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8/11 この感動は二度とない──である!

ぼくはオリンピック期間中、ずっとBerryz工房 DVD Magazine Vol.1~Vol.43を観ていた。Berryz工房 DVD Magazineとは、アイドルグループ・Berryz工房のライブ会場で買える特典DVDだ。2005年から2015年までのBerryz工房 DVD Magazineをひたすら見ていたら2005年収録のVol.1で13歳だったメンバーが10年後の最終巻では大学を卒業し、教員免許を取得していた。この感動はオリンピックなんかには到底及ばない。この感動は二度とない瞬間である!……感動をありがとう、Berryz工房。

Berryz工房は2004年の結成から、翌年にメンバーが1名卒業した他、活動休止した2015年までメンバーが一切変わらない。結成当時の平均年齢は10.7歳。それだけ長い時間一緒にいるからか、ときおり「時間だけなら家族より一緒にいる」という発言が度々メンバーの口から出ている。

これはDVD MagazineではなくMVのメイキング映像での話なのだが、「自分にとって、Berryz工房とは?」という問いに対してキャプテンが「第二の家族」と答えていた。(↓動画参照。これ自体はファンメイドのネタ動画だが、該当の発言が冒頭に来る。)

決して珍しい表現ではない。自分の所属するグループについて「家族同然」的なことを言う人は頻繁にいる。ただ、Berryz工房は確かに、他のアイドルグループよりも「家族」という表現が相応しいと思う。それは単に10年以上の付き合いだから、ということではなく……いや、そういうことでもあるんだけど、家族ってなんだろう?と考えたとき、まず条件として「大量の死者」があると僕は思うからだ。つまり、祖先のことである。彼らが各々の人生を全うして他界したからこそ、家族というものが引き継がれていく。重要なのは「他界」だ。この言葉はドルオタ用語で「特定のアイドルのファン活動をやめること」を指す。アイドルというものはファンがいなければ成り立たない。11年間活動したBerryz工房はそれだけファンに支えられたと同時に、大人数の「他界」したファンがいたはずなのである。それだけに「第二の“家族”」という表現はとてもしっくりくる。もちろん、キャプテンの意図とは違うだろうけど。

「他界」の他にも、「亡霊オタク」というドルオタ用語がある。「すでに活動をしていないアイドルを変わらず推し続けるオタク」という意味だけど、さっきから死にまつわる用語ばっかだな。アイドル業界は死に取り憑かれている……オタクが風呂に入ったらその匂いもとれるだろうか、いやオタクは風呂に入らないが?オタク風呂に入れ!!!いや、すみませんでした……オタクもちゃんと風呂に入っています……てか昨日も亡霊について書いたぞ。死に取り憑かれているのは僕だったのか……確かに活動休止したグループのDVDをひたすら見続けているのは亡霊オタクっぽいが……。

しかし、Berryz工房が行った最後の武道館ライブでキャプテンは「Berryz工房は今日で活動停止になりますが、永久に不滅です!」と語った。ようするに、解散したわけではない。なら亡霊オタクとは呼べないかも。(そうかな?)

ところで「永久」と「永遠」はどう違うんだろう。辞書的な意味だと、後者は「時間を超えて存在する」らしい。先述したキャプテンの言葉は「私たちは死ぬまでBerryz工房です!」と言い換えることができる、ということなのか。

しかし、単に辞書的な解釈で終わらせるのも味気ないし、ここは別のやり方で「永久」と「永遠」の間に線を引けるかどうか考えたい。

では逆に位置する言葉はなんだろう。パッと思いつくのは「瞬間」とかじゃないだろうか。だが不思議なことに「永遠」と「瞬間」は並存する。それは最上級の幸せの表現として度々「その瞬間が永遠のように感じられた」という類のフレーズが使われることに象徴されている。
なぜ正反対に見える二つが=であり得るのか。「瞬間」は連続する時間のなかから切り取られた一片であり、当然限りあるものだ。それは永遠とかけ離れているように思えるが、ときにあるべきものの不在こそが逆に圧倒的な存在を実感させることがあるように──まさにオタクが“亡霊”と化す理由だろう──限りある時間だからこそ、切り取られた瞬間が決して色褪せなない永遠として立ち現れてくる。

「瞬間」は必ずしも0.1秒といった短い時間というわけではない。たとえば代々続く一家族の系譜のような連綿と流れる時間から切り取るのであれば、一人の人生だって瞬間である。先述した通り「家族」とは一人一人が瞬間的な人生を全うし、「他界」してゆく死者の連なりであり、だから11年間の長い歴史と物語をもつBerryz工房とその活動は「家族」という表現が相応しいのだ。

そして、彼女たちがアイドルとして11年間続けてきた「ライブ」というイベントもまた時間の限られた「瞬間」であり、しかしそれゆえファンやメンバーにとって特別な「永遠」として記憶され得る。

人生とライブ、2つの「LIVE」は限りある瞬間であり、だからこそ時に「永遠」になる。僕がこのオリンピック期間中に延々と見続けていたBerryz工房 DVD Magazine は、冒頭にも書いた通りライブイベントで購入できる特典DVDだ。LIVEが、確かにそこにあったことの証拠だ。そこに映しだされる11年間は、何度も繰り返した通り少なからず「他界」の上に成り立っている。それは今となっては数えきれない人数だと思うが、彼らは統計上の数字ではなく「他界」していった死者なのだ。僕の性格上、少々迂回したが「死者によって支えられる」イベントという現実に向き合うことこそが、この期間ですべきことだったはずだ。

いやぁ、しかし感動した。Berryz工房は凄い。それこそ11年分のDVD Magazineなんてなかなか見終わらないかと思ったのだが、あっという間に見てしまった。しかしまぁ、何度も言うように永遠と瞬間は両立するのである。ライブ会場での多幸感が、開演から終演までの限りある瞬間を永遠に思わせるように。「永遠」は「瞬間」だし「瞬間」は「永遠」なのだ。

この感動は二度とない永遠である!!!!!!


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