見出し画像

テロリストにも感銘を与えた、日本人外交官のサムライ魂



ネットで書籍を漁っているとき、一冊の本に目が止まりました。「外交官誘拐さる」(大口信夫著・ダイヤモンド社)です。


わたしの頭には53年前に遭遇した、記者時代の大事件が蘇りました。サンパウロ 総領事が都市ゲリラに拉致された、日本の外交史上初の、外交官誘拐事件が起きたのです。

1970年3月11日午後6過ぎのことです。公務を終えた大口総領事が、車で30分足らずの公邸へ帰る途中に、テロリストに拉致されました。


当時のブラジルは、1964年3月に起きた軍部の無血クーデターで、軍事政権が発足して以来、左翼による政治テロ活動が頻発していました。

サンパウロ 市内では、白昼堂々とテロリストによる銀行強盗が横行していました。交通渋滞のなか、軽機関銃で脅しながら暴走する犯行を目にすることがありました。

大口総領事が拉致から解放されて、徒歩で公邸に帰還したのは、97時間15分後の、3月15日午後7時45分でした。


すでに逮捕収監されていたテロリストを、メキシコへ亡命させる交換条件が実っての解放でした。

その情報をキャッチした報道陣は、午前5時ごろから公邸前で張り込みをはじめ、カメラの砲列が敷かれていました。事実通信社サンパウロ 支局記者として、わたしも群れのなかの一人でした。

サンパウロ の3月は残暑が厳しく、炎天下での張り込みは忍耐を強いられるものでした。帰還する総領事を見るために集まったやじ馬は1000人を越え、抜け目のないアイスクリーム屋が現れて、大繁盛していました。

大口総領事は東大卒後の昭和17年に、外務省に入省されましたが、戦時中は海軍主計大尉の軍人でした。

自ら著した回顧録には、「人は危機に際して示す態度によって、その真価が決まる」と肚を括って臨んだそうです。


その毅然とした態度がテロリストにも畏怖心を与え、拉致されている間も終始紳士的に応じたと記されています。解放するため公邸近くまで車で送ってきたテロリストは、別れ際に握手を求めたそうです。

私は無事解放された顛末を、東京の外信部にテレックスした後は、泥のように眠りに落ち、目覚めたのは2日後でした。

大口総領事とは事件後に、記者仲間と懇親会をもちましたが、穏やかな表情ではあっても、秘密は口外しない意志の強靭さを感じました。本のページをくるたびに、当時の高揚した取材の興奮と、大口総領事の器量の大きな人間性が浮かんできます。

#大口信夫総領事
#外交官誘拐事件
#テロリスト
#占い鑑定師  彦阪泥舟

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?