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駄文#6 眠りも日々の悪しき夢

こんな夢を見た。

犬の散歩に近所を歩いていると、ある住家の前で青年が立っている。
高校生か、大学生ぐらいの青年。


犬が遊びたそうにしたから、リードを伸ばして自由にさせた。
やがて犬はボールを咥えたまま青年に近付き、青年の前にボールを落とした。
青年はボールを拾い上げると、犬にボールを投げて遊んだが、3球もしないうちに力強く遠投し、ボールは他人の家の敷地へと入っていった。


私は憤慨し、取りに行けと青年を叱った。
青年はひとつ、納得がいかなさそうな顔をし、不満そうにボールを取りに行った。そして生垣を探り、ふてぶてしくボールを投げて寄越した。
私はまだ納得がいかない。謝罪ひとつないのだ。


そこで私は青年の家のインターフォンを鳴らし、親にこのことを告げてやろうと思った。
青年は素早く家の中に逃げていく。
インターフォンからはなかなか返事がこなかった。
きっと青年が親に告げ口をしているのだろう。危ない奴だからなどと言って敬遠させようとしているに違いない。私は尚も苛々してインターフォンを細かく押した。
すると通話のハムノイズと共に母親らしき女性の声が入った。


何か御用ですか。


疑り深かそうな、中年の、引っ掛かりのある声だった。
私はいきさつを伝えようと思ったが、インターフォン越しではうまく伝えられる自信がなくなった。それで、出てきてほしいと伝えた。疑念を抱いている人に対して、声だけではそれを充分には解消できない。身振りや手ぶり、表情を合わせなければ、こちらの意図が伝わらないと案じた。どれだけあなたの息子が卑劣か、どんな罪を犯したか。それをしっかり伝える必要があった。
しかし母親は応じる様子無く、


お帰りください


と言う。
当然かもしれない。血を分けた息子より、突然訪問した見知らぬ男を怪しむのは当然だろう。
しかしそれでは引き下がれない。悪いのはお宅の息子だ。人に嫌がらせをしておいて、一言も謝罪がないのは道理ではない。
それで私はインターフォン越しでもとにかく伝えようと思った。
お宅の息子が、犬のボールを人の家に投げ入れて、
と、説明を始めるも、話すそばからこれは意味不明だなと自分でも思う。
また、インターフォンの向こうでは、青年の弟か妹だろう、幼い声が母親に問う声が聞こえた。
どうしたの。なにがあったの。
彼らに不安が起こるのは当然だろう。
見知らぬ男が訪問してきて、母親と何やら揉めているのだ。
どうして知らない人が文句を言ってきているの。どうして兄が関わっているの。僕たち家族が悪いわけないよね。いつでも正しいよね。
その周囲のざわめきは、母親の神経をよりそばだてていることは容易に分かった。


帰ってください。


強い口調と共に、インターフォンが切れる音がした。
そこで私は青年を思った。
嫌がらせをしたのは自分だと自覚しているだろう。
その上で、母親にかばわれているのだと分かっているのだろう。
まあ、何とかなってよかった。
きっとそう、安心していることだろう。
悪さをした悔いなど、微塵もないだろう。私はそれが許せなかった。
そしてさらにインターフォンを押した。何度も押した。
しつこいのは分かる。しかし正義はこちらにある。
すると、程なくして玄関が開いた。
出てきたのはガタイの良い、日によく焼けた老人だった。
老人はこちらに向け駆けてくる。そして笑顔のまま私の両肩を強く掴んだかと思うと、道の外へ押し出し、言った。


もう、じゃんけん。じゃんけんね。じゃんけんしましょう。


私はすぐに察した。じゃんけんで負けた方が折れるということのだろう。
それで何が解決するわけではないが、どちらが悪いという主張をし始めると、やったやってないの水掛け論になり、いつまでも不毛な争いが続く。
それで年の功を利かせ、速やかにじゃんけんで矛を収めようということだ。
長者が出てきたのだ。私も了承するしかなかった。


ぐーと、ぐー。
ぐーと。ぐー。
ぐーと、ちょき。


私は負けた。
あえて確認するまでもなく、それで折れるほかない。
しかし私はそれでも、真実は伝えねばと思い、
怒ってはいませんよ。怒ってはいませんが、お孫さんがね。
と、説明しようとしたが、笑顔の老人の筋肉におされ、家から離されてしまった。
私は仕方なく、その場を離れた。
すると弟や妹が網戸から覗いていたのだろう。いろいろと勝手に話すのが聞こえた。
おかしい人だとか、顔を見たよ、だとか、そんなことだった。


彼らは自分の家族が正しいと信じ、疑わないだろう。
たまたま兄が、不幸にも変人に絡まれただけだ。この地域には変人がいるから気を付けよう。と。
私は悔しかった。
じゃんけんで片付けられ、そして自分の正義が通らなかった。
青年は含み笑いを浮かべているだろう。今やネットやゲームをしてくつろいでいるだろう。
もしくは歪められた事実を事実として、親や友人に話すかもしれない。
やばい奴に絡まれてさ、と。


私は自宅の通りまで戻ってきた。
気が付けば、青年の家とすぐ近所である。
私はこれから青年家族と出会うことを恐れた。
また、私の噂が流れることを恐れた。
私が危険であると勘違いされることが恐ろしかった。
私はただ青年に謝って欲しかった。それが私にとって正しさだった。
けれど、青年家族にとっては、事実よりも青年の正しさが正義だった。青年を信じ、それがたとえ事実と異なっても青年を守るのが正義だった。


私はじゃんけんで負けたのだ。
いつしか通りは夕暮れとなった。
これは私が見た夢である。
負けるのは、きっと必然だったのだろう。


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