22.わたしのありか
イボタガ
ヤママユガ
メンガタスズメガ
これは2014年に制作した「いつかひとつになるそんざい」というタイトルの作品です。
三つとも同じタイトルで描かれている蛾の幼虫が違います。この作品は2014年に参加したグループ展のために描き下ろしました。
完全変態の虫はサナギの状態の時に芋虫だった時の形状を一度失って、どろどろになってそして成虫の形になるそうです。それを知った時、幼虫の時の記憶や自我は失われないのかな〜と思いました。そもそも芋虫がいろんなことを考えたり記憶しているのかもわかりませんが、自分の形が一度失われて再形成される、そしてまったく姿になるという過程においてわたしとはどこに存在するのだろう、と思わずにはいられないのです。
たとえば、人間のわたしの腕がもげたとして、腕と残りの部分のふたつのどちらがわたしかと言われたらもちろん残りの部分です。自分から切り離された時点で、腕はわたしの一部だったものであってわたしそのものではないのです。じゃあ、わたしの首と胴がふたつにもげたとして、それはどちらがわたしなのか。どちらかといえば切り離されてうしまったのは首側で、でも残された胴や手足はわたしとも言い難い。わたしそのもののありかはどこなのか、脳?じゃあ、脳だけを他人の体に移植したとしたら、その人はわたしと言えるのでしょうか?
この作品は幼虫と成虫の間のどろどろの液体になる時の状態を描きました。サナギや繭の内側でこれから少女と幼虫のふたつが溶け合って1匹の蛾になります。その二つが混ざった成虫の姿になった時、別の何かになってしまうかもしれないし、まだわたしでいられるのかもしれないし、どうなるかわからないことへの不安と、変わることへの期待が三人それぞれにあります。
わたしとはどこにあって、何なのかという問いの答えを探すような気持ちで当時この絵を描き込んでいったことを思い出します。
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