見出し画像

人に振る舞う

仕事柄、人に何かを振る舞うという機会はほとんどなく、何かを作って食べたり飲んだりすることはごく限られた身内にだけ、ということがほとんどだった。それは実に気楽な行為で、自分が上手いと思えば基本それでよし、まぁ身内には外れたらごめん、で済む話だ。

これが不特定多数の、しかも大半は顔の知らない人となると話は変わってくる。できれば満足してもらいたいし、それに合うようにすこしでもできることをしたい。だが、誰でも満足するようなものだけを用意すればいいわけではない。逆にそれなら誰でもいいことになってしまう。せっかくなら自分なりの部分が欲しい。その「自分なりの考え」と「提供する人への思い」のバランスがきっと大事なのだろう。

コーヒーは最近徐々に凝り始めた趣味だが、きっと身近でもそうでないにしても、そのバランスをそれぞれのスタンスでやってる人がいて、その姿を見て、その考え方に触れる機会がたくさんあった。

だからこそ、コーヒーを人に振る舞う機会が訪れた時、だいたい考えすぎてバランスがよく分からなくなり、結局何もしない方向に向かいがちな自分でも、これはやってみたいと思えたのかもしれない。自分が美味しいと思うコーヒーを出している方に、自分の好みの塩梅と提供する人の幅を伝えて豆を決め、自分なりに美味しいと思うメソッドを決め、それを提供する。それを「美味しい」と言ってもらえることの、なんと嬉しいことか。

でもまさか、興味津々になってくれる子供まで現れるなんて思わなかったし、こうやるんだよと教えて一緒に手を動かしながら目をキラキラさせていたあの姿が、一番嬉しかったかもしれない。自分の楽しくてやっていることを、なんか楽しそうなものとして受け取ってもらえたら。少しでも記憶に残ってくれたら。ちょっとだけ欲張りたくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?