親なき後のひきこもり
私が死んだらこの子は一体どうなるんだろう。
8050問題をご存じでしょうか。親が80歳、子が50歳、ひきこもりの状態にあり親の心身の失調によって介護にまつわる課題のためにケースワーカー等が自宅に訪問すると、どうやら50代のひきこもり状態の方がご自宅にいらっしゃる様子とわかる、表面化するという問題が多くなってきているというものです。
傾向としては高所得な地域のほうが8050化しやすいです。
高所得な地域においては、大学や院に進学したものの社会との適応に困難さがあった人が裕福な実家を頼ることができたり、またスティグマによって近隣などへのバツが悪く抱え込みになっていく傾向が強いように感じます。
貧困の多い地域においては、ひきこもりの状態にある人の年齢が若く、抱え込む経済力がないことが幸いして支援機関や医療機関と早期に繋がり、労働市場への復帰が良くも悪くも早い傾向にあります。本人にとってとてもつらい状況に置かれることはあるでしょうが長期的にどちらがよいことなのかは当事者が10年20年後に振り返って初めて結論がでることかもしれません。
親の心配や後ろめたさ
自宅に希死念慮や昼夜逆転、閉じこもりやセルフネグレクトの子どもがある場合、親はまるで自身が自分らしく生き生きとしていてはいけないのではないかといった気持ちになる傾向があります。
個別では気持ちがわかる一方で、マクロ視点では親が勝手に幸せになっている方が子のエンパワメントは促されていくという調査結果が多いです。
子どもの気持ちはしっかりと受け止めた上で、受け入れてしまうのではなく、自分は生き生きと自分らしく生き、子どもにとってつらさのない形で刺激となるものが環境に加わる工夫やアイディアを敏感に感じ取れる気持ちだけをしっかりと向けることがいい、と分析できます。ともあれ簡単なことではありません。
学齢期とは全く異なる5060への支援のありかた
8050問題は既に長期化していて9060問題に発展しています。
親が90代、子が60代というものです。長期化していくというのはそれだけ、画期的でわかりやすい正解がないことを示しています。
学齢期のひきこもりでは、目的を復学や自分らしくかがやくことに据えて支援していきますが、就労経験のない5060への支援は困窮のリスクのある方には生活保護等国の制度と、医療機関とのつながりがない方には医療体制整備を、財産があるものの判断等に困難さがある場合は後見人等権利擁護を調整していくことを支援していくことになります。
エンパワメントというよりも、国の制度とつないでいく支援になることでしょう。
頼ることは恥ずかしいことではない
誰かや何かに頼ることはしてはいけないこと、申し訳ないこと、恥さらしであることだ、という視点を感じる機会が多いです。
しかしあなたは、そういった支援を必要とする人に対して、そういう目線を向けているでしょうか。自堕落で、怠慢によって陥った自業自得の行きつく先だという目線を向けているでしょうか。多くのひとはその人の大変さを想像して、思いやりを持って、その人の健やかな日々を祈っています。
ごく一部にそういった人がいることは事実でしょう。しかしそういったごく一部の人に遠慮して、いまある支援と繋がらないことはあまり合理的ではありません。もし社会全体を思うのであれば、あなたが回復して支える側になることが恩返しであるといった気持ちを持って支援を活用してください。
画期的な正解はない
残念ではありますが、こうすればOKという正解が存在しない問題です。
ケースごとに事情が異なるからです。疾患などによって起きる失調や、本人の発達に定型ではないものもある場合があります。
家庭の状況や関係性、過去の体験が足かせになる場合も多いです。
しかし長期化しやすいこと、攪拌が多いほど予後がよいこと、身の安全が脅かされない方が次の欲求が生まれやすいことなどある程度傾向などは専門家が把握しています。独自療法で抱え込むよりも、一般的な対応を一義的な手段として検討することが結果的に近道になる場合が多いように感じます。