学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
論語
この言葉は、孔子の『論語』の「為政篇」に収められています。『論語』は孔子と彼の弟子たちの対話や言行録をまとめたもので、儒教の基本テキストとして中国古代から広く読まれてきました。
孔子は紀元前551年から紀元前479年にかけて生き、倫理、政治、教育に関する思想を説きました。
学びて思わざれば則ち罔し
学びて(学び)
知識を学ぶこと、勉強することを意味します。孔子にとって「学ぶ」とは単に知識を得るだけでなく、先人の教えや歴史から学ぶことも含まれます。
思わざれば(思わないなら)
学んだ知識を深く考えたり、内省したりしないことを指します。
則ち罔し(即ち暗し)
これは、物事の本質がわからない、迷う、理解できないという意味です。
学んだことをただ受け入れるだけで、自分で考えたり反省したりしないと、学んだことが身につかず、結局は何も理解できない状態になります。
孔子は、知識を得るだけで満足するのではなく、それを自分の中でしっかりと消化し、理解するために考えることが重要だと強調しています。
思いて学ばざれば則ち殆し
思いて(思って)
考えること、思索することを意味します。
学ばざれば(学ばないなら)
新しい知識を得ようとしないことを指します。
則ち殆し(即ち危し)
危険である、誤った結論に至るという意味です。
考えるだけで新しい知識を得ようとしないと、自分の中で正しい判断ができなくなり、誤解や誤った結論に至る危険性があります。考えることは重要ですが、それだけでは不十分であり、継続的な学びによって正しい情報や視点を得ることが必要です。
この言葉は、儒教の教育理念の基本でもあり、学びと自己反省のバランスの重要性を強調しています。
孔子は、ただ単に知識を吸収するのではなく、それを自分の経験や思考を通じて内面化し、実践できる知恵に変えることを目指していました。
この言葉には、学びと考えのバランスを保つことがいかに重要かを教えています。孔子は、このバランスを保つことで初めて真の知恵と理解が得られ、誤った判断や行動を避けることができると説いています。
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