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サミュエル・ハーネマン

ホメオパシーって何?
と言うその前に、ホメオパシーというものを確立した人物について、本を読んだりして調べたことをまとめて書いてみようと思います。

サミュエル・ハーネマンは1755年4月10日にドイツのマイセンで誕生しました。
日本では徳川吉宗の時代で、蝦夷地開発や百姓一揆などが起こった頃です。
陶器の絵師をしている父の元に生まれたハーネマンですが、生まれた時はとても小さく弱かったため、その日に予定していた洗礼を受けることができなかったそうです。

彼は12歳になり、領主が設立したSankt Afraという学校へ通います。
並外れた語学の才能があり、同級生に補習授業を行ったり、ギリシャ語を教えていたそうです。
この学校のモットーである「Aude sapere」(勇気をもって、賢くあれ)という言葉を著作の『医術のオルガノン』(ホメオパシーの指南書)に載せていることから、ここでの学生時代はハーネマンにとって大切なものであったと思われます。

大学入学後は医学と化学を学び、1779年に医学博士号を取得し、その3年後に結婚して、11人も子供をもうけます。(すごい!)
日本では1774年に杉田玄白の『解体新書』が発刊されていますので、その頃の時代になります。
ハーネマンは、生活のために医師としての仕事のほかに、多くの外国語医学文献を翻訳します。(英語、フランス語、イタリア語など、数多くの文献をドイツ語に翻訳)

家庭を持ったハーネマンは、化学・医学の分野において、確固たる名声を築いていましたが、不満を感じていました。
驚いたことに、医師の職を捨てたという旨の手紙を友人に送っています。
いい加減な判断に基づいてマテリアメディカ(治療薬の効能一覧)に記載された物質を処方することは、いつも苦悶であり、結婚してまもなく、これ以上人を傷つける危険を冒さず、化学研究や著作に専念したい、という内容でした。
他の友人宛の手紙では、「子供たちに、何の助けを与えることもできないことが分かり、私の疑念は倍増した」と書かれていたそうです。
医者を続けていれば、快適な生活が送れたのに、医者を辞めて、家族を支える手段として貧しくても医学書の翻訳を続ける日々でした。
しかし、疑念を抱いた当時の正統医学の医学体系に従うよりも、貧しくてもそれを否定することを望んだのでした。

それでも、ハーネマンは頭脳明晰で好奇心旺盛です。
健康や病気の根本的な問題を探求し、ホメオパシーの最初の基本原理と遭遇します。
1790年、ロンドン大学のカレン教授が書いたマテリアメディカ(治療薬の効能一覧)を翻訳している時、そこに書かれた内容に疑念が生じます。
その本では、キナの樹皮の作用について20ページも費やされていました。(現在薬品として使用されているキニーネの原料)
キナの樹皮はマラリアの特効薬として有名ですが、キナの樹皮の苦味がマラリアの治療に有効であると書かれていたのです。
ハーネマンはこの説明に非常に不満を覚え、彼は自らキナの樹皮を服用し、薬効の実験を行います。

その結果、自身にマラリアの熱と似た、一種の間欠熱が発症するのを観察しました。手足の指先が冷たくなり、気力がなくなり、眠くなって、動悸が始まり、脈拍が強く短くなり、耐えがたい不安と震えを感じ、手足が麻痺する、などなど。
そして、服用を止めると健康な状態に戻りました。
これはハーネマンにとって、驚くべき新事実を知ることとなり、人間を癒すための新たな知識の始まりとなります。
標準医療においては、常に症状が出たら薬を投与して軽減させなければならないという考え方であり、その考え方が医者にも患者にも深く浸透しているため、ほとんど反射的に症状を抑えるための薬を投与します。
しかし、彼は自分自身の体験から、マラリアの治療薬として知られている薬剤は、実際には「健康な人に与えると、マラリアそっくりの症状を起こす物質である」ということを発見するのです。

「健康な人に症状を引き起こす物質は、病気の人に現れる似た症状を癒す」

その後、6年かけて自分や家族、その他の協力者(同様に真理を求める医師たち)と共に、多くの物質で実験を行い、各人がそれぞれの物質を服用した際に起こった症状を詳細に記録して、それをまとめました。
そして、集めた症状像の中に、今まで治療方法が見つからなかった多くの疾患の総合的な症状と似たものがあることに気づきます。
それらの物質を似た症状を呈する患者に投与したところ、治癒が可能であるという事実を発見します。
全ての薬が健康な人間に生じる一連の症状を癒すことができることが分かったのです。
彼は、この同種の法則によって、治療薬を選ぶようになりました。

1810年、ハーネマンの主要著書『オルガノン』(ホメオパシーの指南書)が発刊されます。そこで初めて「ホメオパシー」という名称が表記され、ホメオパシーの中核となる「似たものが似たものを癒す」という事が明確に書かれました。
Organonとは、ギリシャ語で「方法、手段」と言う意味で、当時、非常に著名な医師で医学書の著者だったハーネマンの新書出版には大きな関心が集まりました。
そして、この『オルガノン』が読まれると、ヨーロッパの医学界に大波乱が起こります。
なぜなら、この著書には、当時の医学と根本的に対立する、全く新しい医学体系が紹介されていたからです。

ハーネマンはこの新しい医学をホメオパシーと名付けました。
ギリシャ語のomeos:似ている、 pathos:病・苦悩、を意味する言葉を合わせた言葉です。
オルガノンの中で、20年以上におよぶ経験に基づいて得られた、彼の科学の法則と原理を説明しました。

1813年、ライプツィヒにおいて、腸チフスの流行下で、ホメオパシーが活躍します。
ハーネマンと彼の同僚たちの治療により、患者180人中2人が死亡。
1831年のコレラがヨーロッパで流行した時も、154人中6人が死亡(死亡率3.8%)で、一般治療では1501人中640人が死亡(死亡率43%)。
1854年ロンドン・アジア型コレラの流行では、水源にウイルスが含まれていて、その水源に近い病院がホメオパシー病院だったにも関わらず、ホメオパシー治療での死亡率19%に対し、一般病院は水源から遠いところにあったけれど、死亡率46%と高かった。

その結果、ホメオパシーは多くの国に認知されることになります。
しかし、依然として瀉血(治療の目的で患者から血を一定量取り除くこと)や瀉下剤(便秘薬、下剤のこと)、発汗剤などを処方していた当時の医師達から強い反発を受けます。
それでもハーネマンはくじけませんでした。
「Aude sapere」(勇気をもって、賢くあれ)ですね。

ハーネマンと彼の同僚が行っていた実験、健康な人間に物質の症状を起こさせる過程のことを「プルービング」と呼びます。
何年かプルービングを続けた後に、ハーネマンは医師の仕事に復帰して、ホメオパシー治療に専念します。
患者の精神・身体に生じる全ての症状を書きだし、プルービングによって同じような症状を引き起こしたホメオパシー薬を探し出す。
このような処方により驚くべき治癒率を達成し、時にはわずか1回の投与で、速やかに永久に治癒が認められました。

ハーネマン以前にも、この「類似の法則」について述べている人々がいます。
紀元前5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスは、反対物を用いる方法と類似物を用いる方法、2つの治療法について言及していたようです。
その他、ハーネマン以前にも、ルバーブで下痢が治るのは、ルバーブの下剤としての特性によるものだというものや、センナで疝痛が治るのは健康な人に同様の症状を引き起こすからである、などの記載があるようです。
ハーネマンと同時代のスタールという人は、同様の病気を引き起こすことのできる薬によって病気は消散し治癒をもたらすことができると書き残しています。
古代ユダヤの旧約聖書には、「人間は反対の療法で治療するが、神は類似物で治す」と書かれているそうです。
面白いですね。
そして、ハーネマンの才能と観察眼と不屈の精神が、この類似の法則を体系的な方法へと進化させました。

ハーネマンの奥さんが亡くなって5年後、二人目の妻となるメラニー(最初は患者として来ていた)と知り合い、1835年に結婚。
晩年は彼女とパリに赴き、死ぬまでホメオパシー治療を生業として働き続けました。
ハーネマンは、1843年に88歳でこの世を去り、パリのPere Lachaiseという墓地に葬られました。

今日、多くの国でホメオパシー学校があり、インドでは医学部でアロパシー(標準医療)もホメオパシーでも学ぶことができます。
また、ホメオパシーを公的に認めて利用している国も多くあります。
イギリスでは王立ホメオパシー病院があり、王室侍医にはホメオパスが居ますし、フランスやドイツでは医師によりホメオパシー薬が処方されています。
インドではガンジーによってアーユルヴェーダと共に国を挙げてホメオパシーを推進されていますし、多くの国で身近な医療として生活のそばにあります。
アメリカでは、一時衰退しましたが、近年ホメオパシーの需要が急増し、その価値が見直されいます。また、憲法の規定に反して、非アメリカ人であるハーネマンの記念碑がワシントンDCに建てられています。

日本での立ち位置は、と言うと、あくまでも「健康法の1つ」という扱いになります。 
医療という立ち位置ではありませんし、治療や治すためのものではありません。
けれども、このような手段が生活のそばにあるのは、心強いことこの上なしですよね。

『オルガノン』の最初に書かれた一文、
「医師の最も崇高かつ唯一の使命は、病人を癒し、健康を回復させることである」を見ると、ホメオパシーを実践する上で、身が引き締まる思いがします。

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