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10/12 ぼくと暗黙のルール

ぼくは今日、二子玉川に来ていた。特に用事があるわけではなかったが、家にいると何もせず1日が終わってしまうので半ば義務的にやってきた。なぜ二子玉川なのかといえば、定期圏外だからだ。ときたま今日と同じ目的で外出することがあるのだが、そういうときは大抵電車賃を節約するために定期圏内にあたるエリアまでしか足を伸ばさない。ただいつもそれでは流石に飽きるし、ここ数ヶ月一切アルバイトをしておらず収入がなかった(そのうえ大学を出て社会的身分すら失った)ぼくは一昨日、小さな出版社に編集部員として雇ってもらうことに成功し、先の実入りが出来たばかりだった。要は、ちょうどバイトが決まって多少は金を使っても良いかなと思ったのだ。

目指すのは二子玉川駅から少し歩いたところにある、多摩川沿いのスターバックスだ。ぼくはスターバックスにほとんど行ったことがない。新商品が「新作」と呼ばれているのを聞いて、スターバックスというのはクリエイティブな喫茶店チェーンなんだろうか、とかどうでも良いことを思っていたぐらいで実際に足を運んだことはない。今回にしても、重要だったのは「多摩川沿いにある」ということだった。

ぼくは先日、お台場に行った。そこで東京湾沿いのテラスで作業をしてみたところ、何故かやたら捗ったのだ。そういうわけで、最近のぼくは「水辺で作業すると良いのかもしれない」と考えており、その思いつきは実際に足を運ぶまでの間に徐々に確信へと変わっていた。ぼくの生活圏内で最も近い水辺は多摩川であり、どうやら多摩川沿いにはスターバックスがあるとのことだったので今日の行き先が決まった。

多摩川沿いのスターバックスは狭かった。20席ほどしかなく、そのほとんどが埋まっていた。テラス席が一つだけ空いており、並んで注文する間にその席が誰にも確保されないことを祈った。なんか荷物とか置いて席取りゃ良いじゃん、と思われるかもしれない。だが、ぼくは「荷物を置いて席を取る」という行為がかなり苦手なのだ。少なくとも1人では絶対にやらない。誰かといるときは、可能なら他の人に注文を代わりに頼んで自分は座っていたい(座っていたいわけではないのだが、誰かが着席している状況にしたいのだ)。これは別に、防犯意識の高さゆえではない。シンプルに、すごく悪いことをしているような気がするのだ。まだ注文もしていないのに席だけ取るなんて!と思ってしまう。並んでいるときもそれが気になって仕方なく、注文も早々に終わらせたいので焦って適当に注文してしまう。いつ頃からかはわからないが、この忌避感情はぼくの中に相当固く根強いている。

さっき、「防犯意識の高さゆえではない」と書いたが一概にそうとも言えない。ぼくは、仮に荷物で席を取った結果それが誰かに盗まれたとしても「自業自得だ」と思ってしまうからだ。たとえば誰かからそんな経験を話されたとしても、荷物で席を取ったお前が悪いと思うだろう。

大学の教室でも、席を取る人はいる。休み時間に荷物を良さげな席に置くのだ。ぼくは、あれをどかして構わないと思っている。「荷物が置いてある席には、その荷物の持ち主が座る」というルールをぼくは妥当と考えていないからだ。ドッジボールに参加していない者すら、ボールをぶつけられたら外野に移動しなくてはならないなどという不条理が許されるだろうか。だから、教室の座席に置かれている荷物をどかそうが捨てようが誰も文句は言えないと考えている。リュックならまだしも、ボールペンなどが置いてある場合など実際忘れものと区別がつかないだろう。ボールペンで席が取れると思っているひとのためにも、粛々とそこに座ってそのペンで授業を受けるなどといった対応が必要だ。

……もちろん、そんなことをした経験はない。席を取ることへのモヤモヤを思い返しながら列に並んでいると、ぼくが座ろうと考えていたテラス席に荷物が置かれた。店内に目をやると、一見空いていそうな席にも全て上着やカバンが置かれ、その持ち主であろう人々がぼくの前と後ろに立って共に列を成していた。くだらないルールだ!!そのくだらないルールに意味不明な苦手意識があるせいで、ぼくは自分の注文する番があと2人で来るというところで列を離脱して店を出ることになった。

席に置かれたカバンを床に投げてそこに座るべきだっただろうか。くだらないルールだ!!と言いながら。しかしぼくも、他人のカバンを勝手に床に投げてはならないというルールに関しては極めて妥当だし、遵守すべきと思っている。

そのスターバックスは、多摩川沿いの公園の中にあった。ぼくは公園のベンチに座って作業することを決め、自販機でココアを買ってパソコンを開いた。公園、夕方ということもあって子供連れが多く、周りには遊んでいる子供がたくさんいた。母親連れの子供も多く、その中の1人が作業を始めて数十分後にかなりのスピードで目の前を走り抜け、ようとした。

走り抜けようとして転んだのだ。幸い怪我もなく大して痛くもなかったようですぐ立ち上がって歩き出したのだが、不幸にもそのタイミングは、ぼくが転んだ子供とは全く関係がないどうでも良いことで笑った瞬間だった。子供は去ってゆき、その母親は偶然ぼくが笑ったのを見た。「違います!俺はあなたの子供がコケたから受けてるんじゃないんです!!」と言いたかったが、母親はぼくを軽蔑したまま歩いて行った。居た堪れなくなったぼくはベンチを立ち、公園を出た。

もう日は落ちていた。二子玉川にある大型商業施設「二子玉川RISE」は夜になるとだいぶ良い雰囲気になる。駅周辺に目立った繁華街もなく、遅くまで開いている商業施設もRISEを除いて他にないため、茫洋とした暗い景色の中でそこだけが唯一人工的な光を放っている。赤や緑の派手な電飾はなく、電燈めいた暖かい黄色や周囲に溶け込む暗い青の光のみが点いており、多摩川に停泊した大きな船のように見える。夜の二子玉川を歩いたら感傷的になった。ぼくは「夜そこにいると感傷的になるエリア」というのが明確にある。お台場、水道橋、そして二子玉川だ。共通点としては、それこそ川や海が近くにあるというところだろうか。

ぼくは元々、感傷的になることが多い人間だ。これはひとえに、ぼくがどうでも良いことをやたら思い出す性格だからだと思う。他の人からすれば「え、そんなこと(まだ)覚えてんの?」となるようなことをいつまでも忘れなかったり、ふとしたことがトリガーになって思い出すさまざまなことがぼくの感傷を支えている。二子玉川でも「ここはこの人と来たな」「この時これの写真を撮ったな」「この辺りでこんな会話をしたな」ということを事細かに思い出した。そういったことを、実際に記憶を共有している(はず、とこちらが考えている)相手に話してみても、覚えていないことが大半だ。同じ場所に来ても、ぼくと同じように思い出すようなことはないのだろうと思う。もちろん、物事や出来事に対する思い入れや記憶の仕方は異なるのだから、当たり前だ!

高校生のとき交際関係にあった相手と、マクドナルドで別れ話をした。話があるという時点で内容が別れ話であることは既になんとなくわかっていたのだが、どうにか関係を修復できないかと初めは思っていた。席についた途端に別れを切り出されるということもなく、しばらくは雑談に時間が費やされた。話題がなくなったとき、当時のぼくは多分決定的な話題を先延ばしにしたかったのだろう、店内で流れていた曲の話を切り出した。これ、あれだよね。とぼくは言った。その曲は少し前にぼくが勧めて2人で観ていたドラマの主題歌であり、そのことに気づいたときからその話をしようと思っていたのだ。だが相手は、あれって?と言った。

あのドラマの主題歌じゃん、とは言わなかった。この人とぼくでは、覚えていることが違うのだ、と思ったからだ。それは何か決定的で、凄く大事なことにも関わらず埋め難い何かを示しているように思えて、ぼくはその後切り出された別れ話に反対しなかった。

ちなみに、ぼくがその時振られた理由は「恋人として大事にしてくれない」ということだった。自分と話しているときも他の人と話しているときも同じに見えるし、「恋人として特別に扱われている」という感じが全然しないのだということだった。恋人なら恋人らしく、そのように振る舞って欲しかったということだった。

当時のぼくは「恋人らしく振る舞う相手を求めているのであれば、単に「恋人」役割を演じられれば誰でも構わないということであって、ならそれがぼくである必要はない(=「恋人」役割を上手く演じられるか否かが重要であって、そこには「ぼくが恋人でなくてはならない必然性」は存在しない)んだな」とかなんとかダラダラ思っていたが、今では「普通なら、そんなことわざわざ言われなくても理解できるし、こなせるはずなんだよな」とわかっている。これに関しては、頭では既にわかっているけれど、根本的な部分では全然ダメなのだと思う。

相手は現在、霞ヶ関で働いている。立派だ、といつも思うし「ちゃんと納税するか!」という気になる。幸い、別れたあとも良好な関係は続き、2人で水族館や映画を観に行ったりもしていた。そのことを他の人に話すと「え!気まずくないの?」と言われたが、別にそんなこともなかった。相手から誘われることもあったので、お互い(多少思うところがあったにせよ)ここまで気にしていなかったのだろう。

だが、それこそぼくが「恋人らしく振る舞ってこなかった」ことのこの上ない証明ではないのだろうか。何しろ、別れた恋人との交流に際して生まれる気まずさとは「これまでとは決定的に関係性が変わってしまったにも関わらず、何もなかったかのように接しようとすることの困難さ」に起因するのだろうから。

別れたあとの関係がぎこちなければぎこちないほど、それは「恋人らしい恋人だった」ことの現れではないか……と書くと、ぼくは別れた後さっぱり気持ちを入れ替えて生活していけたように見えるし、ぼくも「当時はそんな感じだったに違いないな!」と思っていたのだが、実はそうでもないのかもしれない。

別れた後、ぼくは『鈍い3月とその終わり』という短編の映画脚本を書いている。高校の卒業式当日、別れた恋人から貰った手紙を無くしてしまった主人公の話だ。要は自分の話なのだが、読み返すとこんなやり取りが登場する。

真 凛「そっか。……ねぇ、私と夏音って、どう見える?」

未 綾「……別に。付き合う前と同じに見えますけど。普通に喋ったりしてますよね」

真 凛「恥ずかしいな」

未 綾「恥ずかしい?」

真 凛「だって、見苦しいでしょ。終わった関係なのに平気な顔して。私嘘だと思うんだよね。別れても友達でいられる関係が一番良いとかさ。優しい方の“友達でいてあげよう”って善意にもう一人がつけこんで、内心もしかしたら、もしかしたらって期待してるだけの見苦しい関係じゃない

未 綾「そんな……」

真 凛「ううん。そうなの」

未 綾「……なんでそんなに、夏音先輩に執着するんですか」

「真凜」というのがぼくだ。ぼくは作中で、別れた恋人である「夏音」と自分の関係について、かなり客観的かつ自虐的に評している。これを読み直したとき「え!?俺って当時自分のこと見苦しいと思ってたの!?」と思った。

幸い、別れたあとも良好な関係は続き、2人で水族館や映画を観に行ったりもしていた。そのことを他の人に話すと「え!気まずくないの?」と言われたが、別にそんなこともなかった。相手から誘われることもあったので、お互い(多少思うところがあったにせよ)ここまで気にしていなかったのだろう。

じゃあこの記述嘘じゃん。少なくとも片方めっちゃ気にしてんじゃん。「優しい方の“友達でいてあげよう”って善意にもう一人がつけこんで、内心もしかしたら、もしかしたらって期待して」たんじゃん!

どうやら、自分は18歳当時の記憶を改竄していたらしい。少なくとも内心は色々思うところがあったのだろう。ぼくはどうでも良いことをやたら思い出す、覚えていると少し前に書いたが、どうやら記憶そのものの信頼性はそこまで高くないようだった。



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