見出し画像

止まるな。今は11時だ。

上司「休日の日は何をしているの?」

僕「ブログかいてますね」

そんな事を軽く言ってしまいました。休日にブログを書かなければ嘘になってしまうので、慌てて書いている休日ブロガー気取りでおなじみ。どーも現代の文豪hirokiです。

絵本展

「ながい針ははだいたい1時間にいちどはみじかい針に追いつくんだけど、11時台だけは追いつかないんだよ。ふたつの針がつぎにかさなるのは、12時。そこで、やっと会えるんだ」

これはキングコング西野亮廣さんの絵本「Tick-Tock チックタック~約束の時計台~」に出てくる僕の好きなセリフです。

昨年、札幌で開催されたチックタック光る絵本展にスタッフとして参加しました。ほとんど役に立てなかったけど。笑

↓これです

ブログ記事の後半少しですが書いてます。

この後、絵本の中身ちょっと書きますので見たくない方は先に絵本を見てね。


あと絵本の中の名詞も使いますので理解しにくい所もありますがご了承ください。わかりやすくなるので絵本見てね。

社会と絵本の重なり

ステイホームという事もあり、飾ってあった絵本を久しぶりに手にとりました。

今改めてこの絵本を読み、街を焼き尽くしてしまう「火の鳥」が出てくるページを見て、僕は北海道の胆振東部地震と重なりました。

火の鳥は災害です。

ニーナの腕に生えているヤクの木。これは伝染病。

今のコロナウイルスと重なりました。

チックタックを思うニーナの気持ち。

チックタックに伝染病を移してはいけない。

チックタックに会いたい。ニーナはそんな気持ちを抑え込みました。

今、コロナが猛威を振る中、家族に会いたくて、友達に会いたくて、好きな人に会いたくて。。。

僕は今千葉に住んでいて、母は地元北海道。

会社も完全リモートワークなのでPCさえ持っていけば帰省もできます。

僕は元気なのでコロナウイルスは持っていないかもしれない。

でも検査したわけではないので持っていないとも言い切れない。

ウイルスを持っているかいないかのゼロ、百の議論をしても意味はないのかもしれないけど、自分が誰かに移すのが怖い。

「チックタックに移すわけにはいかない。」

僕の気持ちはニーナと同じ。

「母に移すわけにはいかない。」

大切な人のことを思うと自分の会いたいという気持ちは自分のことしか考えていない。独りよがりな気持ちは抑えなければならない。

しかし会えない期間も

ニーナは病気の主治医に、チックタックは町のみんなに支えられてきました。

僕も同じ。

母も同じです。

今は会えなくてもテクノロジーのおかげでテレビ電話を使って相手の顔を見ながら話せます。僕は皆様に支えられています。感謝です。

この自粛期間、オンラインで連絡を取ったり支えてくれている大半は他でもないオフラインで関わってくれた人たちです。

あまり人と関わらない、家で漫画やゲームしてるという人もそれを作った人がいないと出来ないので間接的に人に支えられています。

結局人は人との繋がり無しでは生きていけない。

さらに現代では会ったこともないのにオンライン、SNSでつながりオフラインで会うということも多くなりました。オンラインだけでの関りというのも価値は上がってきているように思います。

SNSなどよく炎上などありますがそれも結局自分以外に人がいて、考えの違う人、考えが同じ人がいる。他者とのつながりがあるから成り立っています。

不安と自分に出来ること

コロナで仕事がないので給料も入らない、売り上げがどんどん減る。不安ですよね。

今ありがたいことに僕には仕事があります。

しかし自分の生活を守るので精一杯。

お金や食料、マスクなど困っている人を物質的に支援できなくて、それが出来ない自分に無力感を感じるし情けなく思うし申し訳なく思います。

3.11の東日本大震災。学生だったあの頃、今と同じような気持ちでした。

土砂の撤去作業をしに行く人、金銭的に支援していた人に尊敬と羨望のまなざしを向けて、「僕には何もできない」と思っていたことを思い出します。

社会人になった今も情けないことに物質的に助けることができません。

しかし今は「僕には何もできない」そう思っていたあの時とは少し違います。

「何もできない」というのは行動からの逃げであり、自分への過剰な期待だ

と考えるようになったからです。

僕は芸人みたいに面白くないけど周りの人をくすっと笑わせることはできる。

スポーツ選手のように影響力もないけど一緒に誰かとオンラインで運動したりできる。

さみしい思いをしている人の話し相手になることができる。

暇だと思っている人のわずかな暇つぶし用に雑記ブログを書くことができる。

小さいアクションはほんの少しだけ人を助けます

少しだけ誰かの役に立てているという少しの期待を持ちながら今日もブログを書いているわけです。

何もできないわけではない、何かはできる。

影響力があるから何かができると思い込むのは絶対に違う。

自分に影響力がないから何もできないは嘘。影響力がないから何もしないは自分に期待しすぎだし、何もしないことへの言い訳だ。

他者への期待

自分への"過剰な期待"。他者への"過剰な期待"

過剰は何かを狂わせます。

期待することは良い事ですし、自然なことです。

でも期待するのは自分の勝手です。

「勝手」とは元々は弓道の言葉で右手の事を指します。 そこから、自分の好きなようにできること・ふるまうことも「勝手」と言うようになりました。 昔は、女性が家で自由にふるまえるのは台所だけだったので、そこもまた「勝手」と呼ばれるようになったと言われています。

なので勝手に期待しているので、相手が期待にこたえなくても怒ったり、期待に沿うように強要したりしてはいけない。

例えば政府にひたすら文句を言う人は正に過剰な期待です。

どこの国も自分の期待通りの国や政治ってないでしょ?それがデフォルトじゃないですか。

政府だって初めてだと思うよ。ワクチンとか治療方法がなくてこんなに日本国民の多くが苦しめられるウイルスと戦うの。

だから失策もするよ。だからやいのやいの言われて方向転換してたりしているじゃない。

そんな中、医療をはじめとする現場で臨機応変に対応している方々には頭が上がりません。

僕らもみんなそうだよ。行動すれば必ず失敗するよ。

多くの人が叩きがちな”政府”も構成しているのは人間だ。失敗は怖いよ。バッシングが怖い。だからちょっとずつしか様子見ながらしか動けないんだと思う。

僕も不満だったり、もっとこうすればいいのにと思うことは沢山ある。政府を擁護したいわけじゃなくて不満を口にするだけでは何も変わらないってことをいいたい。

結局一人でできることは少ないからみんなで意見を言って、ぶつかり合って、失敗して自分で考えて動いて、手を取り合って行こうってことを言いたいのです。

動かないと何も始まらないじゃない。

今、時計の針は11時59分

今多くの人が制限の中で考え、悩み、苦しんでいる。

何をやってもうまくいってないかもしれない。いつ社会が復興していくかわからない。

きっと社会時計は今11時台。

報われなく辛い時間なんだと思う。

「ながい針ははだいたい1時間にいちどはみじかい針に追いつくんだけど、11時台だけは追いつかないんだよ。」

でも思い出して

「ふたつの針がつぎにかさなるのは、12時。そこで、やっと会えるんだ」

みんなが1秒1秒誰かを想い、悩み苦しみもがくその行動は

少しづつ積み重なっていて、着実に前へ進んでいる。

ここで動きを止めてはいけない。

ネガティブになりがちだけど進んでいることを信じよう。


「だいじょうぶ。時計の針はかならず重なるから。」



画像1





励みになりますので宜しければサポートお願いします!!