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駄文#12 出るのかい出ないのかい

こんにちは、抽斗の釘です。

夏休みが開けて新学期。
三つ子の魂とは言ったもので。
夏休みからはとっくの昔に縁が切れた今でも、
8月末を過ぎると、なんだか一区切り始まるような気持になります。

私がいまの生活で出来るのは文章を書くことぐらいなのですが、
さて、どこで書く? というのが毎日の迷いであります。

体調の兼ね合いもあり、朝早く起きて活動。
というのがまず満足にできない。
できる日もあれば、できない日も。という具合で。
しかし毎日の家事はあるものですから、午前中は雑多なことで過ぎて行ってしまいます。
それが終わると、こんなことぐらいで。と思いながらも、疲れが勝って横になってしまう。
本当は、午前中から創作活動ができれば申し分ないのですが。

ともあれ、そうこうしていると午前11時。
11時となれば、もうお昼はすぐそこです。
お昼が来るということは、昼飯を作らねばならない。
昼飯を作るには体力が要りますから、
それに備えてまだまだゆっくりと休みます。
料理にも多大な体力が必要なのです。
そして昼飯を作り食べ、また疲れ果てて横になる。
するともう14時ごろで。
14時ごろということは、もうすぐ15時ごろということ。
気持ちは焦ります。
15時ごろということは、あっという間に17時ごろになります。
17時ごろとはもう夕方で、夕方とは晩の準備をしなければいけない。
ああいやだいやだ。時間はあるのになんだか足りないような。
しかし書かなければいけない。

席に着いてハイ始め。というのが自分は出来ないようで。
集中するために時間がかかるようです。
仕事を始める心の準備というのでしょうか。
オフィスで働く方は自然とそれがあるように思います。
ルーティンともいえるでしょう。
朝、身支度をして、電車に乗って、挨拶をして、デスクに座る。ような。

私の場合、
駅まで歩いて、音楽を聴きながら電車に乗り、本を読む。
目的地に着いて、コーヒーを飲み、パソコンを開く。
というのが、一番整いやすい心の準備、になります。
出先、多くは喫茶店ですが、するとすぐに作業ができるようになる。

しかし問題はコロナ禍です。
私の外出は、対外的には決して不要不急ではない。
そう思えてしまうから、どうしても家で過ごすことが多い。

すると起こるのが、冒頭の、さて、どこで書く? のか問題です。
もちろん、家ですぐその場で静かに作業できれば問題ないのですが、
上に書いたように無理にでも外に出ない限り、家の中で鬱々としてしまう。
できれば外に出て書きたい。
でも外出は良くない。
どこでもいいから書かなければと思う気持ちと、
まだ準備が整わないために動かない心と体を憎く思う気持ち。
どこで書く? どこなら書ける?
と、まるで動物園のクマのように家の中をうろうろするのです。

家にいてもルーティンを満たせないから、なかなか始められない。
もう外に出てしまおうかと思っても、
一方で、喫茶店や図書館に行ったところでどうせ人が多いだろう。
私のような不要不急の人間が不要に出歩いて周囲に迷惑をかけてはいけない。やはり家に居ておこう。
ああ、しかし書けない。
とそんな葛藤の日々です。

さらに、家に引きこもってはかえって不健康ではないだろうか。
や、
ルーティンを用いても、結局書けないときもあるじゃないか。
や、
しかし出かければ、ついでに醤油を買って帰れるな。
や、
けど、出歩くのは良くないし。
と、くるくると結局ソファにうずくまってしまう。

結局家でパソコンを開き、何も進まず鬱々とする。
ああ、やっぱり出かければよかった。と思った時にはもう夕方です。

そんな日々を過ごすものですから、朝はどこで書くかをまず考えます。
しかしメリット・デメリットが複雑な天秤のように動き、体は動かず。

また問題に輪をかけるのが、私が非常に気分屋であるということ。
気分屋は、その時の気分に作業成果が左右されるのです。

ですから、事前に予定を立てて一週間をその通りに動く、ということができない。
いい意味ではその日の天気や状況によって柔軟に動けますが、
悪い面では計画性がないのです。
そのためその日ごとに計画する必要がうまれて、非常に非効率です。

しかしいつまでもウダウダとしていては進みません。
ああだこうだと理由をつけても白紙は埋まらず。
まずはコロナ禍の収束を願う次第ですが、
時勢も見るとそれもなかなか。
私よりも貴重な時期にいる方々に外出は譲るとして。

しかし少し外出の機会を分けてもらいながら。
加えて私としては新しく、自宅でのルーティンを開発する、というのが、
目下見つけるべき方法なのかもしれません。

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