無免許アオハライダーズ

僕には唯一、叫びながら読むジャンルの漫画がある。少女漫画だ。

例えば『日々蝶々』という作品がある。僕がこれを読んでいる途中で一番叫んだのは「メガネ!!」だった。同作にはメガネが出てくるのだ。

空手を嗜むそのメガネと主人公・柴石すいれんの恋模様を描かれるなか、僕はもどかしいメガネの一挙手一投足に「メガネ!(怒)」「メガネ!(喜)」「メガネ!(哀)」と叫んだり、あとは「もっと頑張れよ!!!」「そこはもっと別の言い方するんだよ!!」と、叫んではページをめくり、叫んではページをめくった。

すいれん(左)とメガネ(右)

他のジャンルの漫画で叫ぶことは一切ない。黙ってひたすら読む。というか少女漫画に関しては内容などどうでも良いのかもしれない。
「またかこいつ神経を疑うな!」「どういうことなんだよ!」「お前もなんか言ってやれ!」と叫ぶ瞬間が最高に楽しい。僕にとって少女漫画とは、叫ぶための本だ。

ただ、僕が叫びながら読む少女漫画は「現実の学校が舞台で恋愛が主題」のものに限る。SFやファンタジー要素の強いいわゆる24年組の漫画作品や、ベルばらやBANANA FISHなんかは、叫びながら読まない。

ところで、少女漫画というのは旬の若い役者を使ってよく実写化される。年に何回かは必ずやっているので、なんとなく「あぁ、ああいうやつね」というのがわかると思う。あぁいうやつです。

アオハル映画

あぁいう少女漫画原作映画を僕は「アオハル映画」と呼ぶことにしている。もちろん元ネタは別冊マーガレット*¹に連載された『アオハライド』*²だ。

「アオハル(青春)+ライド(ride)」=「青春に一生懸命乗っていく」という意味を込めた作者による造語らしい。
“乗っていく”の主語となるのは当然主人公たちや読者、言うなれば“アオハライダー”だ。
アオハル映画の鑑賞というのは、アオハライダ―によるアオハライディングということになる。そんなアオハライディングが出来る映画をいくつか挙げてみよう。

*¹ 少女漫画といえば、別冊マーガレット。
*² 咲坂伊緒による少女漫画作品。

…………しかし、つまんねぇ。Amazon primeで1度ひたすらこういうアオハル映画を観てみたんだけど、なぜつまらないんだろうか。おかしい、叫びながら観てもつまらない。けれども、これらの映画が好きな人はたくさんいる。試しにその中の一人に、観ていて何を思うのかと聞いてみた。

僕「観てるときとかどう思うの?」

ーーー「○○(主演俳優)カッコいいなぁ、とか、私も○○(主演女優)みたいな恋愛したいなぁ、的な?(ヒロインの恋愛対象となるイケメンが)二人いる場合とかだったら、自分ならどっち選ぶかなとか思って楽しい」

らしい。前者はわかる。しかし登場人物みたいな恋愛したいなぁ、というのはよくわからない。いや理屈はわかる。共感ができない。そもそも少女漫画を読んでいるときにもそんな事は一切思わなかった。ただ叫んでいた。

「登場人物みたいな恋愛したいなぁ」

これはなんだろう。『アオハライド』で言えば本田翼と東出昌大だ。「本田翼と東出昌大のような恋愛がしたいなぁ」ということになる。これはつまり、自分が現在いるところを出発点とし、本田翼と東出昌大にゴールを置く発想だ。本田翼と東出昌大のような恋愛を自分の延長線上に設置しているのである。

つまり主役カップルに感情移入し、彼らがスクリーンの中で興じる恋愛模様をシミュレートする。それがアオハル映画の主な楽しみ方ということになる。楽しめない僕は、それが出来ないのである。主役カップルに、感情移入……できない。

スクリーンの東出昌大を観ながら「待てよ……俺が本田翼と高畑充希*³に同時に好かれたら、一体どっちと付き合えば良いんだ……」などとは絶対に思わないだろう。僕が何か彼らを見ながら思うとすれば「本田翼も高畑充希も、そればかりか藤本泉まで、東出昌大のような男を好きになるのが現実か……」だ。

*³ 『アオハライド』で、高畑充希はなかなか出てこない。

逆にいえば、劇中にそういう事を考えている登場人物がいれば感情移入できる、映画に没頭できるはずだ。しかしそんな奴がいるだろうか。


いる。こいつである。

もちろん、本田翼ではない。

奥のメガネをかけた男子生徒だ。またメガネかよ。これは『アオハライド』に登場するメガネのエキストラで、当然役名は無い。このメガネの役柄は「ただ教室にいる男子生徒」だ。彼は本田翼の斜め後ろの、もう一つ後ろの席に座っている。

↑の写真は、クラスで修学旅行や体育祭など学校行事の企画に関わる代表生徒を決めることになり、本田翼を初めとする物語の主要メンバー(東出昌大・新川優愛・藤本泉・吉沢亮)らが次々に立候補するシーンである。
ここでメガネが何を思っているかわかるだろうか。僕はわかる。

メガネ「……こういうの一緒にやって付き合ったりすんだよなぁ……俺も立候補してたらワンチャンそういう機会あったんかなぁ……?いや、まぁ………無いか……」

だ。間違いなくそうだ。この全てを諦めたような表情を見て欲しい。

僕は東出昌大にも吉沢亮にも感情移入できないが、このメガネにならできる。メガネに台詞は無い。でももしかしたら、メガネも本田翼が好きだったかもしれない。いつも斜め後ろから本田翼を観ていたメガネは、もしかしたら彼女が周りの友達に常に神経を使ってキャラを演じている(劇中、そういう設定が存在する)のを察し「俺だけはわかるよ……翼……」と思っていたかもしれないのだ。

しかしそんな思いは届かない。例えメガネが東出昌大の何倍本田翼を好きだったとしても、本田翼はそんな事一切知らずに卒業していくのである。泣けるぜ。

このシーンを観て欲しい。メイン5人が揃って朝陽が昇るのを待っている。

この辺りで僕は全ての映像がメガネ視点にしか見えなくなってきた。右二人など突き落としてやった方が良いのではないだろうか。

こういったアオハル映画が嫌い、絶対つまらん、中身が無いなどなどと批判する層がこの世にはいる。彼らはアオハライドできないからそう言うのだ。そしてまた、制作側も彼らにアオハライドできるなどとは思っていない。

「いや、お前ら東出昌大と本田翼に感情移入できないでしょ?観なくて良いよ?」という思いをひしひしと感じる。しかしそれは普通の鑑賞の仕方だ。そりゃあもちろん出来ない。だが、すでに先ほど別の道を提示したはずだ。

そう、騙されたと思って劇場に足を運ぼう。そして、教室や廊下のシーンを探してみてほしい。
メガネのような、感情移入できそうなエキストラが1人は必ずいるはずだ。メインの役者とは一言も会話が無いが、自分と同じオーラを感じるエキストラが。たとえ台詞が一つもなかったとしても、彼らの内面に思いを馳せてみよう。きっと色々なやりきれないタイプの感情が湧き上がってきて、苦々しくもスクリーンから目を離せなくなるはずだ。時には主演を殴りたくなるかもしれない。

そんな観客、きっと制作側は意図していないだろう。いわば無免許アオハライダーだ。しかし、それでいい。

観もしないのにどうせイケメンが出てるだけで中身がスカスカだとか、全部おんなじようなストーリーだとか言ってないで、とりあえず観にいってみよう。なんなら普通に面白いまである。

ちなみに今月の27日、『10万分の1』というアオハル映画が公開される。

みんなで感情移入できるエキストラを見つけ、悶えながら全力で鑑賞しよう。キラキラした恋愛模様に、各々ダメージを受ける無免許アオハライダーたちが劇場中を埋め尽くす様はきっと壮観だ。

涙が止まらない予感、確かにしてきたぜ。

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