文章を読み返す
私は私自身の書いた文章を読み返すことが好きだ。自分の文章が大好きとかそういうものではなく、おそらく「自分に起きたあの時のことを、自分以上によく知っている誰かに教えてもらう」ような感覚なのだと思う。苦しかった時も、楽しかった時も、その時にあったことをなるべくリアルタイムに、言葉に書き起こしていくこと。そしてそれを読み返すということが、とても理解ある他者に読み聞かせてもらっているような感覚なのかもしれない。日記をつけ続けることができたなら、そしてそれを公開するようなことがあったとしても、おそらく私自身が一番のファンだろう。
ここのところ、ずっと体が重たい。文章を書きたい、ちょっとしたデザインをしたい、ラジオを始めたい、仕事を変えたい。やりたいことはたくさんある。だが、思うように体が動かない。やりたいことが渋滞しているから、ということではないのだと思う。それを整理するところから始めたいと考えているのだが、それすら手についていない。背中に重苦しくてざらざらとした鉄の板が入っているようだ。ふとした行動を起こそうとしたときに、それが気力を奪っていく。ああ、今週も何も進まなかった。どうもここ1か月ほどそんな日々が続いている気がしてならない。実際、思ったことは何一つ進んでいない。こんなどうしようもない文章一つを書き始めることすら、随分と時間がかかっている。その間に書きたいこともたまるし、そして忘れていく。
この一か月は、本当につらくて、本当に楽しくて、どうにもならない。思い出すのも大変な程度には。緩やかに壊れていく何かがあり、どうにかそれを止めたいと思っている。何かヒントがないかなと、同じくらい、あるいはそれ以上にしんどかった2年前の8月を振り返る。記事の投稿はない。あの時、私はどうなっていたのだろう。いろいろなものをたどっていったら、思っていた以上につらい状態だった。ほんのちょっとだけ、今のほうがましかもしれない。そんなつらい時のことすら、人は忘れてしまう。でも書いてあることで、思いだせてしまう。どちらも良い部分、悪い部分がある。今日は鉄の板が少し軽くなった気がしたので、いいほうに向いたらしい。少しでも何かを先に進めることができたらと願う。
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