2/5 今年の抱負:人生経験を積む
もう2022年が始まって2ヶ月目だというのになんだ、と思われるかもしれないけれど、抱負を書こうと思う。今年の抱負というのは、年の初めに決まっていなければいけないというようなものでもないだろう。少し経って、今年の見通しが多少なりとも経ったら決めるというのが、一番良いんじゃないかと思ったりもするのだ。
今年の抱負は「人生経験を積む」だ。何だそれはと思うかもしれない。
高校まではあまり、自分の人生経験の無さを憂うことはなかった。大体周りも同じような人生を過ごしているように見えた。それが突然変わったのが高校から大学に上がったときで、周りの人間は僕の経験していないようなあらゆる経験を爆速で積み、外食というとファミレスとファーストフード店しかわからない僕は圧倒的少数派になってしまった。これは、大変なことだ。
コロナを言い訳にできる、と思うだろうか。僕も最初は思った。しかし出来ないのだ。別に人生経験を積むとか積まないとか、コロナは関係ないのだ。僕がコロナを言い訳に引きこもってるうちに、元々僕を大幅にリードしてた人たちは、爆速で更にあらゆる経験を積んで背中すら見えなくなってしまったのだ!
というわけで、今年やりたいことをいくつかここに書いていきたいと思う。チープに見えても、笑ってはいけない。
1. 飲み会に参加する。
僕は飲み会に行かないことがカッコいいと思っている節がある。が、実際そんなことはないのだ。飲み会に行け!コロナが蔓延して「飲み会」は忌避されるようになった。皆も賛成した。そこには「今はコロナ禍という非日常なのだから、飲み会は我慢しようね」という意識が共有されている。しかし、そこには共感できない。僕にとって「飲み会」はほとんど参加したことのない、特別一大イベントなのだ。僕の脳内で想定されている「飲み会」は実態よりもめちゃめちゃ楽しい可能性がある。それはともかく、僕にとって「飲み会」が忌避される世の中に一変したというのは、初めてクリスマスというイベントを知った子供が、10月辺りで親から「あの〜……楽しみにしてたところ悪いんだけど、ちょっと、今年はクリスマス、難しいかな〜」と言われてから一向にクリスマスが来ないというような状況に等しい。あれから2年、クリスマスについて自分でも調べたしどうやら他の家には来ているようだ。しかしうちには来ない、なぜ!というような心境だ。「今はコロナ禍という非日常なのだから、飲み会は我慢しようね」と言われて出来る人たちは飲み会が日常だから出来るのだ。飲み会忌避路線を受け入れてしまうものは、飲み会を知っているのだ。そもそも、そんな空気に構わず普段通り飲み会をしている人もいる。その人たちは単に日常を続けているだけだ。去年の夏辺り、こういったことを思いつめて「死なないようにするのではなくて、死生観を変えた方が良いな……」ということを考えていた。今もそこそこ思っている。飲み会に行ってみたいな〜。
2. 徹夜で遊ぶ。
僕は徹夜で遊ばない。夜の3時くらいから外に出て朝まで近所を歩くことをカウントするなら遊んだことがある。僕が言っているのはそういうことではない。徹夜で飲み会をしたり(また飲み会か)、徹夜でカラオケをしたり、徹夜で歩いたりすることを指している。いかにも楽しげだ。
3.他人の車に乗る。
僕は他人の車に乗らない。でも乗ってみたい。これに関しては、正直どっちでも良いと思っている節もあるのだが、他人の車に乗れば何か、何かあるような気がしてならぬという確信がある。他人の車に乗って、どこかにいきたい……こないだ『ドライブ・マイ・カー』を観たからなのか。しかし、僕は男の悲哀的なものと車が重ねられているとなんだか変な感じがするというか、現実感のないよくわからないものになってしまう。家に車がなかったし、車に憧れたりもしなかったからだろうか。「車は第二の家である」というような感覚を、僕は一度も持つことがないのだろうと思う。第二の家、なんだろう。やはり現代人の第二の家はスマホだろうか。『スワイプ・マイ・フォン』か。ちなみに免許は持っていない。
4.一人暮らししている人の家に行く。
僕は一人暮らしをしている人の家に行かない。一人暮らしをしている人自体は何人か知っているのだが、そこに行ったことがない。宅飲み、というのも憧れている。さっきから飲み会飲み会とばかり書いているから、とにかく飲み会がしたい奴に見えてくるが、別にそんなことはない。漫画やドラマ、映画とかを見ていると、学生は友人宅にたまっていたりする。ああいうのだと、お互い友達の友達というような知らない学生同士が意気投合したりしているが、あんなの実際あるんだろうか。僕は去年の夏、自主制作映画の現場を2日間だけ手伝うことになったのだが、そこには知っている人が二人しかおらず、めちゃくちゃ楽しそうな会話が繰り広げられ着々と映画が撮られているなか僕だけが一切何も喋らず、たまにこっそり外に出て息を吸ったり吐いたりしていた。時々「息が詰まる」というのを比喩表現かなにかだと思っている人を見るのだが、別にそれなりの負荷がかかれば人間は本当に息が詰まるのである。経験したことがない人は一度、アウェー空間で映画作りを手伝えば良い。作業自体は、楽しい。
5.実店舗で服を買う。
僕は実店舗で服を買わない。服はすべてネットで買っている。ただ、これに関しては僕の努力不足ではない。僕は過去に「あ〜、おしゃれになりたいな〜」と思って下北沢に行ったことがある。しかも2回。特に成果はなかったが、下北沢では「やっぱウマいね〜」と言っている人をよく見た。下北沢には飯屋や、劇場がある。たくさんある。そこから出てくる人たちが皆「やっぱウマいね〜」と言いながら出てくるのである。無論、料理や役者のことを話しているわけだが、とにかく「やっぱウマいね〜」と言うのである。これは何か。知らん。「(自分もそうだろうとは思っていたがやはり)ウマいね〜」なのか「(他での評判通り)ウマいね〜」なのか。話が飛んだが、とにかく僕は実店舗で服を買ってみたいと思っている。
まとめてみよう。
1. 飲み会に参加。
2. 徹夜で遊ぶ。
3.他人の車に乗る。
4.一人暮らししている人の家に行く。
5.実店舗で服を買う。
なんだこれは。
普通、今年大学四年生になる人には「夏には内定を取る」とか「卒論を書き上げる」とか、なんかもっと年相応の目標があるはずなのだ。
それをお前、飲み会だの徹夜で遊ぶだの、実店舗で服を買うだの……大丈夫かな、この人は。
しかし、仕方ないのだ。就活とか、卒論とか、そんなのはどうでも良いのだ。どうせ僕はスーツも持っていないのだ。そんな奴は企業も要らないだろう。そもそも人生経験を積んでいない人間は社会に出ても上手くいかないのだから、やはりこれらのことはやっておかないとまずいと思うのだ。
だから今年の抱負は「人生経験を積む」ことだ。僕にとって人生経験とは、他人の家や車にお邪魔したり、実店舗で服を買うことだ。
もう今年で22歳だというのになんだ、と思われるかもしれないけれど、人生経験を積もうと思う。人生経験というのは、成人まで積んでおかなきゃいけないというようなものでもないだろう。20年ちょい生きて、人生の見通しが多少なりとも経ったら積むというのが、一番良いんじゃないかと思ったりもするのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?