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29.好きと嫌いの間のグレー

ないもの

2018年制作「ないものねだり」

好きかも

2018年「好きかもしれない」

芸能人だったり、知り合った人だったり、誰かを好きにまたは嫌いになるということはきっと誰しも一度はある感覚だと思います。でもそれが、どれくらい好きまたは嫌いなのかを推し量る術がないがために、時々苦しむこともあると私は考えています。そもそも好きと嫌いの2極にしか振り切れないほど人の感情は単純ではなく、また好きの種類は友達として、恋人としてなどその種類の豊富さは人間関係の数だけあるんじゃないでしょうか。(不思議なことに嫌いの種類はたった一つただただ嫌いだけですが)

この作品は、そういった自分の白とも黒とも言えぬグレーな気持ちに名前がつく安心感というか、形を得た感情を描きたいと思いました。

「好きかもしれない」というのは知らず知らずに惹かれていたことを自覚したときの感覚です。そっと指先で触れて他者を知ってみたい、踏み込んでみようかなと思い始める最初の時の感覚です。落ちるような苛烈な恋もあれば、じわじわと広がるシミのようにゆっくりと進行する好意もある。この一番最初に自覚した好きはいったいどこまで行ってしまうんだろう、という先の見えない不安とどこか楽しみでもある感覚。この曖昧な時期を好きか嫌いかの言葉で言い表す事なんて出来ない、ということでタイトルは「好きかもしれない」です。

「ないものねだり」というのは惹かれていた理由であり、そして好きの感情の中にわずかに混ざった妬みの気持ちです。憧れていた対象に抱く少し仄暗い感情は、自分では手に入れられないものを持っていることへの羨ましさです。それに気づいた時、もう素直に対象のことを「好き」とは言えなくなってしまう。目を背けたくなるけれど「純粋な好き」だと思っていた頃には戻れないことを受け入れて、きっとそれでもそれは好意の一種なのです。いっそ嫌いになれたらいいのに、それでも好きな自分が少し嫌いになる感覚。

ネットスラングや若者言葉、外国語に始まり、新しい言葉というものが日々生まれては使われ消えていきます。例えば「萌え」という言葉。この気持ちを言葉にしたことを私は大発明だと思っています。名前がついてしまうと自覚するのはみるみる簡単になるもので(もはやオタクの世界では若干の死語になっていますが)今更あの感情を他に言い表すことはできないなぁとその便利さにしみじみ感動してしまいます。最近だと「おけけパワー中島」かな?きっと今年の年末には忘れてしまいそうな刹那の流行語でしたが、正体不明の何かだったものに名前を与えられた瞬間の爆発的な広まりは見ていてとても面白いなと思いました。

そういったこれまで形のない掴み損ねた感覚に名前や形を与えて、他人と共有しやすくする、という役割が絵にもできないかな〜という試みの元制作されたのがこの作品です。

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