子供目線で親の子育てを分析・評価してみる
こんにちは。hiloです。
本屋に行くと「子育ての仕方」や「頭のいい子に育てる方法」など様々な子育て関連本が置いてありますよね。
内心『子育てに正解なんてないやろ』『本当かいな』と思うタイトルもありますがとても興味深くついつい手に取ってしまいます。よくよくみると作者は子供時代とは程遠い方が多く、あんたら本当に子供の気持ちわかってる?と心の中でツッコミを入れたくなってしまいます。笑
そこで今日は、まぁ現在も絶賛子育てされ中(?)現在大学生の私が自分の親の子育てを子供目線で分析し、子供目線で感謝していること、他の家庭と比べてこの家でよかったなぁと思ったことをゆるく書いていこうと思います。
まだ若干新鮮な子供の素直な気持ちです。
私が親の子育てで感謝していることは大きく2つあります
その1 自分の人生の選択肢において全て自分に決定権があるが、その代わり自分が選んだ選択肢に対しては自分が最後まで責任を持つ というスタンス
少し難しい言い回しをしてしまいましたが、
簡潔にいうと人生におけるありとあらゆる選択肢( 例えばどこの高校に行くか、どの部活に入るか、塾には行くのか、誰と仲良くし、誰と出会うのか。どこの大学に行き、学部はどこにするか、将来はどのような職業に就くのか) など、
数えだしたらきりがありませんが、そういったありとあらゆる選択肢に対し、親が一方的に意見を押し付けることや決定権を持つことがありませんでした。
もちろん相談したらそれなりに真剣に考えてはくれますが、決して「こうしなさい」ということはありませんでした。
そして私が選んだ選択肢に対し批判的なことを言うわけでもなく、いつもだいたい「ええやん、最後まで頑張りぃや」と言ってくれた記憶があります。
じゃあそのようなスタンスで育てられると子供はどうなるのか
あくまでこれは私個人の経験と意見なのですが
何事にも前向きに取り組めるようになり、自分の人生の選択肢に対しての責任感がとても強くなります。あと精神的にとても楽です。
例えば高校受験。親に言われたわけでなく自分で決めた志望校なら頑張る理由も頑張らない言い訳も全て自分次第です。「親に言われたから仕方なく塾に行く」なんて言い訳は存在しません。これも自分で決めたことだから。と自分を奮い立たせるしかありません。でもこのような経験達は、'誰のものでもない自分の人生を生きる'と言う本質に気づくきっかけになりました。
また、例え自分の選んだ選択肢で失敗したとしても、まぁ一人で決めたことだし。と思えることがとても楽でした。
もし親が決めた選択肢で失敗したとしたら、、親はきっと自分の決断を後悔し反省してしまうでしょう。自分があんなことを言ったから今子供が苦しんでる。。と
そんな思いをさせることがないことは子供として非常に楽でした。やはり子供が一番悲しいのは自分のせいで親が悲しい思いをすることだと思います。
なんか、わかるんですよね、子供には大人の目には見えないアンテナみたいなのがあって。あぁお母さん今自分のせいで悲しい思いしてるなって。親が必死に隠してても、子供のそういった察知能力は超能力者級です。
あとは『例え自分の選んだ選択肢で失敗したとしても、まぁ一人で決めたことだし。と思えることがとても楽」と先ほど言いましたが、例え失敗しても誰にも責任転嫁できないと言うプレッシャーがあることで自分の選んだ選択肢に対してより責任を持つことができたかなと考えています。背水の陣的なね。
ここまで読んでくださった方の中には、そんなスタンスで子供はちゃんと育つの?と思った方も沢山いると思います。
幸いにも私は非行に走ることもなく、紆余曲折ありましたが大学は早稲田に進学し( 親族の中で初だそうです )、私自身人生超ハッピーに過ごせております。
もちろんこれは私の性格や親の育て方だけではなく、私が周りの環境にとても恵まれたからだとも思っています。でもこうして今私自身が人生超ハッピーだと思えるのは、自分の人生を他の誰でもない自分の選択で歩んできた。と言う事実があるからだと思います。親、ありがとう。
でも大人になってから思うのは、やはりこのようなスタンスで子供と接し、育てるのはとても難しいと言うことです。
自由に育って欲しいなどと口では言いますが、やはり心配になります。その存在が大事であればあるほど、心配になりつい口を出したくなります。当然のことです。だって子供には世界で一番幸せになって欲しいから。子供を信じていないわけではないけれど、やはりどうしても口を出してしまう。
だからこのようなスタンスで娘を見守り続けてくれた私の親、実はとても忍耐強い人なのかなと。今思うと同時に、なかなかできないことをしてくれた親に感謝しています。
長くなってしまいましたが二つ目行きます
その2 悪口を言わない
これはいたってシンプルですね。私はよく友人から「あんたって本当に人の悪口言わないよね」と言われます。私自身、特に意識しているわけではないのですがあまりにもよく言われるので、その理由を分析したところ親に行き着きました。
私は親が誰かの悪口を言っているところを見たことがありません。なので初めて聞いた悪口は多分小学校に入学した後だと思います。
親が悪口を言わない環境で育つことで、私の中には”誰かを悪く言う”と言う概念が全くない状態になりました。遊ぶ・寝る・話す ダジャレを言う・歌を歌う・早口言葉を言う・・・そう言ったカテゴリーの中に悪口を言うという要素がないまま育った状態です。
そのように育つと子供はどうなるのか
正直私は周りの友人がなぜ悪口にそんなに情熱をかけるのか全く意味がわかりませんでした。なぜあんなに楽しそうに悪口を言うのか。
これは大人になった今でも同じような思いでいます。
なぜ人はあんなに悪口に対して情熱を割けるのか、不思議でなりません。
これは大人になってわかったことなのですが、私の親が悪口を言わない理由。それは根本的に人にあまり興味がないからです。
悪口というものは意外とコストがかかります。悪口の対象に関する情報を自分の脳みそに入れなければいけませんし、自分の貴重な時間をその悪口の対象に対し使わなければいけません。
そもそも人に対して興味がない親にとっては、よりによってそんな人に対し自分の人生の貴重な時間を使うことが面倒だったのだと思います。
そしてこのスタンスはそのまま娘に受け継がれました。
果たしてよかったのかどうかはわかりませんが、一つ言えるのは
このようなスタンスで生きると非常に楽です。そしてこのような親に育てられたことにとても感謝しています。
自分の貴重な時間を、悪口なんかに使っていたら自分の人生はとってもつまらないものになるような気がしています。
以上。長々と書いてしまいましたが、
子供目線で自分の親の子育てを評価してみました。
世の中に様々な家族の形があると思いますし、冒頭にも述べたように子育てに正解がないのも事実です。
当の本人が幸せならそれでいいんだと思います。きっと。結局。笑
改めて今までを振り返ってみると、私がこうして今自分の人生を120%楽しめていて、何に対しても前向きなのは親の育て方ありきなのかなと思います。
将来自分の子供に対して、同じことができるかといえば、自信を持って「うん」とはいえませんが
子供目線で親の教育に点数をつけるとすれば100点満点です。
ありがとう、親。今度ちょっと高級な取り寄せグルメでも送ってみようと思います。
だらだらと長くなりましたが、私の寝る前の日記のようなものなのでこれで終わります。
おやすみなさい。
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