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国家神道についての呟き

国家神道とは何か? これについては色々な考え方があると思います。大体、何事かを定義するのは大変に難しいことなのですから、色々あってしかるべきなのです。ですがそれを十分承知した上で、敢えて試みるとするならば、私はこんなことだったのではないか、と思うのです。

天皇の出自を神に求め、さらにそれを国家の出自へと重ね合わせることで生まれる宗教的でかつ政治的な時空へと、時の権力者が青人草(あるいは民草)を追い込み、閉じこめ、支配する、宗教と政治とが融け合った国家体制―。

国家神道を、宗教的な次元で捉えようとする方々には、少々風呂敷を広げ過ぎたように感じられるかもしれません。ですが、国家元首を神の側に置くことで、宗教的な世界観がそのまま現実社会の政治に反映されるというのが諸悪の根源なのですから、やはり宗教的な問題に限ることは難しいと思うのです。

そうした意味では、国家神道の担い手のように論われてきた神社神道関係の方々が、何かを言わずにはおけない気持ちも分からないではありません。全責任が神社神道にあったとは、私にも思えないのですから。

実際、こんな恐ろしい仕組みが、誰か特定の人間の企みによって出来上がったのかと言えば、そんなことはなかったのでしょう。様々な制度や人間たちそれぞれの立場と思惑と欲望とが重なり合い、混ざり合ったことで、初めて誕生した醜悪なキメラというのが本当のところだったのではないでしょうか?だからこそ、どうにも遣り切れない思いがするのです。

ただ、それはどう少なく見積もっても一度は、現実にこの世に生まれ落ちてしまったもののです。同じ夢を見ようとする模倣犯の動きには、時を経た今でも、決して警戒を解いてはならないと思うのです。