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砂時計は戻せない

お疲れ様です。マンスリー計画(2024年6月)でございます。

先月はグダグダ定義と理由付けで長くなってしまったので今月はあっさりと行きます。

タイトルを毎月マンスリー計画するのは味気ないしどうせX経由でしかnoteなんぞ読まれない気がしているので遊ぶことにしました。

先月殊勝な事言っときながらXに頼りきりすぎる。まあみんな悪口言いながら使ってるし一緒や一緒。

先月の目標の確認と達成状況

マンスリー計画の更新

毎月始まって1週間以内にその月の目標をたて、前の月建てた目標がどれくらい達成できたかを記録するものとし、遠くの巨岩ばかり見て目の前の石ころに躓く移りげな自分への自省が目的となります。

noteを来月書いて目標を立てるってのを今月の目標に入れるべきでは?w

マンスリー計画(2024年5月)|hikki (note.com)

noteを来月書いて目標を立てるってのを今月の目標に入れるべきでは?w

マンスリー計画(2024年5月)|hikki (note.com)

では?w

マンスリー計画(2024年5月)|hikki (note.com)

✖。小学3年生でも夏休み始まって3日くらいはまず宿題やるぞ。

さて、急にnoteを書き始めた理由ですがこれはhikkiさんのnoteに影響を受けただけです。

https://note.com/hikki0000/n/n4088f29c1745

Twitter(新X)でもいいのですが、noteのような長い文章になると書き手の考えや思想をより理解することができて面白いなぁと感じています。

僕はhikkiさんのように面白い文章を書くことはできませんが、毎月noteを書いていくことで現状の課題の分析と自己の客観視、解決策についてアウトプットできれば良いなと思っています。要するに目標達成シートですね。
毎月書くぞ~!(おー!)

月刊noteそのいち(2024年6月号)|YamaYama

僕からはひとつだけ、憧れるのはやめましょう。ファーストにインムシュミキモがいたり、センターを見たらマイク・タノウットがいたり、外野にコンキー・タッツーがいたり、大学にいたら誰しもが聞いたことのある選手たちがいると思うんですけど、今日一日だけは憧れてしまったら超えられないので、僕らは今日超えるために、トップになるためにきたので、今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう。さあ、いこう!

パクリのパクリって引用元の明記要らないよね。まさか引用元にSci-Hubって書く教授なんかおらんしな。いないよね?いたら倫理観とお給料が心配なるわ。

倫理観とお給料が心配になる人

エロあるよ(笑)

あとタッツーはいい加減にプロポーズせえ。

おまえさんが思っとるより世界も社会も周囲の人も友達も彼女さんもおまえさんも優しくていい奴だし、そんな君がそこまで想い悩んで授業ブッチして会いに行っちゃう程の価値と魅力ある人間がいつまでも待ってくれると思うのは驕りっすよ笑。

「オ、オデだけがこいつを分かってあげられるんダデ……ヒュフッ!」役さすがに似合わんてw。ネクタイが真っ直ぐすぎる。

どうしてオタクはまっすぐモノを扱わないのか

別に。嫉妬とかじゃないすよ。全然。マジマジオ。なんで想い人空から降りて来ないん…?

睡眠周期と睡眠習慣

✖。だめかなー。古典的出オチ

4月の始めに手術をし、その影響で睡眠バランスが崩され、軌道を回復しようと意気込んだ5月だったのですがあまり上手くいきませんでした。手術のことブログに書くって一月前に言ってましたよね。

総睡眠時間と休息時間の相関関係のグラフ
レム睡眠と総睡眠時間の相関関係のグラフ
レム睡眠と睡眠スコアの相関関係のグラフ

相関関係から推測するに昼の休息時間が少ないと総睡眠時間が減り、総睡眠時間が減るとレム睡眠が減り、レム睡眠の大小は強く睡眠の質にかかわっているのではないかといえます。うんにゃ。

今月のデータアナリストフェーズ

ChatGPTに聞いたら「はい。私もあなたを愛しています。」とか言ってたからおそらく真実。かしこいぼく(23)はなんとエビデンスも用意できます。

愛こそ正義!ラブアンドピース!愛の前では全てが肯定される!!!

「因果と相関を取り違えるな」とかいえばなんかの反論出来てると思っとるアホはコメントください。IPアドレス晒す。

死語になったけど概念は定着したものTOP3: fusianasanトラップ

まあIPアドレスじゃ大したこと分かりませんけどね。ちょうどマチアプのプロフくらいの情報量なんじゃないすか。金払って知らんメスにケツ振り媚び売りサービスすんの馬鹿馬鹿しいからやっとらんで伝聞だけど。

やってないものに文句つける22歳の耳年増さすがにキツイって(笑)

これ書いてる時はギリ22や!!!OZISANやない!!!

……先輩だけどごめんなさい。しばくぞ。

今月のインテリゲンツィヤフェーズ

ぴあり先輩-自分から年齢、あるいは人間として下だと思っている女にちょっかいをかけた後、その女の姿と言動を妄想してシコり、心の中で汚すことによって精神勝利を行うフェチズムを宿していたロリコンに見せかけたマゾヒストーもきっと年齢イジリされてキレてたんだろうな。いや興奮してそうだわ。

せ、せんぱい……

さて、23歳になって思うこととして、プロフィールとかわざわざ書くのってただただ面倒くさいっすね。ほんとは21歳になってからずっと思ってることなんすけど新しいもの貰ったら使いたいじゃないですか~~。はよ77とかもらえんかな。

別にいらん

何かに縛られたくない(困った時真っ先に人に頼るやつが言いがちなフレーズ)・高時給(後ろ盾を融かして金物にしているだけ)・研修がダルい・飲食業界特有の「俺バカ高卒だけど大学生のお前より仕事早いから俺はお前より地頭良くて有能だぞ」的な気色悪いマウント・昼まで寝てたい・働きたくないといったオトナにしかわかんない悩みの末、職を転々とし続けるフリーランス(フリーターのフワフワ言葉)風小銭稼ぎのねずみ小僧に模した存在となり痛感しました。


後藤ひとりには頼らんからな。

(追記1)

ここの部分たしか2024/05/23(日)に書いてて少し間が空き今2024/06/06(木)なんすけど

"後藤ひとりには頼らんからな。"

ってマジでどういうこと?ちょっと前に書いたはずなのにマジでわからん。

(追記1おわり)

(追記2)

2024/06/12(水)になって気付いたんだけどもしかしてこいつ"小僧に模し"と"後藤ひとり"で文繋いだの?22歳のお前それでいいと思ってるの?韻が踏めてるからなんだよ。

後でよく考えてもここどうしてこの画像とこんな〆にしたんだろ……画像の文章はがないだし……やけくそで見出しにしたわ。擦られすぎて一周回ってちょい古いなろう系みたい。

(追記2おわり)

ニュースに茶々入れるフェーズ

あ、ところでなんですけど「先輩だけどごめんなさい。しばくぞ。」も人のパクリです。誰でしょう?

オラついて大事(だった)人からもらった砂時計を壊すタイプの人

ごめん誰だっけ……うーん。イケメンやね。鼻毛見えとらんか?

ともあれ、履歴書や求人も自分を文章で盛()ってるだけだし、写真で盛(さか)ってるマチアプと変わりません。なら面倒くさいので全部統合してIPアドレス以外一切情報の無い人材サイトがあってもいいと思います。


ネットでの発言や立ち居振る舞いには人格と責任が宿りますからね?
ドヤ?

IPバレには気をつけよう!

NEEDY GIRL OVERDOSEのアニメ化待ってます!!!

てなわけで雑談終了。

今日のお医者さんごっこフェーズ

再会。今月の睡眠が浅い理由は明確で5月前半は術後侵襲による抑うつ状態と考えられます。タイ人(名倉さん)がなったやつっすね。

侵襲が起こると、私たちの体は炎症や免疫反応を起こして体の正常な反応が阻害されます。この反応の程度によっては治療を行った部分だけでなく健康な組織までがその反応に巻き込まれて、害を受けてしまうことがあるのです。

反応によるダメージの重さは、傷跡が残るほどのよくあるものから重篤なものまでさまざまで、不全が起こる場所が手術を行ったところと異なるケースもよく起こります。

また、侵襲を受けた細胞が放出する炎症の原因物質がストレスとなって、イライラや過敏、気分の落ち込みといった精神的なダメージが起こるケースも報告されています。これらの症状や精神の不安定さを抱えたまま日常生活を送るのは、非常に休まらないものであったのではないかと想像できます。

ネプチューン名倉さんの「術後の侵襲」によるうつ病・休業報道から見る「休業期間とリワーク」のポイント | ストレスチェックマガジン (altpaper.net)

まあ要するに術後の変化や違和感(後遺症とか副反応っていうやつ)や病院でなく家で過ごす時に「まだいてーけどこれ良くなってんのか…」とか「なんかあったらどうしよ…」と病んで不安になって抑うつ状態を呈するものです。

マタニティブルー(産後抑うつ)を想像してもらえば言いたいこと伝わるんじゃないすかね。産まない方の性別が産後を語るな。

この辺り知ってたんである程度の想定はあったけど寝れんのが続くのはなかなかキツかったすね。マタニティブルーの例え出しといてなんでリンク先大腸がん患者向けのサイトなんだよ。ケツから赤ちゃん出ると思ってる方の性別はこれだから……

特に入院中は21:00~6:00とかいう大谷翔平と乾布摩擦やってそうな爺さんしか耐えられないであろう魔の概日リズムに翻弄され、体内時計が乱されたのも痛かったっすね。いつも26:00に寝てるんすけど……

この世界は夜型に優しくない。

古き良きでもないだろつながっていないようでつながっている時代のTwitter

タイムライン2時間くらい止まっとるやん。寝ろよ。隕石堕ちた後の恐竜?

てなてなで5月前半は不安でろくすっぽ眠れませんでした。この時の痴態と反省は後述(サボリ魔の口癖)

23歳の懺悔と感謝

今一番砂時計を戻したいであろう人。かわいそう……

ほんで4月休職してたんで5月金ほしーとなり、週5くらいで仕事詰めてました。サル?

普通にマネージャー雇って管理してもらわんと狂死してしまうかも。

バカのカルマ。バカルマ

たぶん砂時計があっても使わないタイプのギャンブラー

どう考えても無理のあるスケジュールであったものの、無理くり外に出て案外誰も自分が感じていた術前後の違和を気にしてないのを実感し、メランコリックな状態は緩和されました。

というかよほど好奇心強いガキかめっちゃ性格悪いカスじゃなきゃ普通他人の違和感について無理に聞かないだけっすね。はいはいガキでカスでごめんなさい!!!ここマジで自縄自縛っすね。

仏典などの日本語での解釈では「業」という意味合いで使われる。 サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳される。 カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。」という因果応報の法則のことであり、インド占星術の土台であるヴェーダ哲学の根底に流れる思想である。

カルマとは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

当たり前にストレスのたまり方はすごく、5月中旬は

「今日何もしてへん….」→「夜作業するぞ….」→「寝不足で動けん…」→「今日何もしてへん….」→「夜作業するぞ….」→「寝不足で動けん…」→……

となり、なんもない日を作りたくがないために徐々にパフォーマンスを落としてしまうリベンジ夜更かしの典型的なパターンにハマっていました。ここほんまにバカルマ

疲れたので好きな曲紹介

まさしく「錆び付いた車輪。悲鳴を上げ、僕等の体を運んでいく。」状態でした。脳と心臓が可哀想だと思った。

ここはカルマだと思った?残念でしたー!!!

再現性がないで有名「マシュマロ実験

全責任を22歳の自分のせいにするフェーズ

何はともあれ22歳がマシュマロ我慢できないのはダメっしょ。

てのに気付き、すこーしずつ睡眠時間を早めようとしていました。うそ。体力と気力の限界がきて動けなくなっただけだよね(笑)

「これだけすれば何とかなるはず」と出来もしないことを考え、「1日寝たら快復するっしょ」と起きもしないことを願い、「まだ若いからイケるイケる」と数値や事実が示す宿命でなく願望を優先した愚かな私はその報いを受け、心身が擦り切れ、23歳になる数瞬前、浮いていました。

厨二病も22歳で捨てとけよ。さすがにキツイて。」という激励のメッセージありがとうございます。しばくぞ。

実際感覚として心身のキャパを越えすぎてて、自分という生体兵器を自分が操っているような感覚になりました。いわゆる解離ですね。

個人的キャラと作品の知名度の差ナンバー1のアニメ

まあ、実際浮いているわけはなく。ゆらりふらりしながらに、それでも廻り廻っていた日常と地球にちょっとクラッとしそうになったんすよね。

現実逃避って、いいよね!

ここはズラせよ。

今回は僕のサイノウじゃないです。僕は弱いし一人ではないので。

いい感じにしまったんでダメかなこれ。ダメだよねー。

23歳、最初の気付き

実は俺、めちゃくちゃ周りに助けられてますよね。

マジで恥ずかしい話なんすけど22歳まで自認として俺が引っ張っていく側!ボケとツッコミならどう考えてもツッコミ派!とか思ってました。

普通にボケでした。周りが優しくツッコんでくれてたことに気付き恥ずかしすぎて沈みました。

ソクラテスに杯を渡した(渡していない)クリトンくらいの表情をしていた

本編

えー。このnoteを読んでくれてる皆様。いつもお世話になっております。hikkiと申します。
日々迷惑をおかけしてスミマセンでした……
私は皆様の寛大なご対応に救われております。本当に感謝しています。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。頑張って生きます。

勤務先に遅刻して謝罪文を書くhikki

歌入れる前のカラオケじゃねえーんだぞ。

残りのチェック

話の配分考えろよバカルマ。要するに「最近眠れないんだよねー。」だけを伝える話に6000字!?

さすがに書き疲れたんでダイジェストで。雑談じゃなくて振り返りが本質では。

外出

やりすぎ。寝ろ。

食事バランス

バランス以前に食わなすぎ。やばい。173/53ってなに。

入院を経て俺が二郎の400gと家系のお米で辛うじて体重をキープしていたことが分かりました。たぶん脂中毒か脂依存症の類だったんだと思う。退院後全く行く気起きてません。重くてしょっぱくてくどいだけでは……?

歯磨き(実家暮らしマウント)

してる。実家暮らしの利点、地味に歯磨き風呂圧が強いはあると思う。

俺一人暮らしだったらたぶん歯磨きダルくて飯一食だけにしてツルツルした部屋着にして服着たまま湯舟入ってツルツル→ツルツル→ツルツルのループ(ツルツループははずくて言えん)をしているミライしか見えん。

で、裸族と化し、最期は異常成人独身男性(フルチン)と。

ネタバレ注意忘れてたわやべ

んーと、死んだら局部に布かけてくれる儷(つれあい)募集中です。これ(TNK)と東京個別指導学院(TKG)の求人並べたら調布に白衣着たバイト増えそうw。絶対やめとけ。

作業給※¥5,565
(カリキュラム作成/教室美化、掃除)

募集要項|塾講師になるなら、ベネッセグループ 東京個別指導学院・関西個別指導学院の塾講師アルバイト (tkg.jp)

後輩諸君はこれがブラックバイトだと2秒で分かるようになってください。バカッテお兄ちゃん(バカおに)からの約束です。

研究で使う本読み

読んだけど色々あって全部忘れた。輪読で使うスライドの作り方を前日に急に変えるのはやめよう。

憧れるのはやめよう

不自由があって苦しくて泥這いつくばって笑われようと前向き必死に生きとし生きようとする強い生命力を持ったabnormal上っ面だけをすくって承認欲求を満たす脳も能も生も才も説も薄っぺらい量産型ノーマルレア定型者の集団によって潰されたとても悲しい健常者エミュレータ事例集も忘れないでください。

ネットだと「普通に産まれたかった」って言葉めっちゃ見るけど出木杉君もスネ夫もジャイアンもしずかものび太も普通じゃないからな。意識せず目に入ってくる上、見た人間に負の感情を抱かせる強さをもった人間のどこが普通なんすかね?

互いに自分が知り得ない、なり得ない存在を美化している―生存者バイアスーにすぎないけど量産型はそれを隠すのが上手いにすぎないだけなのが改めて共有されましたね。

積読消化

輪読会に変わりました。先延ばし癖同士で始めて予想通り先延ばしが続いています。大好きだよ。

虎の威を借りる狐

遅刻を咎める側になって思ったんすけど遅刻って割とムカつきますよね。あと、俺の周り優しすぎでしょ。

ここ2年以内に起きたすべての予定に遅刻し、「俺が時間だ。」くらいに堂々としているバカルマ(23)マジでなんなん???これで自認がツッコミ側??????ボケがよ。

ちなみに「遅刻癖の人ってデートはいつも遅刻するのに試験や面接みたいな大事なことは遅刻しないし甘えだよね。」とよく言われますが、試験も面接も遅刻してます。

たぶん今も強い負荷(ストレス)を自分にかければ定刻通り行けますが、集中力と精神力の8割を捧げた結果得られるものが10~30分では割に合っていないことに気付き、30分遅れてでも10割の自分を魅せようといった方にシフトしていきました。ごめんなさい周りに甘えているだけです。まだギリイキリが許される歳だと思ってるんです。みんな大好きです。

明日なきものは悔いなき選択ではなく、選択、悔い無きでしょ。非制限用法です。

スト6

やった。シンプルにまとまった時間割けん。やりたい。

スプラ3

やるわけねえだろ。

環境とそうでないブキとで露骨に強さ変えて調整をして環境が一強にならないようにしたいのは分かるけど今の環境は一強が一様になっただけっすよ。どうしてこうすべてが中途半端なゲームになっちゃったんだろうな……

サーモンランは真っ当に面白いです。一見に厳しすぎるけど。

マジッククラフト

ひとまずクリア。オタクが好きなもの詰め合わせすぎて悔しいんだけど面白い。

今月(生)の目標

こんな自分を笑って受け入れてくれる、愛をもって接してくれる自分が絶対に失いたくない大好きなものと人すべてに感謝と思いを絶対に伝える。記録に残す。

以上!!!!あと休みます。疲れて愛に縋りたくなっている!!!!恥ずかしい。

大好きだよ。

おわり。また来月!!!






















らしくないことを多く書きすぎましたね。

先に謝ります。ごめんなさい。今回かなり意図的に違和感の強い、サイケテリックな構成でnoteを作りました。ここから先はその種明かしです。

きっと、いや間違いなく、ここから先はここまで読んでくれた文章もしくは私が好きな、どうであれ期待をしてくれたあなたを傷つけます。

いいえ。絶対に傷つけることを目的とした文章を書きます。私に愛をくれた人間に、心からの背信を込めて。

もう既にムカっときたでしょ?笑。どうぞお帰りください。あなたはそれでいいんです。そんな人の傷は唾でもつけときゃ治っちゃうんで。バカバカしいんだよね。でもバカバカしくいて欲しいんだ。









ここまで言ってなお残る誰かがいれば、もしいれば、あなただけには、誤魔化さないであげます。棘塗れの廃墟に入る好事家への罰です。










2024年5月27日。15時12分。

私の、最愛の、唯一の、

私を無条件に

誰よりも

誰よりも誰よりも

誰よりも誰よりも誰よりも誰よりも、

真に掛け値なく愛してくれた、

かけがえのない、おばあさまが、

いなくなりました。

77歳でした。

もう取り返しもやり直しも、

素敵なものと人ばかりに囲まれ素敵になりつつある自分を見て褒めてもらう機会も、

ありったけの笑顔で、

楽しいと、

ありがとうと、

ミライは明るいと、

言いたかったことぜんぶぜんぶ伝える機会、

永遠にもらえなくなっちゃいました。

あんなにはなしたのに、どうしてでしょうか。
こえが聞こえないし、こえが届かないんです。

考えていることがうまくできず、
自他通して怠惰にしか見えず、
辛くて苦しいけど、
何がどう辛くて苦しいのか分からないし伝えられない、

自分を、
それでも、

信じて、、、、守って、、、愛してくれたんです。

毎週日曜の朝、歩くのが嫌いだから座ってばかりだったおばあさまを連れ出し、

帰ってりんごを剝いてもらい、

自分のためにわざわざ注文してくれたストレートのりんごジュースを出してくれ、

麻雀をしたり、

とりとめのない話を、
ずっと、ずっと、なんとなくしていた、なんとなくしていられるとおもっていた、
いえは、
なんともなくなり、だれもいなくなりました。

18歳になって1か月くらい、いつものように、日曜、家を訪ね、おりませんでした。

翌日、月曜、家を訪ね、おりませんでした。

ほんとうにちょっと、ちょっとだけ、なにかがおかしいと思いました。

70を超えていた一人暮らしのおばあさまが2日続けて家を空けることは、あんまり起きづらいでしょう。

そして、そんなことより、日曜欠かさず家に行ってるのに、家を空け、その連絡もない。

とっても傲慢で独占的だけど、それくらいに愛を、おばあさまを信じていました。

私以上に記録とメモとコレクション、有形と可視物が好きな、私のおばあさまが、メッセージを返さないなんて、そうではないなと思いました。

無形なる愛を、信じてしまうほど愛するおばあさまが、なにか違う。不可視であっても、判りました。

夜、今と違い、好きじゃなかった、理解のないと避けていた、両親に、ためしに家を見てきてほしいと言いました。

お酒を飲んでいた父親は嫌がり、母親は眠たげにしていました。

母親はペーパードライバーだから危なっかしいと言いつつ、2人で夜のドライブに行ってもらいました。

その日、父と母は帰ってきませんでした。

深夜1時、電話があり、

おばあさまと話しが長引いていた、

もしかしたら2人きりでデートでもしていて、
火遊びをして、

これから帰ってくる、早く寝なさい、
そんな連絡だと、

それだけと、そう思いたかった。

でもそんなふまじめな両親でないことは判っていたから。

判ってしまうから。

電話を取る意味がないな、取りたくないなと思いつつ取ってあげました。

中身は、なんだっけ。

あと1日遅かったら死んでたとか毎週家に行ってて良かったとか命の恩人だとか言ってくれていたと教えてくれました。最上級のお褒めの言葉なのになんも覚えてないや。もったいないね。

聞きたくなかったな。

直ぐに病院に入り、意識がどうたら、記憶がどうたらでてんやわんやでした。

少ししたら、伯母を名乗る太った汚らしい寄生虫の豚が金欲しさに介護すると言いだし、お金がどうだの、家はどうだの、年金がああだの、通帳はどこだの、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部どうでもいいくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらないくだらない話を行い、あくなき問答の末、家の電話線が抜かれ、そうこうしてコロナ禍となり会えなくなってしまいました。

異形の怪物がおばあさあに何ができるとおもっているのでしょうか?きもちがわるいです。

環境の変化と最愛の存在を見失うこのあいだ、おばあさまだけに見せていた醜態が世界全体に露見され、失望と絶望の中、神を呪い、愛の存在を否定し、底なし沼の底にいると思い込んでいました。

ロープはずっと垂らされていたのに、垂らしてくれる人がいたのに、それを喪うかもしれない、それがどうしても怖く、そのロープが罠で偽りでまやかしだと冷笑し、部屋は開かれていたのにカーテンで仕切り、孤独だと、愛されたいと嘯いていました。

脳に靄がかかり、虚ろの中で、沈んでいるのか、溺れているのか、浮いているのか、不在でした。

霧の中、何も見えず、全てを失い、全てが敵、全て毒だと錯乱し、自力で、自分の力だけで、今の苦しみがどう苦しいかと、それはどうすればなくなるかを誰にも相談しませんでした。

おばあさまの孤高を共有するかのごとく、どこか孤独でありたかったのです。孤独は色も音も温度も持たず、絶対の否定であり、でも、永遠だからです。

論理・数式・記録・孤独、それは神が、あるいは死者が生者に授けた永遠性を持つ道具です。

終わりなき無の中には永遠があるから、愛が、おばあさまがそうであってほしいから。

私にとっての一番の、最大の幸福は、思索の果てに答えを見つけ、『孤独感』は孤独ではないと気付いたことでしょう。

感情・言葉・記憶・帰納、そんな刹那は生者の道具であり、誰よりも生者の道具に縋り、死界を、永遠を、望む滑稽さに気付いたことです。

我々必滅の存在が久遠を見られないのと同様、不滅の存在も泡沫が見えないのでしょう。いささか人間原理的で根拠の弱い憶測ですが、私は生者です。

永遠であれないからこそ、明日変化するかもしれない直感に阿り、誤り、謝り、有形の像を保たぬ自我をもって、意地汚く、恥の多い存在が肯定されるのです。

裏を返せば、明日が今日と一緒であると推測や望みこそすれ、その断定と確信は不滅の存在にしかできず、生者は未来に軛など打てないのです。

明日最愛の存在が最悪に、あるいは愛が失われ、もしかしたら喪われるかもしれません。

砂時計は戻せません。あとどれくらい砂が落ちるかも判りません。不便の極みでしょう。

でも、私たち―生者は不可視の砂時計を推測していいのです。それが正しくなければ砂の量を見直してもいいのです。でも、それが正しいと確信はしてはいけないのです。

悩みの果ての中、21歳になり漸く気付き、気付いていい、傷ついていい、生者の道を選びました。遠回りのしすぎですが、それでもおばあさま以外の極小に見える、儚くいつ消えるか分からない、るらるらの灯を信じてみることにしました。

砂がどうであってもいいように、人生、場所仲間と無形と不可視を有形だと想像する、生者ゆえの醜い足搔きと、おばあさまに持つ愛と比べたらきっと罅まみれの色の鈍い、それでもこれが精一杯と。これでいいと肯定する愛をもって接するようになりました。

死者の道を、不自由な肉体と精神の枷を捨て、永遠であろうとするおばあさまと、はじめて道を違えました。

22歳、面会が行えるようになりました。その間、生者が死者になる前に使える永遠の道具-記録-勉強-エピソード-を聞き、調べ、愛をもって、おそらく今年が最期になることが判ってしまいました。

心臓に病を抱えたおばあさまがてんかんにより2日程倒れてから、少しだけ入院をしてリハビリを行ってから退院する話が気付けば手術の話となり、気付けばリハビリの話さえ出なくなっていき、手術を「するほど」じゃないとなりました。

私は賢いから、誰よりも苦しんで、誰よりも諦めなかったから、そして誰よりもおばあさまを愛しているから、「おばあちゃんリハビリ乗り気じゃないから励ましてあげて。」や「もう少しで退院なんだけど帰りたがらないんだ。」といったおかあさんのけなしや努力不足を批判するヤジが、まだおばあさまが生者の道を歩み続けているんだと私に伝えるための優しい嘘でしかないと、すべて判ってしまったんです。

最愛の私の声が届かなくなりつつあるなと、きっとそろそろ、道を完全に違えてしまうなと、直感なくしても、会わなくても判りました。

だからせめて、22歳は、ありとあらゆる代償を払ってもいいから、それでも自分はおばあさまが導いてくれ、背中を押し続けてもらった生者の道を進み続ける、進み続けたいと示したかったから、何度も何度も本当にしつこいくらいに何度も会いに行きました。

判ってはいるけど、会うにつれ、生者であるのに残る砂が刻一刻減っていてごく僅かだと確信したくなるほど衰えていき、松葉杖をついて談話室で話していたのが、いつしか車いすに乗り小部屋になり、そして病棟のベッドの上となり、推論が誤っていないことを残酷なほどに、永遠の別れが近いと示していました。

それでも、私と会う時だけは元気を出してくれたようで、22歳の1年で話したことは今の悩みや成長、書くほどにないとりとめのない、でもかけがえのない、毎週日曜の、最愛の空間でした。

正直自分と会ってからすぐ容態悪くなること多くて行くか悩んでた時もありましたけどね…….(笑)

2024年。年明けからしばしば起きていたらしい意識の混濁が強くなり、5月11日に『家に帰る』ことになりました。

その前日、5月10日に面会に行く事になりました。

バスの最中、「家でも治療自体は出来るから、慣れ親しんだ空間でリラックスすれば良くなるかも。」嘘としてもあまりに脆く低級で、それでも子を護るため、必死に優しい夢を魅せようと言葉をかけ続けてくれたおかあさんの愛には感謝しかありません。もっと早く頼るべきでしたね。

でも、自分はそれに頼れなかったから、頼らなかったから、『家に帰る』は『家に還る』であり、これが最後の会話になると、そして私の23歳の誕生日を見てもらい、祝福してもらう声を聞く事は叶わないのだろうと、5月の最終週がお別れになると、絶対の確信を持っていました。なぜなら、最愛の存在であり、最も愛されている存在だから。愛と存在が永遠に近づきつつあるから。

病棟に入るとおかあさんにとっては奇跡的な、自分にとってはいつも通りなイメージそのままのおばあさまの姿でした。まるでこれが最後でないと思わせるかのような病人と思えぬ自然体でした。

それが逆に自然すぎて、ここが終点であり、私があなたに見せる最後で生涯見て欲しい姿だと言いたげで、受け入れたくなかった最終回が今日であると首肯せざるを得ないものでした。

見えるものが好きで私が足の小指の爪が小さいことに気付き、「私と一緒」と笑っていたおばあさまのことです。ほぼ付けていない入れ歯も入れ、服や点滴に工夫をし、元気な装いを作ってくれていました、おばあさまもここが最後であると判っていたのでしょう。

悲しいほどに愛の疎通が出来ていますね。

といいつつ、「これで最後」などとお互い言いだせるわけもなく、いつものようにとりとめのない話や、お引越しの話、私の入院後の話、そして手術は辛かったけど後悔していない、色々な人にお世話になった、と最後になってやっと私はおばあさまにおばあさま以外にも弱みや恥を見せられると伝えることができました。過去と現在に一切の後悔がないと、そう伝えられました。最高に楽しかったです。

おばあさまは優しいから「よかったねえ」と笑いつつ、しばしば過去の話を行い、「あの時助けてくれてありがとう。死なずにすんで良かった。」や「手術して納得出来てるなら良かったね。」、「来てくれて嬉しい。」と私の過去と現在の行動を全て肯定してくれました。

面会時間が終る直前、つまりきっと今生の別れが迫る中、おばあさまが「家に帰りたくない。」、「あなたの家の近くのマンション買って引っ越せば良かった。」、「お願いだからずっとここにいて欲しい。」と初めて、私に涙を見せました。

生者として最期の願いであり、永遠に限りなく近づいているおばあさまに残る極小の儚い、夢でした。

でも過去は変えられない。砂時計は戻せない。そして、永遠も約束できない。

だから、そっと手を握り、「今話せて良かったよ。」と、生者なりに生を肯定する他ありませんでした。

最期、別れの時、おばあさまは「さよなら」と言いました。何かの間違いかと思い、「またね!」と手を握りました。

それでも「さよなら」と返しました。何度も「またね!」と言っても何度も「さよなら」と。

死者の道を歩むと、引導を渡されました。

きっとソクラテスなら「理性的な死」と歓迎し、「さよなら」と返せと怒るでしょう。

でも、自分は永遠の潔癖、完成、不滅になれないしその資格もない。

自己中心的に生き、誰かを傷つけ、苦しめ、それでも救済がなされるファウストそのものです。

だからこそ、これが最期だと確信し、これが永遠となることを「願って」、「お話楽しかった!ずっとずっとずっとずっと大好きだよおばあさま。」と伝えました。

「嬉しい。産まれてくれてありがとう。」と返してくれました。本当に最期に、最愛の存在から、おばあさまから、至上の、絶対の、生存肯定をもらいました。

病棟から、宿命の岐路から道を違えました。

家に還り3日後、満足したのか、心残りが消えたのか、あるいは不便な器を脱したくなったのか、意識がほぼ戻らず、周りに挨拶もろくにせず、不帰の旅へ出発しました。いっぱいお世話になったのにおばあさまはずいぶんとふてぶてしいですね。

判っていた、判っていた、知識としても、対人としても死は強く予測できていた。

おばあさまは意識混濁から半年近く生者であろうとしてくれた。理性ある最期の一瞬に別れの挨拶もできた、愛の物語としてこれ以上ないくらいの、最高の、エンディングでしょう。

でも、

でも、

私はどうしようもないくらい欲張りだから、

そうであってほしくないと、

昔考えもしなかった願いを持ち、

呪った神にも縋り、

持てる力を全て使い、

見えるものから目を背け、

今まで頼った思考を否定し、祈り、

どうにかできないか足掻いたんですけど、

ダメでした。

つらいなあ。

葬儀には行きませんでした。

退院後(金のために)介護すると強弁し、その実介護のすべてを自分と顔が似ていないから冷遇し、給料を搾取している従姉を無理やり休職させた上で行わせ、肉体的な死をその従姉一人に看取らせ、その上、「行こうと思ったけど仕事休んでるし私が稼がないとダメでしょ。」と全責任を従姉に投げ、挙句、金がかすめられると考え葬儀を手配すると言いだし、もちろん出来ずおかあさんに全て投げつけ、「どうしても手配やりたいらしいからやっていいよ。」と自己愛性パーソナリティー障害と投影と金が大好きな弔う気のない蛆虫と同じ場にいたくなかったのも理由の一つです。

葬儀終わってから教えてもらったんすけど家臣をこれっぽちも守らない親指お姫さまは私に対し、「もっと早く見つけときゃ良かったのに。仕事忙しくて行けなかったけど明日だったら行ってたのに。」といい、おとうさんやおかあさんには「末っ子が祖母の口座を預かるのはおかしい。マインドコントロールしてお金を自由に引き出そうとしている。」などと抜かしていたらしいです。

こんな陰口を言いながら、おばあさあに「君が伯母さんのこと嫌ってるってショック受けてた。」と言わせる、さも自分でなく相手が嫌っているかのように言い、それを直接言わない卑怯さ。精神性があまりに未熟であり、惨めです。

葬儀の場では全員に無視されていて交通費だけめっちゃ高くもらおうとしてきたとおかあさんが愚痴っていました。地獄の沙汰も金次第でしょうか。

無間地獄に堕ち、周りを呪いながら、苦しんで頂きたいです。半天狗みたく鬼になられても困りますが……

最も大きい理由はこれではなく、おばあさまが最期の力で演出した「エンディング」を尊重したかったからです。

肉体は仮初の器であり、そこに魂がありません。葬式は生者の自己満足と納得の場でしかなく、なにより日常モノの最終回が涙と念仏、そして骨の収集のバッドエンディングなんて嫌でしょう。ゆるキャン△最終話が涙と鳥葬で急に終わったらブチギレでしょ。

だから自分は、それが常識的でなく、空気が読めず、現実逃避の子供じみた考えだってことだって判っていても、そんな自分が大好きで全肯定してくれると「信じ」、2024/05/10(金)のあの幾時間が、エンディングとして、生涯の記憶と永遠の記録にしたいと、おばあさまは強く、優しく、そして、愛で溢れていて、幸せだったと、至上の愛の果てに最高の花が咲いたと、心から胸を張り、アルバムを締めくくります。

と、いいつつまだまだ出来てないんですけどね….(笑)

亡くなった当日、家族が必死にこらえてテレビやスマホを見て無理に笑って消化しているのに自分だけ泣き通し家族みんな泣かせてしまいました。

挙句「自分の知っている中で最も人の痛みが分かり、思い悩み苦しみながらそれでも前を向き続けている、笑顔がすごく綺麗で素敵な一輪花」と思う人に夜中電話をし、泣き通し深夜まで付き合わせてしまいました。社会人なのに徹夜したらしいです。本当にすみません。

ネット上でのアカウントが大きく、身内の不幸について語ることによって、不幸が波及することを警戒(ウェルテル効果)し、普段遊んでいる友人にも期間開けてサラッと話そうと意識していたのですが、普段からあまりに遅刻し、息を吐くより多く言い訳をしているせいで、うっかり友達1人にゲーム中「昨日おばあさま亡くなって葬式の話してたわ」と無意識で言っちゃいました。

友達からしてみれば衝撃が大きかったものの、そのままゲームしだしたので俺がサイコパスかなんかに見えたことでしょう。リザルトボロボロで笑いました。本当すまん。

あとで教えてもらい、正直最初マイクの切り忘れと盗聴を疑いました。自白してたぞと教えてもらい、22年で1番の動揺と言い訳の要らない人生を送ろうと決心しました。当然リザルトボロボロでした。血の気が引くってこのことなんすね。最高の花もこんな安っぽい扱いされたら枯れるわ。

等々等々、職場や研究室、周りにも本当に助けてもらい、どうにかおばあさまの記録を残す事ができました。恥ずかしいんで個別に感謝を伝えます……

さて、なぜ読者に傷をつけたいかの答えをまだ言っていませんでしたね。答えは一つです。

死者は記録を残せないから。

「亡くなったら記憶に残らない。」と言いますが、私は完全に忘れません。これは絶対です。

不信により拘泥した苦しみの中で記憶を映像のように保持する能力が著しく磨かれ、この記録がなくてもその瞬間の映像を想起できます。

また、感覚を言語化する能力立ち居振る舞いから思考や感情を読む能力、自分の持つイメージを強く相手に共有する能力、会話によって相手の思考を誘導する能力の4つに絶対的な自信があり、これが自分の強みです。これらを使えば見知らぬ人にも記憶を継ぐことができるでしょう。

空気が読めず、慣例や常識に裏切られ、何となくを憎んだが末に体得した、信念と周りの協力で自分の好きな空間を作る能力です。

生者に完全も絶対もありません。完全は不滅なるものだけの特権です。

記憶に完全はありません。そして記憶に正しいもありません。正否の図りに乗られるのは事実であり、記憶は揺らぎます。生者の弱みであり、強みでしょう。

こんな感じでここ1年、やっと苦しんでいた時期を肯定できるようになりました。

自力で心身の異常の正体に気付き、周りの協力でそれが解消されつつあるときは、知識がなく、常識的に判断したにすぎない両親に「もっと早く何とかしてほしかった。」と行き場のない怒りをぶつけ、過去を全否定してしまいました。

両親は本当に常識的で真面目であり、真面目さゆえ引け目から会話が出来ず、自分は自分で謝らなければならないことは判っていつつ、悪意がないことは判っていつつ、被害者意識、あるいは反抗期からか、「あっちが謝るまで動かんぞ。」と何に謝って欲しいのか、そもそも謝ってほしいのかも怪しいのに、意地を張り、おばあさまの面会が再開されるまでの幾年かは金銭と形式上必要な事項を伝えるだけの会話をしていました。

Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
無能で十分説明されることに悪意を見出すな

ハンロンの剃刀 - Wikipedia

今思うとこれだけの話です。不器用な子と不器用な親ですよね。今は仲良くなりました。

でも、そんな強い私が、私でなくてもおばあさまを知っている人すべてが必滅の定めを受けたら?おばあさまは生界から消滅してしまいます。

それが嫌だから、せめて愛が永遠であったと伝えたいから、神の授けし不滅の道具である記録に残しました。

これにより、おばあさまは生界でも完全であり、絶対になります。

死者の生き様は当事者にしか分からないでしょうか?いいえ。そんなことはありません。

私たちは織田信長を、あるいはニュートンを、あるいはただの少女であったアンネ・フランク生命の律動を想起できるでしょう。それが記憶です。

記録を残し、その記録から継人におばあさまが想起され、記憶されれば、生きることができます。

肉体の、姿の制約を捨てた、より自由な存在として生き続けられます。

だから自分の大好きな存在に残り続ける傷を与えたかったのです。

ありったけの感情の激流と、22年間で頂いたありったけの愛と、すべて必滅の生者にしかできない刹那の衝撃で、22年の愛を永久としたいから。

そして、おばあさまを見送って時が止まり、立ち止まったのではなく、道を別ち前に進むという業を背負った私をきっと受け入れてもらえると「信じている」から。

私の唯一の後悔であり、生涯背負う罪は、最期、おばあさまに私の歩む生者の路が素敵で最高であると言わなかったことです。

過去と現在に執着し、一緒に歩くことのできない未来を、愛する人に助けてもらいながら今よりずっと、死人の路を歩むことを後悔するほどの感情が起きて欲しいくらいに、輝かしい生者の路の先を、見せたかったんです。

残念ながらそれは叶いません。が、それは叶わず、私が罪として背負うべきものだったのでしょう。

人やモノ、環境はいつ変わるか判りません。今日あなたの愛する人やモノ、環境が明日も、明後日も、永遠に同一で保つ能力は生者にありません。生者は変わり、信じていたものにふと裏切られるかもしれない。ロウソクを消すように急に終わりがくるかもしれない。そんな儚く、歪んだ、醜さを抱えているのが生者です。

でも生者だから、生きているから永遠とはとても言えない、感情を、喜怒哀楽を感じる事ができるんです。愛は神の持つ道具ではなく、アダムとイヴが、定命のものが持つ尊い道具です。

だから「ぼんやりとした不安」で死ぬ芥川龍之介は狂気だったのです。不安こそ生者の道具であり、希死念慮は強い感情、「生きている」という強い生の叫びなんです。感情的に、論理的に、生者と死者のどっちから見ても誤っています。

だから私は、死を選ぶことはしませんし、私の大好きな人が死を選ぶことも許しません。選ぶ感情がある時点で生に依存した死でしかなく、それは間違いだから。

そして、足も止めません。生者の道を行けるまで突き進みます。もっと生きたかった、ずっと見て欲しかった、見たかった最愛のおばあさまは、前に進む私が好きに違いないから。

23歳になる直前や当日、直後、今現在、そしてきっと今後も、くだらないし誰よりも強がってる癖して誰よりも臆病な自分を関わってくれる自分が、心の底から大好きな、絶対に失いたくないものを、喪わないように、自分が周りにがっしり引き止められているから生者でいられると忘れず、感謝と愛と希望を、おばあさまから頂いたすべてを、伝え続け、大好きなみんなを、幸せにする存在になります。

そしてどうか、今、永遠の関係でありたい人がいるなら、帰納的な考えに甘えず、言葉を、思いを、記憶を、記録を伝えてあげてください。

そこに永遠が約束されないのが生者の枷です。林檎が剝いてもらえなく前に、今あるチャンスを絶対に逃さず、私も、あなたも、そしてみんなも、勘違っちゃうほどに、でも勘違っていいから、生きましょう。最高に。

私と私が愛して、愛し続け、これから愛する、そんなすべてに特別な感謝を込めて。


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