アンパンマンと水戸黄門とワンピース【勧善懲悪は教育に良いのか】
こんにちは、hikkyです。
小学校に入る前の頃、アンパンマンが大好きでした。
我が家には当時、ビデオがなかったため、祖父母に頼んで録画してもらっていました。
今でもどうやらアンパンマンは、物心がつくかどうかの子供のバイブルになっているようです。
多くの人が、とりあえずアンパンマンを通ってきている。
好きかどうかは置いておいても、毎回の話の流れは誰でもわかる。
そこに疑問を抱いたのは大学生の時。
「世の中ってアンパンマンみたいに、わかりやすく善と悪には分かれてないよな。」
アンパンマンの世界は、基本的に勧善懲悪です。
バイキンマンという悪がやってきて、悪さをして、アンパンマンという善がなんやかんやのあと、結局ぶっ飛ばす。
「悪さをすると報いがあるから、善い行いをしようね」という教育なのでしょうか。
結局ぶっ飛ばすのが善?
水戸黄門も仕組みは全く同じです。
悪い奴(越後屋とか?)が悪さをして、助さんと格さんが懲らしめて、「もういいでしょう」と言って、実は偉い人でした。というオチ。
いや、偉いんなら、暴力で懲らしめるよりも言葉で諭せばいいのに。
結局アンパンマンも水戸黄門も『悪い奴が痛い目を見てスカッとする』のを楽しむ話なのではないか。
アンパンマンも水戸黄門も、善というより普通じゃないか?
『スカッとジャパン』というテレビ番組があって、『ムカっとする』嫌な奴が出てきて、上手いことブチのめして『スカッとする』というものですが…
これはムカっと来る人の存在が前提です。
スカッとしたい気持ちはわかるのですが、個人的にはこの番組は好きではありません。
「良い悪いの分別をつける」というのは大事なことだと思うのですが「善人と悪人の分別」は良くない。
どうもアンパンマンや水戸黄門などの勧善懲悪は、いじめなどの差別的なもののキッカケになってしまっているような気がするのです。
基本的にはマジョリティが正義とされる日本なので、空気が読めなかったり、意見や考え方が違ったりすると、仲間外れにされやすい。
とはいっても、アンパンマンが毎回バイキンマンをぶっ飛ばさずに「君も仲間に入ろうよ」と、平和的な解決をしてしまったら、エンタメ的に面白くない。
そんなわけで、私にいつかもし子供が生まれたら、アンパンマンは見せずに、ワンピースを見せると思います。
ルフィは海賊ですからね。「正義も悪も、時と場合によるんだよ」と。
最近ワンピースが熱すぎると世間で話題なので、数年ぶりに追いかけてみようかと思います。
ここまでご覧頂き、ありがとうございました!
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