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私の髪の話 第一話

鬘を借りることになった。
カツラである。今風に言うとウィッグ。
これから記すのは、がんの治療中、ここ半年で私に起こった、俺の家……ではなくて私の髪の話だ。


昨年の夏から、抗がん剤を始めた。その副作用としてほぼ全ての人に脱毛が生じるという話は聞いていた。副作用の中でも、丁寧な説明が割かれている大事な項目である。女の命とも言われる髪が抜けていくことは、男女に依らず、恐怖であり深い悲しみであり驚愕であると聞く。そう感じるのは当然の心の有り様だと思う。

ただ、私はそうではなかった。
元々、化粧っ気も無く、こざっぱりしていることの方を好む質だからだろうか。
髪が抜けるなら、抜けたら良い。と思った。今までにない新しい自分になるような、少し高揚するような気さえあった。

実際に髪が抜け始めたのは、治療が始まって数週間が経つ頃。
シャワーで髪を洗うと、トングでスパゲティをすくうが如く、髪が抜けていく。
おぉ……と思わず声が漏れる。
子どもたちには説明済みだが、さすがの量に目を丸くしている。
枕にもものすごい量の脱毛。コロコロがベッド脇に常備される。コロが1回転で、はい次、である。替えを夫に発注しておく。

観察すると、頭頂から抜けていく様子だ。額やうなじの生え際は輪状に残っているので、何とも形容しがたい姿に変容していく。
髪が抜けること自体、ではなく、徐々に髪が抜けていく過程・その見た目が柔らかく自分を傷つける。という経験を身に刻んだ。

家族の反応も書いておこう。
私は子どもたち、特に思春期の娘がどう感じるか…なんてことを事前に心配していた。
しかし。
私のところにやってきては薄笑いを浮かべながら、簡単に抜ける髪をむしっていくという残虐行為を繰り返すツワモノ3人組であった。
就寝中、頭に巻いていたタオルが外れた姿を目にした夫は、しばらく目が離せず見入っちゃった、らしい。ねえ、それってどういう気持ちなの。


私の脱毛は、すべての髪には起こらなかった。ある程度抜けて、抜け止まった。抜けるなら全て抜ければサッパリするだろうに、なぜか抜ける場所と抜けない場所に分かれたのである。同じ頭部なのに。
ある日、バリカンで頭を刈ることにした。やはり不揃いであることが美観を損ねていると判断したのだ。芝生と同じである。
鏡の前で四苦八苦していると、夫が代わってくれると言う。バリカン初体験の夫。任せるべきか思案するが、どう体を捻っても後頭部は難しいので、押し問答の末、頼むことにする。

「まさか初めてのバリカンが自分の妻の頭だとは」とか言いながら、幾分楽しげに電動のバリカンを唸らす夫。少し過敏になっている頭部なので、刃はスキンヘッドの0番ではなく少し残す1番。安定した手つきで髪を刈っていく。
10分もしないうちに、鏡の中には尼さんがひとり、出来上がっていた。

うん、悪くない。
この方がずっと性に合っている。
家族はナデナデしてくれるし、鏡をみるたび笑みが浮かぶ。新しい自分がいる。清々しい!

刈る前と後では、頭に当たる空気の冷たさがまったく違う。あの雑な草取り後のようなボサッとした残り髪たちが、どれだけ私の頭部を守ってくれていたことか。
あぁ失って初めてわかる有り難さ、だ。

夫は、バリカンで刈っている最中、ひとり感傷的になりちょっぴり涙ぐんでいたらしい。
知らなかった。
まったく可愛いおセンチ野郎である。


〈続〉

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