「いてくれて良かった」は「いなくても平気」と表裏一体
DREAMS COME TRUEの『サンキュ。』という曲が昔から大好きです。
失恋の愚痴を友達に聞いてもらう、という場面の曲ですね。
「何も聞かずに付き合ってくれてサンキュ。(中略)…いてくれて良かった。」
自分が話したいことを一方的に話せる相手、というのは非常に大切な存在です。
私にとってもそうです。
「よくこんな話を聞いてくれるな、ありがたいなあ」という人が何人かいます。
とはいえ、大切ではあっても、それは必要とは違う。
「必要」になってしまったら、それは依存です。
程度の問題ではありますが、健全な人間関係とは言えない。
人間関係(ことに恋愛関係)において「必要と思われたい」という感情は非常に危険です。
『必要』なんてことは本質的には有り得ない。
それは、別にいなくなっても死なないからです。
これは会社でも同じです。
「自分がいなくなったら会社が困る」と考えている人がいます。
精神的に会社に依存している人が、こういう考え方をすることが多い。
自分の社会的価値を、会社にしか見出せない人です。
私も会社員だった頃、そう思っていた頃がありました。
でもそれは120%思い込みです。
一人が欠けたくらいで回らなくなるなら、そんなのは健全な会社組織とは言えない。
いることで役に立ってはいるけど、極端に言えば「いないよりマシ」程度です。
代わりの誰かは絶対にいます。
とはいえ、自分に都合の良い思い込みは、決して悪いことな訳ではないです。
自分に価値を感じられる、というのは、たとえそれが思い込みであっても、自己満足でも、他者貢献であれば、幸せに繋がる。
ただし、気持ちの面で1か所に依存するのでは危険なので、依存を数か所に分散する必要がある。
私が最近真剣に勉強し始めたアドラー心理学では、あらゆる悩みはすべて人間関係の悩みであり、人間関係は【仕事】【交友】【愛】に分けられると言います。
私はあらゆる人間関係において「いてくれて良かった」、言い方を変えると「いないよりはマシ」な存在になれた、と自分が思えたら十分、と考えるようになってから、生きるのが楽になりました。
相手がどう思うかはコントロールできないですから。
自分が死んでも、誰かが死ぬことはないし。
何が言いたいかと言うと。
損得勘定抜きで、他愛も無い話に付き合ってくれる人は貴重だから、大切にしよう。
「他愛も無い」ってなかなかの表現だな、と生まれて初めて気づきました。
「自分の事しか考えてない」ってことか。
ここまでお読み頂いて、サンキュ。
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