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自閉主義研究会

……という会を立ち上げました。その名の通り、「自閉主義」(self-closism?そのまんま過ぎるので、もっと適切なものが欲しいですね。Retreatismとか?)という考えについて話したり、書いたりしたいです。とりあえず自分一人で始めましたが、「会」ですし、誰かに参加してもらえると嬉しいなと思います。今回は、そのためのnoteです。もちろん、会に参加するかはわからないがとりあえず話してみたい、という方も歓迎です。

しかし、「自閉主義」は世間一般に知られている思想ではありません。いま興味をもってこの文章を読んでくれている方も「お、自閉主義か~悪くないね~」と思ってページを開いてくれたわけではないんじゃないかな?と思います。

ですので、まずは「自閉主義」についての簡単な説明をさせていただきます。意見や異論があれば、ぜひコメント欄やTwitterのリプライ、DMからお願いしたいです。実は自分もまだ、「自閉主義」についてあまりわかっていないのです。

具体的にどういった会になるのか、どういった人におすすめか、ということについては後ろの方に書きますので、「説明なんかあとで良いぜ!」という方はがーっとスクロールしていただければと思います。

「自閉主義」とはなにか

「自閉主義」は、社会学者の天野義智が『自閉主義のために』という著作で唱えた考えです。ただし、その肝要は1986年に「思想」に掲載された「自閉化について:「繭化体」と「独身者の機械」」のなかで既に示されています。

この論文に、以下のような箇所があります。

「他者たちとの直接的な関係性や社会的集団性への積極的なコミットメントを忌避して、自己への閉鎖を、あるいはなんらかの限定的な対象との対関係への閉鎖を指向する」

天野義智「「自閉化について:「繭化体」と「独身者の機械」」pp113

このような立場が「自閉主義」です……というのが、もっともシンプルな説明になるかと思います。といっても、ちょっと小難しいですね。

この立場をとる「自閉主義者」たちは、国家や社会、家族や学校、企業や各種コミュニティといった諸々への帰属意識が希薄であり、能動的に関わろうとしません。そして、少し特殊な生き方、他者との関わり方を望みます。そして天野は、このような立場をとる主体を「繭化体」と「独身者の機械」の二つに分類します。

「繭化体」

繭化体は、他者との関わりを最低限に留めて自己完結的に生きるか、特定の恋人や友人、もしくはペット、あるいはぬいぐるみといった限定的な対象との間にのみ濃い関係性を結び、それを除く他者との関係を極端に避けます。

繭化体さん「国とか社会とか、そういうものの一部として生きてるってなんか実感湧かないし嫌だなぁ。自分が関係性を維持したい、離れたくないと思うのは飼ってる犬だけ。自分と犬だけで繭のなかにこもって暮らせたらなぁ」

こんな感じでしょうか?最後のぼやきからわかる通り、繭化体は自らの外部を拒み、限られた存在と「同化」し、内にこもることを欲望しています。

「独身者の機械」

独身者の機械は、自分とはこれだ!という単一のアイデンティティ感覚がありません。自分はこうでもあり、ああでもあり、またこうでもある……というように様々な独立したものの混合物の集合体として自分を捉えており、ゆえに他者から一つの固定的なアイデンティティをもつ存在として捉えられることを苦痛に感じます。

独身者の機械さん「国とか社会とか、そういうものの一部として生きてるってなんか実感湧かないし嫌だなぁ。「この人にとって自分は「友人」だ」とか「この人にとって自分は「後輩」だ」みたいな感じで、関係性が固定されるのもキツイ。「自分はこういう存在だ」っていうのを定めずに、流動的に生きたいなぁ」

こんな感じでしょうか?独身者の機械は、繭化体とは反対に「異化」への欲望を抱いているといえるでしょう。

自閉主義的な文学、政治・社会運動、コミュニケーション・生き方

「自閉主義」はさまざまな現れ方をするでしょうし、現に存在するさまざまなものを「自閉主義」的にとらえることができると思います。以下は、その一例です。

・天野は「自閉主義」の文学者としてルソー、カフカ、プルーストを挙げています。もちろん、他にもいるでしょう。この本/この作家って「自閉主義」的じゃないですか?このドラマや映画、漫画やアニメのこのキャラクターや描写が「自閉主義」的に見えます!というようなことを話す、書く、語る……といった営みの可能性は無限ではないかと思っています。

・多くの「自閉主義」者は、国家や社会といった個人を超えた大きな存在との繋がりを否定的にとらえ、無関係に生きたいと考えるため、政治・社会運動との折り合いは悪いように見えます。しかし同時に、既存の社会規範や秩序と肌が合わない自閉主義者は、それらの限界や問題点を身をもって感じている存在でもあるわけです。政治・社会運動の担い手として、実にふさわしいとも言えないでしょうか。

・「自閉主義的なコミュニケーション」とは、どのようなものでしょうか?そして、それは実践可能なのでしょうか?社会との直接的な繋がりを断ち、恋人あるいは友人だけとの閉鎖的な関係性から辛うじて社会との接点をもって生きることはできるか?あるいは、一つのコミュニティに固着することを拒み、転々と生きることで「自分はこういう存在である」という一貫したアイデンティティの確立を回避することはできるか?そして、そのような欲望をどう捉えたら良いのか?……疑問は尽きません。

 自分は文学も、政治・社会運動も、コミュニケーションも詳しくありません。特にこれといった専門性はなく、単に「自閉主義」というものに関心があるだけの人です。もしその点さえ一致するのであれば、自分のような人にも、反対に特定の領域についての専門性を一定程度もっている人にも、自閉主義研究会に参加して欲しいと考えています。……ちょうど良いので、その辺についても詳しく書いておきましょうか。

なにをするの?

 前提として「自閉主義研究会はこういうことをやる組織である」ということについては、そんなにきっちり決めません。「自閉主義」という言葉に関心を持って集まった人たちが何をしたいか、それが「自閉主義研究会」なるものをとりあえず仮定し、関心領域やメンバーの変遷に伴って絶えず変わっていくような形にしたいです。ですから、まずは「自閉主義」なる言葉になぜ自分が関心を持ったか……を各々が確認するようなところから始めると良いかな、と考えています。

なので、もし人が集まったとしても、いきなり読書会とかはしないつもりです。まずは、先に挙げた「自閉化について:「繭化体」と「独身者の機械」」なんかを参考に(別にそれも読まなくて平気です。「自閉主義」なるものへのぼんやりとした興味さえあれば)、「自分は「自閉主義」に興味を持った。でも、そもそも「自閉主義」ってなんなんだ?」と一緒に考えていくところから始めたいと思います。

「こういうことを日々感じていて、これって「自閉主義」的なのかもと思ったんだけど……」とか、「この悩みって「自閉主義」の考え方で楽になるかな?そうじゃなくても何か関係ある?」といったものから、「○○の研究をしているのだが、「自閉主義」思想は○○のこの概念と繋げて論じることが出来ると思う」というようなところまで、雑多な話ができればうれしいです。もちろん「話をするのは苦手だ」という人がいれば、何か文面で意見やメッセージを寄せてもらっても構いません。

まぁ、いずれは読書会や、同人誌の制作、ゲストを読んでの座談会、あるいはYoutubeやPodcastの収録、note記事の共同執筆なんかをしても良いなと思っています。書く、しゃべる、聞く、撮られる……関わり方はいろいろあると良いでしょう。

それに、冒頭にも書きましたが別に会に参加せずとも構いません。少しでも興味を持たれた方がいたら、スペースでもDMでもお茶でもしましょう。

自閉主義研究会に入ってほしい人


興味さえもっていただけるなら、どなたに参加していただいても、とても嬉しいです。ですから、「どなたにも……とか言ってるけどどうせ自分みたいなやつは参加しても肩身狭いんだろ」と思われた方向けに「こういう方も大歓迎です」ということを書こうと思います。

・現実向いてないなぁと思う人
ぜひ入ってほしいです。「自閉主義研究会」なんて名前なんだからむしろそういうやつばっかだろ?と思いますか?まぁ確かにそれはそうなんですが……案外、こういう団体って「現実向いてない!みたいなこと言いながらも、コミュ力高くて人づきあいの良い知的な人々がわいわいやりがち」だったりして、人によっては「え、なんだかんだこいつら「大丈夫」な人たちじゃん……」と興ざめしたりするものです。もちろん、彼らだって表面的には見えない鬱屈や、社会への不信や不適合、違和感を強く感じていることが多いですし、もちろんそんな人々も大歓迎です。そして、彼らにちょっとした反発や羨ましさを感じる人にも、参加してほしいと思っています。

・既存の社会規範やシステムに反対だ!と強く思うわけでもない人
ぜひ入ってほしいです。自分自身「人並みに社会の規範を受け入れると同時に、人並みにその社会の規範に窮屈さを感じている程度の人間」(矢野利裕/『今日よりもマシな明日 文学芸能論』)です。今の社会はちょっと生き辛いし、自分が向いているとも思わないけど、強く逆らう気にもなれないなぁ……結局自分はそれを受け入れていくんだろうなぁ……「自閉主義」は、そんなことをぼんやり思っている人の役に立つ思想だと思っています。政治や社会、人文的知識が必要だとも思いません。あってもなくても良いんじゃないでしょうか?

・政治や文学、その他人文知についての知識や関心が普通に、あるいは普通以上にある人
ぜひ入ってほしいです。ここまでの書き方だと、ある程度の専門知を持っている人は遠慮すべきなのか……?という感じもしますよね。まったくそんなことはありません。学部生や院生として勉強・研究されている方はもちろん、外山界隈でも、だめライフでも、ゲンロン友の会でも誰でも歓迎します。

・珍しい団体に入って自分のアイデンティティを補強したい人
ぜひ入ってほしいです。「自分はこんな変わった団体に入ってるんだよなぁ……」としみじみ思うことほど、「何者かになりたい」人間にとって心地良いことはありません。入ってしまえばこっちのもんです。「自閉主義研究会ってのに入っててさぁ……」とイキり倒してもらえたら幸いです。なんといっても、自分だってそう変わりませんから。

自閉主義研究会のツイッターアカウント

こちらでは当分、『自閉主義のために』『繭の中のユートピア』をはじめとした自閉主義関連本のなかの文章を抜粋して紹介したいと思います。「このフレーズ良いなぁ」と思ったら、DMくれると嬉しいです。


最後に、自己紹介をしておこうと思います。

自分は國學院大學という渋谷の私立大学に通う学部生です。過去には「感傷マゾ同好会」という会を立ち上げたりもしていました。多分このnoteから想像される感じよりも話しやすい人間ではないかな?と思います。また、以下 は自分が書いた「自閉主義」について考えた文章です。長いですが、自己紹介代わりに載せておこうと思います。




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