見出し画像

🌻ショート(前編) 珈琲とゴミ屋敷 

 ネオンが眩しい繁華街の横にある、昭和の匂いが漂う商店街。その一角にある「田米珈琲」という珈琲店を、私は毎日その前を通るたびに、古臭いな……と思いながら見ていた。
 味があると言えば聞こえはいいが……店からは年季が入ってるが故の、こびりついて離れない「薄暗さ」が見え隠れする。
 常連客以外の出入りが少ないがゆえの「停滞した淀み」。掃除しても掃除しても取り切れない建物の劣化。
 それが私には、いいものには感じられなかった。

 ……こんな店に私が通うようになるなんて、思ってもみなかった。


 くすんだ自動ドアを越えて、私はその店の……「カフェエリア」ではなく、珈琲豆や、専門の道具を売っている場所へ向かった。
 私が目をつけていたのは、そこにあるドリップバッグ型のインスタントコーヒーセット「オリジナル・パーティセット」だ。
 この店独自のブレンドで作られたオリジナルなインスタントコーヒーが二つずつ、五種類入っている。
 私は真顔でカウンターに突っ立っていた青年からそれを買い、足早に店を出た。
「こんなもので変わるとは思えないけど……」
 思わずそんなことを呟きながら、私は駅に向かった。


 田米珈琲から一分くらい歩いたところにあるオフィスが、転職を繰り返した今の私の職場だ。
 最初に聞いていた話では事務職のはずだったが……家族経営の小さな会社で、気が付けばお茶くみや掃除は勿論、現場作業者や営業の業務の一部までやらされるようになっていた。
 これが私が有能だからそうなっているのなら、まだ自分で自分を慰めることができたが、実際の所は他の人の退職による臨時……という「てい」の永久的な引継ぎや、社内でのポジションが低いせいで雑用を振られているだけだから、私のストレスは加速度的に溜まる一方だった。
「特別優秀じゃなくて怒鳴られっぱなしなのに、また仕事が増えるんだから……」
 今日何度目になるかもわからない溜息を吐きながら夜道を歩き、私は自宅であるワンルームの安アパートに帰宅した。
 玄関には、靴と一緒に空の酒瓶と空き缶が転がっている。酒瓶を蹴って靴を置くスペースを作るとそこに靴を脱ぎ捨て、私は部屋の明かりをつけた。
 パチッ。
 ワンテンポ遅れて部屋が明るくなる。そのせいで、我がゴミ屋敷があらわになった。
 いつしか部屋の隅に追いやられたゴミ箱と、その代わりむき出しの状態で床に置かれたパンパンのゴミ袋。脱ぎ散らかされた服。雑誌や戯れに買った煙草(ほぼ新品)やシーシャに半ば占領された化粧台と、その代わりに床に進出した化粧瓶たち。乱れたまま畳まれていない布団とベッド。
 『部屋は人の心を表す』……そういう言葉があるが、これが真実なら私の精神は病んでいるのかもしれない。

 掃除をする気力なんてなく、私は埃と一緒に空になった弁当箱や脱いだ服をまとめて足でどかしてスペースを作り、そこに荷物を置いた。
 電気ケトルに水を汲み、お湯を作っている間に外着を脱いだ。風呂に入るべきなのだろうが……その気力がまだ沸かず、私は下着姿でスマホで動画を見ながら、湯ができるのを待った。
 シュー、ボコボコ……。パチンッ。
 ボタンがONからOFFになり、電気ケトルがお湯ができたことを教えてくれた。
 私は食器棚から唯一残っていた(他は洗わずに使ったまま、床に放置されている)コップにドリップバッグをセットし、お湯を注ぎこんだ。
「こんなもんかな?」
 ドリップバッグを捨てて、私は鼻を近づけた。よくある、ありふれた珈琲のいい匂いだ。まずは一口、飲んでみた。
「……まぁ、珈琲ね」
 まずくはないが、心にクるものはない。
 ――それで、私はすっかり興味を失ってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?