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痛み

痛みについて書いています。気が進まない方は読まずにお通りください。


痛みで夜中に目が覚めた。

突如としてやって来て、まったく自分では制御出来ない。それが痛みだ。

例えば転んだ時。転んだ瞬間は驚きに支配される。頭の機能が静止して、視界はスローモーションになり、音は消える。
転び終えると、それから世界が動き出す。
声が聞こえ、目の前がはっきりする。恥ずかしさが生まれる。さまざまな感覚が戻ってくると同時に、痛みがやって来る。

じんじんじん。
さっきまで無かったものがある。
感覚は痛みに集中する。

落ち着いたところで感情もやって来る。
感情はその状況次第でどんなものにもなる。
友達とふざけていた時なら、転んだことさえ大笑いに変わるだろう。
失恋した後なら、あまりにもみじめだ。
緊急の時には感情はやって来ない。痛みすら。

痛みを感じ続けたり、より強く感じるなら、それはきっと気持ちが引き起こしている痛み。

擦り傷で済んだ場合、徐々に痛みは消えていく。
そして人は痛みを忘れる。

病気の痛みはとても個人的なものだ。 
どんな風に痛いか、他人に説明するのは難しい。
それと似た痛みの想像は出来ても、同じ痛みを分かち合えるとは到底思えない。
その孤独ぶんだけ、痛みは増幅する。
そして、終わりが見えない。いつまで続くのか、ピークはどこなのか、その頼りなさが更に人を痛みの感覚に埋没させる。

通常、痛みは何かの異変のサインとして起こる。何かが身体に起きている、注意!注意!
だから痛みが起こった時に、原因を探らず痛みを抑えるだけで忘れてしまったら痛みの意味が無い。

ではあるが、痛い。
鎮痛剤であるカロナールを飲んで1時間以上経ったがまだ腹部が痛む。ゼロにはならない。
遠赤外線が温めてくれているのが唯一の安らぎ。
癌の痛みは我慢するなと言われるが、我慢したくないのに痛みはやって来て、なかなか去らないのである。早くどこかにお帰り頂きたいのに。どうしろっていうの。

痛くなったらボタンを押すと痛みが消える。
そんなシステムがあったらいいな。ばんばん使っちゃう。
はっきり言って思考停止である。あぁ停止したい。全感覚を。

カロナールで抑えられているなら、まだまだ大丈夫。と、言われた。
つまり、痛みのレベルとしてはまだ低いらしい。
え、これで?いやいやいや、そんなレベルのことなんて考えたくないです。知りません。何のフォローにもなっていません。
まぁ結局、私の痛みは私だけの痛みなのだな。良かれ悪しかれ。

何も考えられず、考えたくないから、痛みについて綴ってみた。少しは気が紛れた。
朝には、おさまっているかな。
何も不都合が無い状態の体で目覚めることは、替え難い幸せ。
今の私にとってはあまりにも遠い、前世のような日常。

痛みが遠のいていれば、この真夜中の不安も葛藤も朝の光に消えてしまうだろう。
それでいい。
私にはやることがある。
この痛みには、後悔も反省も要らない。




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