太平洋戦争、ミッドウェー海戦

【ミッドウェー海戦】
 太平洋戦争の転換点となったのが、1942年のミッドウェー海戦です。ミッドウェー海戦までの日本軍は、真珠湾攻撃、マレー沖海戦と連勝を続けていました。ミッドウェーとは、ハワイ近くの米軍基地があった島のことです。そこを占領出来れば、いつでも、ハワイを攻撃することが出来ました。ハワイには、アメリカの軍事拠点があったとされています。日本軍は、アメリカ軍を誘き寄せ、空母を壊滅させようとました。
 当時、海上戦の主役となっていたのが、航空機を運ぶことが出来る空母です。空母には、海上滑走路としての役割もありました。それまで海上戦の主力だったのが戦艦です。その戦艦同士が、大砲で撃ち合うという戦い方が主流でした。ミッドウェー海戦は、空母vs空母の戦いだったとされいます。日本は、4隻の空母を出撃させました。一方、アメリカ側の空母は、ボロボロだったとされています。それでも、持てる力を全て注ぎ込み、必死の修繕で、3隻の空母を出撃させました。ミッドウェー海戦での日本とアメリカの戦力は互角だったとされています。しかし、日本軍は、大敗してしまいました。

【総力戦】
 当時の戦争は、総力戦でした。総力戦とは、国家の力を総動員させて戦うことです。そのため、国民の協力が不可欠でした。ラジオや新聞などは、国民の士気を高めるため、都度の悪いことは報道せず、戦果だけを誇張して伝えていたとされています。それは、日本もアメリカも同じでした。アメリカが行ったのが、機動空襲で、こっそり日本の基地を攻撃し、見つからないように逃げて行くという作戦です。それによる、日本の実害は、ほとんどなかったとされています。アメリカの方も、反撃のリスクがなく、ダメージを受けませんでした。その狙いは、国民に対して、戦果を上げているように見せかけるためだとされています。また、アメリカは、空母で、日本の本土にギリギリまで近づき、陸上用の大型爆撃機で空襲しました。それによって、精神的なダメージを与えたとされています。

【敗因】
 日本の敗因は、慢心だっだとされています。アメリカ軍は、日本の戦い方を研究していましたが、日本の方は、そうでもありませんでした。日本は、今まで通り、戦えば勝てると思っていたからです。アメリカは、ミッドウェー以前の珊瑚海海戦を徹底的に分析したとされています。
 また、情報戦でも日本は負けていました。アメリカの方は、高度な暗号解読が出来ましたが、日本の方は、まだまだ未熟だったからです。日本の暗号は、ほとんど解読されてしまい、進路や時刻が読まれていました。それに対して、日本は、アメリカ軍の動きをつかめていなかったとされています。そのため、アメリカの空母の待ち伏せを受けてしまいました。

【戦いの結果】

 日本の航空機は、ミッドウェーの基地を攻撃していたので、地上用の爆弾を装備していました。しかし、そこに現れたのがアメリカ軍の空母部隊です。それに備えるため、魚雷に積み替えなくてはいけませんでした。なぜなら、船を攻撃するためには、魚雷でなくていけないからです。日本軍は、命令が二転三転し、大混乱に陥りました。そこを狙ったのが、アメリカ航空機の急降下爆撃です。それを数発受けただけ、大火災を引き起こしました。積み替えのため、未整理だった爆弾に引火し、二次的な爆発が起きたからです。日本は「飛竜」「加賀」「蒼龍」「赤城」という4隻の空母と200機の航空機を失いました。しかも、優秀なパイロットまで失ってしまいます。対するアメリカが失った空母は、ヨークタウだけでした。

つづく

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