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鳩時計の振り子が規則正しく揺れている。
振り子は鳥を象った木製で、腹の部分だけが白い。無音で行ったり来たりを繰り返す。

「お休みモード」に設定されたエアコンが、僅かに羽を開き時々生ぬるい風を送る。換気扇がうるさく感じられて、そろそろ蓋を開けて掃除をしなければと思う。壁にかけられたドライフラワーは色褪せ、もう香りを放たない。誕生日にもらった花束、日毎に水気が抜けていく。腐るよりも枯れていく様が気分に合う。

寝返りを打った時に、東洋医学において腎と耳の繋がりが深いことを思い出す。耳は胎児のかたちに似ている。驚きや不安、恐怖と関連する。
目を閉じ、耳に触れる。ひやりとした軟骨。
胎児の頭から順に揉みほぐしていく。指先から徐々に熱が伝わっていく。じんわりとした痛み。昨日感じた背中内側からのそれではなく、心地良い。癌が後腹膜で広がっているらしく、その為に尿が尿道を通りにくい状態になっていると先日告げられたところだ。私の小さなふたつの腎臓は、癌によって「物理的に圧迫されている」と医師は言った。

お腹の中を想像する。癌細胞が居場所を求めてうろついている。胞子のような粘つきを持った、紫だか緑だかの混ざったような濃い色合い。一旦くっ付くと蜘蛛の糸のように離れない。
「ねえ、あなたはどうしてここに来たの?」
癌細胞は聞く耳を持たない。言葉が届かない。
私は言葉を失う。届かないのに何を言えば良いのだろう。
その壊れた細胞は増殖を続けている。

突然、子どもの頃のことがよみがえる。
それは土曜日だった。土曜が半日授業だった頃のこと。
その日、両親に何らかの用事があって、私は学校を終えたら校門の前で迎えを待つ、という話になっていた。まだ一年生だった私に「帰らないで待っていてね」と母は念を押した。

子どもたちは班ごとに帰っていく。明日は休み、うきうきと皆、昼ご飯を目指してあっという間にいなくなっていった。
静かになった校門の前で、私は両親を待った。

ランドセルを足元に置く。砂利を集めて小さな山にしたり、体育館の階段を上り降りしたり。車が通るたびに目を向け、よその人が通る時にはいかにも一人前のような顔をして待っていた。

どのくらい時間が経ったのだろう。両親はまだ来なかった。
何かあったのだろうか。それとも私が何か聞き違えたのだろうか。
このまま待ち続けたら、先生が出て来てまだ帰宅していないことを怒られるかもしれない。人が横切るたびに、チラッと見られているような気がした。

校門からすぐの道路脇に、小学生御用達の文房具店があり、そこに公衆電話があることを私は知っていた。自宅の電話番号もわかる。しかしその日、私はお金を持っていなかった。
どうしたらよいのだろう?
自宅までは徒歩で30分以上かかるし、車で来るはずの両親とすれ違ったら困る。
職員室に行って、事情を説明しようか?けれど当時の担任は、私にとってとても怖い先生だった。怒られるかもしれない、という思いが先に立った。

文房具屋さんに行って事情を説明し、10円を借りて電話をかけさせてもらおう。それが一年生の私が出した結論だった。ランドセルを背負っているんだし、小学生なのは見ればわかる。親と会えたらすぐお金を返せるんだから。

カラカラと引き戸を開けると、奥の部屋でテレビが鳴っているのが聞こえた。入り口のすぐ前にレジがあって、周りにジャポニカの学習帳や、たくさんの文房具が所狭しと並んでいる。レジの中におばさんが1人。同じくらいのおばさんが先客で、おしゃべりをしていた。
二人は入ってきた私に目をやって、また話に戻った。私は怪しまれないようにその場に立ち、何となく文房具を眺めながら話が途切れるのを待った。

おばさん達の世間話はなかなか終わらなかった。両親が来て、私が校門の前にいないと慌てるかもしれない。しかし大人の話に入る隙もなく、私はただ辛抱強く待った。

やがて、先客のおばさんは帰っていった。
店のおばさんは、レジの中で座ってテレビを見ている。私は声を出した。「あの、すみません」
おばさんがこちらに顔を向けたので、私は事情を説明した。
おばさんは言った。「最近は、お金を貸しても返さない子がいるのよねぇ」

私は、お母さんが来たらすぐに返します、と小さな声で言ったけれど、その言葉は受け取ってくれる相手を失い宙に浮いたままとなった。おばさんはもう私の方を見なかった。テレビの中で笑い声が響いていた。

結局私は泣きながら下校ルートをひとり歩き、家まであとわずかのところで探していた両親に見つけられた。おばさんとのことは、誰にも話さなかった。


小さな私に存在した小さな腎臓。
そして大人になった私の腎臓は、今、壊れながら増え続ける細胞に居場所を奪われ、押しつぶされそうになっている。何を思うか腎臓も黙ったまま、ただそこにいる。小さなからだで健気に働いている。

私は私を守らなければならない。私の内臓の微かな声を聞き洩らしてはならない。私が引き受けずして誰が受け取ってくれるだろう。
心臓が鼓動を打つ。深呼吸をすると血が巡りだす。
私の思いは腎臓に届くだろうか。それともこの温かな血流も、あの細胞に吸い取られるのだろうか。

でも、と私は思う。怖がるのはやめよう。怖がったら腎が痩せ細る。私が今やるべきことは。


鳩時計が朝を知らせて鳴いている。
誰のものでもない、私の一日がまた始まる。





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