ることで自分の思いに気づいてくれるのではないか、という「悪意」が存在するのだ。


夏子と正一が夫婦となる過程について、映画で詳細は示されない。
だが、2人が愛し合う所を見かけた眞人が、苦々しい表情浮かべるシーンがある。夏子のことを「父さんが好きな人」と称する場面もある。
夏子と正一が親愛な関係にあり、眞人がそれに複雑な感情を抱いていることは間違いない。
夏子は、姉の子である眞人に対して、愛情を注ごうとする。
しかし、眞人はその愛情を受け止められない。母の死を忘れられないだけでなく、父のことも複雑に思っている中、夏子に対しどうすればいいのか分からないから。
夏子は眞人に献身的に接していたものの、その素っ気ない態度に、自分が存在すること、子どもを産むことに対し、不安を覚えていく。


よく「生と死は隣り合わせ」と言われる。
同じ家系の産まれてくる子を待つ夏子、既に死んでしまった母は、おそらくとても近いところにいたのだ。
だから、「下の世界」に呼び込まれたのではないかと、私は考える。
下の世界でのことについては、あまりにも内容が詰まりすぎているため、この文では触れない。うまくまとめられる自信もない。
ただ、この「下の世界」の出来事を通して、キリコやヒミに諭され、眞人は自分が夏子のことをどう思っているのか、少しずつ分かってくる。

「下の世界」を抜け出す時、ヒミ(眞人の母)は眞人を産めるなら火事で死んでも構わないと笑う。
この言葉は、決して嘘ではないだろうし、眞人が母の死を受け止められたのは、母との邂逅あってこそだろう。
しかし、この言葉で救われたのは眞人だけでなく、夏子も大きく救われたはずだ。

 夏子だけでは無い。子を持つ親と、産まれてきてよかったのか悩む子、その他にも、救われた人が多くいるのではないだろうか。

 つまるところ、宮崎駿監督が見せたかったものはこれなのだ。
 自分が生まれた意味、生きていく理由、愛されるということ。自分の複雑な感情に整理をつけること。悪意があることを自覚し、それを持って生きていくことなのではないか。

眞人がヒミ、夏子、キリコと、大叔父や父と、そしてアオサギと接する中で学んだ感情は、これからも彼自身の核となっていく。
 そして彼は、私たちにもバトンを渡してくれたのだ。

「君たちはどう生きるか」

 分かりにくく思う人は多いのかもしれないけど、この作品に心動かされる人は多くいるだろう。もちろん、私もその一人だ。
 産まれ、死に、そしてこれからも生きていくあの物語を、もう一度見に行きたいと思っている。


ひま餅


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