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8.おしゃれの目覚め

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これは2012年に制作した「エデンの着心地」というタイトルの作品です。

2012年当時、大学の仲の良かった友人たちと共にグループ展を行いました。その名も「下着ガール展」で、下着をモチーフに作品をいくつか制作しました。これはそのときに描いたものです。

蛇にそそのかされたイヴは禁断の果実を食べてしまいます。そして知恵を得て初めて自分が裸であることを意識し、羞恥というものを知ります。

この作品の中で、裸を恥じたイヴは下着を纏います。柔らかなシフォン生地のベビードールとお揃いのパンティの着心地はまるで楽園のように優しく彼女を包んでおりました。というストーリーがあります。

女の子はいつおしゃれに目覚めるのでしょうか。世間ではそれを「色気付く」なんて無神経な言葉で囃し立ててからかう風潮もありますが、わたしはそれが大嫌いです。なぜならその言葉こそが「目覚め」と「羞恥」を嫌でも紐付けてしまうからです。

お化粧もファッションも美容も髪型もマイペースであっていいはずなのに、誰かに認められなければ(大衆の満足する基準までおしゃれでなければ)後ろ指を指されてしまう。それが嫌でおしゃれを頑張ってみると今度は色気付いてるなんておせっかいなことをいうバカが自然と湧いてくる。そうして行けども戻れども地獄のようなおしゃれの迷宮に迷い込んで悲しい思いをしたり、自分の個性を恥ずかしいことのように思ったり、痛い目を見て結局おしゃれが嫌いになる人は少なくありません。

わたしが10代の頃、見渡すと友達はみんなオシャレで、どこで習ってきたのかメイクができて、体育の着替えののときにはきっちり手入れされた体毛と可愛らしい上下お揃いの下着を身につけていました。5分に一回リップクリームを塗り直し、制服のポケットにはいつも手鏡、コーム、ソックタッチの三種の神器が備わっていて、毎朝かかさずヘアアイロンでアホ毛ひとつない髪型を作っているのです。最初はわたしも遅れをとってはならぬ!と必死に真似をしたりしました。でもなんだかやっぱり疲れてしまって、見えないところは手抜きをしていました。そう、下着だとか。

今となっては自分の一番心地よい形を目指せばよいのだと思って生きているので、誰かに合わせて不相応なおしゃれをしたりしません。好きな服を着て、楽な下着をつけて、やりたい髪型にチャレンジして、きまぐれにセルフネイルで遊んだりします。似合ってるか、可愛いかを決めることができるのはわたしだけなので。

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