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人間が生産しているんじゃない。自然が作っているだと、これは。草一本、人間が作っているんじゃない。自然が作ってるんだ。

人間は何一つ知らない。一切の存在は無価値であり、無意味である一切の行為は無益であり、無駄である。そしてこの「無」こそが広大無辺の「有」なのだ。


これらの名言は、95歳で土に還った自然農法の先駆者・福岡正信翁が吐き出したものです。

彼の著書「わら一本の革命」を読みながら、20代で移住したブラジルでの開拓農時代が蘇ってきました。

日本人移住者は、「ガラスの粉からでも農作物を産み出す」、農業の魔術師と称賛される反面、日本人が歩いた跡にはペンペン草も生えない、と言われるほど大地の滋味を収奪する原始農法に頼った時期もありました。

綿花やコーヒーのプランテーションで栄えた日本人入植地も、土地が痩せ細るとともに衰退していきました。


「無の哲学の実践者」と謳われた、帯のコピーに惹かれて一気に読了しましたが、彼がもし、南米大陸で農業に挑んでいたら、どのような農法を編み出していたのだろうか、と思いを馳せました。

ー 私が考えている自然農法というのは、実をいうと、いわゆる科学農法の一部ではないんだ、と。科学農法の次元からはなれた東洋哲学の立場、あるいは東洋の思想、宗教というものの立場からみた農法を確立しようとしている ー

福岡正信の自然農法には、易経の思想と重なるいくつかの類似性が見られます。両者ともに自然の循環やバランスを尊重し、人間の介入を最小限に抑えることを強調しています。

福岡は畑をわらで覆い、土を耕さない方法を提唱し、これによって土地の生態系が自然なサイクルで機能することを目指しています。

同様に、易経の思想も自然の法則や変化を観察し、それに従って行動することを提唱しています。易経においては、自然の循環や変化が「陰陽五行」として表現され、これを理解することで適切な行動や決断ができるとされています。


両者はまた、環境への敬意や調和の考え方も共有しています。福岡は自然農法を通じて生態系全体との調和を追求し、易経もまた人間と自然の調和を重視しています。

これらの共通点から、福岡正信の自然農法は、易経の自然循環論と共振できる部分が少なくありません。

SDGsが全人類の目標になっている今こそ、福岡正信翁の自然農法思想を見習うときだと思います。

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#易経 #SDGs  #自然循環論

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