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2020年のゲーム振り返り前夜(日記編)

 今年を振り返ってみると「奇妙」な年だったなと思う。
 人によっては、奇妙なんて生易しいものじゃなくて、大変だとか無茶苦茶だとかパンデミックだとか、そんな印象のほうが強いかもしれないけど、自分にとっては奇妙という感覚だった。

 何がそんなに奇妙なのかというと「家でゲームでも遊んでおけ」というのが全面的に良しとされる世界になったことだ。それも急激に。

 近年はいわゆるオタク趣味に対する世間の理解度も、昔と比べるとずいぶんと改善されて、休日に家でゲームを遊ぶことが全然普通の行動になっている。以前に比べて生活の自由度が上がった訳で、良い事だ。
 しかし、そこからさらに家でゲームを遊ぶことが推奨されるレベルになるとは思わなかった。ゲームが悪者にされていた時代から生きている自分としては感慨深い…と言いたいところだけど、実際の所、感慨深いを通り越して「なんだかおかしなことになったなあ…」と感じてしまう。
 今年は誰もが予想しなかったことが次々に起きている。

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 ここ数年は「自分の自由になる時間を増やす」生き方に取り込んできた。これは就職してから幾星霜、ハチャメチャに忙しくて仕事とゲーム以外に何をやっていたのかを思い出せない時期への反動であり、反省の結果だ。
 幸いなことに、自由時間を増やす試みは上手くいっている。例えば終業後や週末に、少し遠くのサウナまで気軽に行けるようになったのも成果の一つと言えるかもしれない。

 しかし今年は、予想しなかったことが起こった。
 世界的な騒ぎにより、職場での仕事の量が減って、その分自由時間が思った以上に増えてしまったのだ。

 「は? 良い事じゃん」という話かもしれない。
 けど、自由時間が増えすぎることはそれはそれで問題だ。何故なら、自由時間がありすぎても自分には「やりたい事はあんまりない」からだ。
 自由時間がたくさんあるのなら死ぬほどゲームを遊んでいれば良いじゃないか、とも思われそうだけど、そうする気にもならない。自由時間が増えたことで浮き彫りになってしまったことだけど、自分にとってのゲーム欲は、忙しさへのカウンターとして発動する部分も大きかったからだ。 
 ハチャメチャに忙しかった時期は、プレイするゲームの数をこなすことに執着していた事もあった。睡眠時間を削ってでもゲームを遊んでいた記憶もある。それは、自分の生活を仕事だけで埋め尽くされないようにする為に必要なことだったのだと思う。けれども、今は違う。自由時間に余裕があるのなら、ゲームを遊んでもいいし、遊ばなくてもいいのだ。

 今年はそんな状況にも関わらず、なんだかんだでゲームは遊んでいた。
 なんならいくつかのゲームについては、遊んでいたなんて生易しいものじゃなくて、アホほどハマっていたとさえ言える。
 今年は、無理をしてゲームを遊ぶことをしていない。今の自分にとって、ゲームは遊んでもいいし、遊ばなくてもいい存在だ。それでもアホほどハマらせてくれるゲームは、本当に優れた作品なのだろうと思う。

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 というところで、今年遊んだゲームについてを次回に書きます。良いゲーム、たくさんありましたよ。

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