ひきこもりの弟 #02 父のこと
ひきこもり救出までを語る上で、家族構成や人物像を伏せることは難しい。田舎で暮らす両親や、弟のプライバシーに配慮しつつ、書いていくしかない。
父はサラリーマン一筋仕事が大好きで、仕事に誇りがある人。バシっとスーツが決まっていて比較的若く見えた。取引先との駆け引きや政治が仕事の面白さだと思っている。支店長を勤めていたが、人を育てたりするのは苦手なんじゃないかと思っている。定年退職し、その後も延長で働かせてもらっていたけれど、今は別の会社からお声がかかりたまにバイトに行っている。働かなくてもいいんじゃないかと思うけれど、仕事をしていたほうが幸せか。
父はある程度何でもこなせるタイプだ。物知りで、小さい頃は何でも教えてくれた。政治や経済のこと。生き物のことや自然のこと。愛読書はNewton。百科事典を大切にしていた。釣りが大好きで、鮭の時期になるとまだ夜も開けない時間から狂ったかのように釣りにいく。キノコ狩りやアイヌネギを取りに行くのも得意だ。小さい頃から何でもある程度できるタイプのため、一生懸命努力したり何かを極めて行くのは苦手と母は言う。
「しょうがない」と「大丈夫だ」が口癖だ。そういっていつも言われてきたため、風邪をひいたり怪我をしても父が大丈夫といえば大丈夫だと思えた。「大丈夫だ」の言葉を信じて病院に行かなかったせいで私の足の小指は曲がってくっついている。父の言葉を信じていれば大丈夫と思えた。長いことピアノをやっていた私に、音大なんか行かなくていいから法学部に行け。法律をやっていればどんな職業についても何も損することはないぞ。結局私は法学部に行き、弟も同じ大学の法学部に入った。
父が悩んでいるところを見たことはない。性格は図太い。図太いがゆえに繊細な人の気持ちが全くわからず平気で人が傷つくことを言えてしまう人なのだと最近わかってきた。
私が子供の頃は、父が怒るところを見たことがなかった。母がキーキーと怒り狂っていても父は絶対に怒らなかった。優しくて、朝も学校まで送ってくれて、TSUTAYAに行きたいといえば、必ず車を出してくれて、私がずっとCDを選んでいても、ずっと待ってくれていた。
そんな父だったが、歳をとるに連れ、よく怒り、ネチネチと絡み、ガミガミとものを言うようになった。私たちの行動が遅いとイライラとしている。美術館もゆっくり回らせてくれない。店員さんにも平気でキレる。
あの紳士的だった父はどこに行ったのだろうか?なにか生き急いでいるみたいだ。残りの人生が短くなったからなのか?老いは怖い。
最も怖いことは、父がネトウヨ化していることだ。私が連絡を取りやすくしたかったのでスマホを持たせてしまった。会社員の頃は頑なにガラケーしか使わなかった父はパソコンもあまり積極的に使わなかった。しかしスマホを手に入れてしまって、完全にyoutubeのアルゴリズム、ネトウヨ産業に洗脳されてしまった。口を開けば、嫌韓嫌中。嫌韓嫌中雑誌まで見せてくる。母は呆れている。
政治の話になれば必ず私と対立する。私はどうしても100万人ものひきこもりを生むような社会、無関心な社会、自己責任が当たり前の社会は問題だと思ってしまう。自分の息子がひきこもりだっていうのに、なぜ?
あの物知りで、尊敬していた父はどこにいったのだろう?
友人の父もネトウヨになったそうだ。うちもだと話していたら、友人はネトウヨの共通点を見つけたと言った。「巨人と大谷翔平が大好き」笑ってしまった。まさに巨人ファンだった父は、日ハムファンとなり大谷翔平ファンとなった。
弟が小さい頃は家の前でキャッチボールをしたり、テレビで一緒に巨人を応援していた父と弟。
後に父は大きな声で、大谷を称賛し弟を情けないと言うようになる。
リビングの隣の6畳の部屋で、弟は耳栓をして布団にくるまっていた。
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