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釈迦の四住期に「退廃期」を加えて五住期となす。パタヤでの放逸の5年間を終えて、バンコクで林住期を暮らす今。

日本に里帰りしていた友人がタイに戻ってきた。
電話で四方山話をしている折に、私の現在の暮らしぶりの話になった。
朝5時半の起床から夜12時の就寝まで、私の生活は読書と音楽、ジムでの筋トレ、水泳を中心に回っている。
母が一緒に暮らすようになってからは、週に少なくとも1回は外出するようにはしているが、ショッピングセンターをぶらついたり、レストランで外食をしてささやかな贅沢をするだけで帰ってくる程度だ。
まあ、我ながら変化に乏しい単調な生活だとは思う。

友人曰く「僕やったら我慢出来へん、そんな生活が続いたら発狂してまうわ!」。
彼はパタヤにコンドミニアムを所有しており、私がパタヤに暮らしていた時にはしょっちゅう一緒に飲み歩いていた仲だ。
彼は今でもパタヤを拠点として飲み歩き、日々目眩く狂騒を愉しんでおり、その生活は新たな出会いと変化に満ちているのだろう。そんな彼からすると、私の現在の生活はいかにも変化に乏しく、退屈に見えるのは当然だ。

友人との話を機に改めて自分の生活を振り返ってみた。
現在、私の生活は日々充足しており、無聊を託ったり時間を持て余すようなことは一切なく、このような時間が永く続くことを願っている。

パタヤで暮らしたあの狂騒と逸楽の生活は一体どこに行ってしまったのだろう?
精神生活に多面性があるのは言うまでもない。
私の場合、青年期から大きな二つの極があった。
一つは金子光晴やアルチュール・ランボー、ロートレック、ゴーギャンの思想や生き方にシンパシーを感じる自分。これは退廃の都ソドムを希求する生活であり陰の極みと言える。
そしてもう一つは道元やベルグソン、ミケランジェロにシンパシーを感じる自分。これは天上界を希求する生活であり陽の極みと言える。
この二つの極は全く相反する性質を持っているように見えるが、私の中ではそれぞれの思想が長年に亘り肉体化して渾然一体となっており、今に至るまで矛盾することなく同居してきた。

2014年にセミリタイアをして後、一年の半分をパタヤで暮らした5年間は陰の極みを指向した生活だった。
日々、飲み屋がぽつぽつと店を開け始める昼過ぎから私は店に入り浸り、退廃感に満ち満ちた淫靡な世界に親しみ、飽きることがなかった。
あの5年間、私は常に身近に金子光晴を感じ、ランボーやロートレックの背中を追い、ゴーギャンの暮らした南国とタイを重ね合わせていた。
しかし退廃と淫靡が爛熟し切った時に姿を現出することを期待した「真善美」はついぞ垣間見ることさえ叶わなかった。

隠極まり陽となす。
2019年のとある日を境に私は飲み屋通いを止めて、酒を飲むのも完全に止めた。それまで飲み屋を彷徨していた時間は、そのまま読書に充てられるようになった。
私の内部で少しずつ熟成されていた、内省的生活への希求が顕在化したのは自然なことのように思えた。

それはまさに三島由紀夫が云うように「肉体を捨離して、肉を軽蔑するため」に積み重ねられた放逸の時間が、「その軽蔑された肉が思うさま栄養を吸って、つやつやして、精神を包んで」しまいぷっくりと熟成したかのようだ。

釈迦の説く四住期を持ち出すまでもなく、人生はいくつかのステージに分ける
事が出来る。
学生期(青年期、学びの時期)、家住期(壮年期、経済活動の時期)を経たセミリタイア後の私は、「退廃期」を経験して今は林住期(老年期初期、独り学ぶ時期)にあるのだろう。

道元『正法眼蔵』九十五巻を原文で読み進めては、美しく詩的な日本語表現で綴られた思索に感嘆する時。
ドストエフスキー『罪と罰』『白痴』『悪霊』を数え切れぬほど読み返し、『全書簡集』を紐解いてはドストエフスキーの多面性に我が意を得る時。
ワーグナー『ニーベルングの指環』全曲を10人の指揮者で聴き比べては、カイルベルトの和声に新鮮な驚きを感じる時。
これら一つ一つが私には何よりも大切で快適な時間となっている。

私の林住期がいつまで続くのかは分からないが、10代から重ねてきた思索の迷宮を巡る旅は、『真・善・美』の肌触りだけでもこの手に感じなければならないという焦燥感は今や無く、あるがままの風景をあるがままに受け入れる旅の如く、安樂なこの遊行を一日でも長く続けていきたいと希うばかりだ。

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