「未来選択選挙」ならば

 衆議院が解散され、これから選挙戦が始まる。首相はこの選挙を「未来選択選挙」と名付けた。過去のどの選挙をとってもそれは未来を選択するべく行われたものであるとは思いつつ、そこに過去の政権の負債から有権者の目を逸らしたいという意図が込められていることは明白だ。

 だが過去の論点を置き去りにして、あるいは「終わったこと」と勝手に片付けて、聴こえのいいことだけを語るのは未来を担う姿勢ではない。未来は誰にもわからない。だからこそ、過去の出来事とそれが現在に残す課題を直視し、望ましい未来へと結んでいく道筋を示すのが政治家としての役割ではないか。「ポイント稼ぎ、失点防ぎ」の選挙テクニックはもはや通用しないことを有権者の側が示していかなければならない。

 大きな争点となっているのはコロナ禍で疲弊した経済をどのように立て直していくかだ。30年に渡る低成長をどう打開するのか、またそのためには誰にどれだけの分配をする必要があるのか、各党が連日主張を繰り広げている。その他にも外交、経済安全保障、教育・科学、ジェンダー、人権など、どのテーマを挙げても喫緊の課題が思い浮かぶ。

 一方でこの機会に期待したい議論は、上にあげた様々な政策テーマの土台にある、「どのような社会像を描くか」である。下に示すマイケル・サンデル氏と平野啓一郎氏との対談にその重要性が大いに見て取れる。

 世襲やジェンダーギャップが根強く残り、能力主義の恩恵が行き渡らない日本の現状と、一方で過剰な能力主義がもたらす「勝ち組」の驕りと「負け組」に負わされる自己責任を浮き彫りにしている。さらには、能力主義に基づく競争社会を背景に、善意のはずの「やればできる」が自分も他人も苦しめている現実を洗い出し、またコロナ禍に日本でも浮かび上がったエッセンシャルワーカーの低賃金問題の根底に切り込み、学位や能力と労働の尊厳とを切り離すべきではないかという提言もなされた。今日の社会に広がる閉塞感と分断の源泉を探る議論は大変意義深い。

 翻って日本の選挙戦、個々の政策論争の重要性は当然のことながら、いやそれを論じるうえでも必要となる、こうした土台の議論が抜け落ちてはいないか。低投票率が続く現状を「若者の選挙離れ」、「政治不信」と嘆くより、この社会を覆う生きづらさに向き合い、それを打開するにはどのような変化が必要なのかをこの国に暮らす全ての人に訴えていくことこそが、政党、候補者、報道に求められる。文字通りの「未来選択選挙」に期待したい。

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